赤中の青 2

「……泣くなよ。俺が悪いみたいじゃん」
「まだっ、泣いてないござる」
 ぐい、と幸村は服の袖で目尻に溜まりかけた涙を拭った。

「あのさあ、俺特別な能力を持ってて相手の思ってることが分かるとかそんなんじゃないから。言ってくれないと分からないの。分かる?」
 子供に言い聞かせるように心持ちゆっくりと言うと、こくん、と幸村は頷く。
 これじゃあ何時かの立場逆転じゃないか。そう思うと、は小さく苦笑する。見た目だけが大きくなってしまった子供のような錯覚。

「某、最初は、政宗殿の弟殿と言うことでものすごくお強いのだろうな、と思っていた。けれども、殿を見たときの印象は、そうではなかった」
「……知ってるとは思うけど、血は繋がってないからな」
 の蛇足に、幸村は再び頷いて見せた。
 まだ泣きそうな顔は元に戻ってはいないが、先ほどよりかはずいぶんと真剣な表情になっている。
「この部屋の隅でうずくまっている殿を見て、某は強い強くない以前に」
 ふと言葉を切る。枷のために満足に動かせない手足を無意識には引き寄せ、幸村を見上げていた。
「まるで何者も寄せ付けないような、野良の黒猫だな、と思った」
 黒猫かよ、と微かにが呟いたのは幸村の耳に届いていた。二人の視線が合うと、すいとは顔を反らす。

「もうしばらく此処に居てもらえんだろうか? 某は少しばかり、殿に興味がある」
 はにかみもせずに、真っ直ぐを見ている。
 こんな真剣で真っ直ぐすぎる視線をは今まで受けたことがなかった。周りにいた者達は、一癖も二癖もありなかなか素直に物事をさらけ出そうとはしなかった。
 だからなのか? いや、だからという訳ではない。
 何故なのかは分からない。だが、その話にのってやろうかなという気になっている自分が居る。
(と言うか、何その台詞。口説き文句ですか)

 どうしよう。こんなに自分の考えに困ったことは今まで一度もない。
 その手に乗せられた握り飯を取るのか取らないのか。取るとすれば、幸村の「興味」とやらに暫くつき合うことになる。
 取らなかったならば、どうなるのだろう?
 自分の行き先を想像してしまい、ガラになく背筋が寒くなる。

 簡単に決めてしまい、後で後悔することは嫌いだ。時間もありそうなので、暫くはこの判断について考え込むことにした。
 まず、武田軍について。
 政宗から聞かされていたことは、暑苦しい。なんでもこの一言で片が付くらしい。けれど悪い噂は聞かなかった。いや、耳に入っていないだけかもしれなかったが。
 そこでふとは、自分一人でこの判断をするにはあまりにも持っている情報が少なすぎることに気付く。こんな事になるならもっと話を聞いておけば良かったと後悔した。特に小十朗から(政宗については彼の主観が混じりすぎる為)。早速後悔してしまい軽く自分が嫌になった。
 先ほどから黙り始めたを、幸村は何をするでもなく静かに答えを待っていた。

 決心しきれない自分が酷くもどかしい。こんなにも自分はうだうだする奴だったのか!
 やるせなくなって思わず両手で顔を覆う。ああもう。どうすりゃいいんだ。
 今近くに助言をくれる人物はおろか茶々を入れる人物も居ない。自分でやらなければ、いけない。
 自分自身の冷たい指がまだ暖かい額に触れる。

 ――今更ぐだぐだしたって何にもなんねぇ。

「幸村」
 意を決して名前を呼ぶ。
「なんでござろう?」
「……腹減った」
 なんとなく気恥ずかしく視線を反らしながら呟いた。
「っ! お食べくだされ殿!」
 途端ぱっと笑顔になった幸村が笹の包みを差し出してくる。それを受け取り幸村を見ると、至極嬉しそうな顔をしてこちらを見ていた。
 枷の嵌められた腕でなんとかその握り飯を胃に収める。
 久方ぶりの白飯は沁みるほど旨かった。

 食事も終わり一息つくと、そばにしゃがみ込んだ幸村に駄目元で尋ねた。
「……空見たい」
「空でござるか? ああ、今日は特に、よく晴れ渡っているでござるよ」
 ひょいと立ち上がると、幸村はに手を差し出した。
「行くでござるよ、殿」


 ひゅう、と暖かい風がの頬を撫で、所々絡まった黒い髪を揺らしていく。ようやく外された手枷に、手首をさすりながらは空を仰いでいる。
 歩くことも久しぶりだった為に最初は上手く歩けなかったが、今は若干頼りなさがあるもののしっかりと支え無しで歩いていける。
 どこまでも高く青く。所々に浮かぶ雲ですらそれを邪魔する障害にすらなりはしない。
 淀んだ空気ではなく透きとおり暖かな空気を胸一杯に吸い込むと、何故だか奥州が恋しくなった。

 そっと肩に掛かるものがあり、は肩越しに後ろを見る。そこには羽織を肩に掛けている幸村がおり、そのやや後ろには見たことのない迷彩柄の服を着た人物が。
 ありがとうと小さく礼を言い、再び空を見上げた。
「これから俺、どうなる訳?」
「さあ……お館様に聞いてみなければ分からん。なあ、佐助」
 幸村は後ろをみて尋ねる。んーと間延びしたような声がすぐに返ってくる。
「そうさねー。こんなんでも伊達の捕虜な訳だし、俺らの一存じゃ決めらんないかな」
「そうか……。だがお館様なら悪いようにはせん! きっと!」
 話通り熱いな、とは小さく笑いながら思う。

 でも頑張ってみようかな。ちょっと(かなり?)暑苦しいやつららしいけど、奥州以外を知るのに丁度いい機会じゃないか?
 自分自身の世界を広げる為にも。一人で。

 は目を閉じる。尚も暖かな風は柔らかく吹き抜けている。
 どうかしたか? と心配そうに尋ねてくる幸村に、瞼を開け小さく微笑んでやった。
「なんでもない。野良猫なりにがんばろうって思っただけ」


up08/01/03  加筆修正 08/04/22