さあ、手を取って


 真冬の頃だった。
 まだ昼間だというのに空には鉛色の雲が重くたれ込め、さらに白く冷たく、淡いものが幾つも幾つも落ちてきている。

 桶の中に入っているのは水だ。けれど気温の低さも手伝い、手を入れれば痺れるように冷たい。
 少年は雑巾を浸け、汚れを落とし引き上げる。ぎゅっと絞って水気を落とす。
 先ほどまでやっていたように廊下を磨こうとするが、びりっとした痛みに慌てて手を引いた。
 小さな指にあかぎれが出来ていた。それにはあっと息を吹きかけるが、指に届くまでに熱はすっかり奪われてしまい生暖かい風しか届かない。
 手を擦り合わせ、少年が尚も仕事を続けようとしたときだった。

 ぺた、と足音がする。
 音がした方を向くと、寒さのため鼻の頭を赤くし片目に包帯を巻いた少年が立っていた。
 ん、と少年は手を差し出した。その行動に少々戸惑いを隠しきれない様子で、けれどゆっくり小さな手を乗せた。
 ぐっと握られ、引っ張られる。よろりと立ち上がった少年を確認すると、彼はまっすぐに歩き始めた。

 連れられるままに辿り着いたのは暖かな部屋だった。
「お前はすごいな、からす。私にはそんなことできないぞ。きっと、とちゅうでなげだしてしまう」
 冷たい手をさすって温めてやりながら、包帯を巻いた少年が言った。ふるふると頭を振る少年は、真っ黒な前髪で目を隠す。
「おしごと……なんです。やらなきゃ、いけないから」
「それでもすごいぞ。ありがとうな」
 素直な礼に、微かに鴉と呼ばれた少年は頬を赤らめた。
「ありがとう、ございます」



「……んが」
 は寒さで目を覚ました。上半身を起こし、目を擦る。ふと視線を落とせば雪が降ったのか、身体にうっすら雪が積もっていた。これは寒いはずだ。
「夢」
 小さな手をあかぎれだらけにして仕事に励む少年と、片目を包帯で覆い隠した少年。
「そんな頃も、あったっけなあ」
 雪と同色の空を見上げ、ぽつりと懐かしそうに呟く。

「Hey,どうした
 どかどかと遠慮の欠片もない足音がする。顔だけ向ければ、伊達の若頭――独眼竜伊達政宗。
 すぐ近くまで来ると、の頭に乗った雪を片手で乱暴に払った。そして隣にしゃがみ込んだかと思うと、のすっかり冷たくなった頬に手を伸ばす。触れた冷たさに眉をひそめる。
「冷てぇ」
「はは、俺はあったかい」
 政宗の、自分より大きな手の温もりが気持ちよかった。しばらくそうしていると、自然に手が引っ込められる。

「小十朗が呼んでるぜ。Dinnerが出来たってよ」
「ああ……もうそんな時間か」
「何時間寝てんだ?」
「さあ。それよりどいてくれ、立てない」
 最後にの黒い髪をわしゃりとかき混ぜてから、政宗は立ち上がった。
 差し伸べられた手を借りて立ち上がり、払いきれなかった雪を落とす。真っ黒な髪に付いた雫を、政宗が軽くはたいて落とした。

 2人並んで廊下を歩いていると、ぽつり、が口を開いた。
「夢、見たんだ」
「 へえ、どんなのだ」
「俺もお前もまだちっさいころの夢。俺まだ雑用してたし、お前はまだ梵天丸だった」
 ちらりと横を見ると政宗は顔を歪めていた。彼にとっての少年時代とは、苦い思い出の固まりでしか無く、けれどそれはにとっても同じ事だった。
 その苦い思い出を笑って過去話として話せるかどうか否かは彼ら次第だ。少なくともは、笑って話せた。過ぎたことは、どんなに辛く苦しくとも過去でしかなかったからだ。
 政宗はそうじゃないんだよな、とは思いながら湿った髪をかきあげる。
「Ah...そうか」
「真冬の頃かな。雪降ってた。あかぎれだらけの俺の手握って、お前が暖めてくれんの」
 嬉しそうに笑いながら、は自らの手を触る。
「今はあかぎれなんて滅多に出来ないけどさ。――嬉しかったなあ、俺」

 もう呟きのようになった言葉を、政宗は少しばかり照れくさい思いで聞いていた。雑用係と城主の長男という関係から抜け出せてからもう数年が経つが、本当に嬉しそうに呟く彼は昔と変わらない。自分の気持ちに素直で、まっすぐ。
 何も返せずにいると、いつの間にか目的地に着いてしまっていた。
 が障子を開けると、目の前に小十朗が既に座っていた。
「お待ちしておりました」
 膳は五つ並んでいた。おやと思い部屋の奥を見ると、成実があぐらをかいて座っていた。その隣に、鬼庭綱元。
「うお、やっと来た。早く座れよー」
 政宗は上座に座り、残りの4人は二対二になって向かい合うように座った。
 皆で手を合わせると、それぞれが手に箸を持つ。

「ん、今日もうまいな」
 政宗が味噌汁を一口すすり、そう一言。自らも汁椀を取りながら、小十朗は目を細めた。
「そうですか。作った者達にも伝えておきましょう」
 は焼き魚をつついていたが、そこらの上等な宿よりもうまいと毎度のことながら思う。城なのだから、と言ってしまえばそれで終わりだが。ともかく、今までの食事で不満を感じたことはなかった。
殿? 髪が濡れている様だが、どうした」
 そう尋ねたのは綱元だ。はあ、とは照れくさそうに返す。
「縁側で寝てしまって。その間に雪が降って、それで」
 そうか、と小さく返される。
「風邪を引かないよう、気をつけるように」
 素っ気ない言葉だったが、彼なりの気遣いだった。はいとは返事をする。

 食事の後は皆でお茶をすすって締めとなった。正座で湯飲みを持つに成実が近寄る。
ー」
 隣にあぐらをかくと、の袖を引っ張る。
「何?」
「結構雪積もってんだ、ここらでいっちょ雪だるまでも作ろーぜー」
 なあなあやろうぜとぐいぐい袖を引っ張る。は何か思い出すように小さく首を傾げ、成実を見た。
「やることはやったのか?」
「うぐ」
 その言葉に成実は顔を引きつらせた。その表情を見て、追い打ちをかけるようには矢継ぎ早に捲し立てる。
「俺はもう終わったけどなー。そうだな、成実が終わったんなら一緒に作ってやってもかまわないけどなー。
 なあ? どうなんだ、終わったのか、終わってないのか、どっちだ?」
 しばらく成実は口を真一文字に結び黙っていたが、やがてぼそりと呟く。
「……終わってない」
「それじゃ終わってからだな」
「頼む手伝って!」
「はいはい。――それじゃあそう言うことなので、先に失礼」
 は湯飲みを置き立ち上がると、まだ座って茶を飲んでいる三人に頭を下げた。

「成実殿をよろしく頼みます」
 いつもやると言ったきりなので。そう言ったのは小十朗だった。は小十朗に頷いてみせる。
「分かりました、必ず」
「しっかりしごいてもらえ、成実」
 政宗がにやにやしながら言った。すると成実は大きく胸を張って威張る。
「お前よか先に上がってやるもんねー」
「Ha,言ってろ」
「む、何だと!?」
 このまま会話が続くと口喧嘩になるのは目に見えていたので、成実の腕をが掴み、最後に小さく頭を下げて部屋を去った。政宗がをちらりと見たが、すぐに視線は外された。

 成実の部屋に来た2人は早速文書机を前に、主に成実が筆を持っていた。
「――それ、ちがう」
「……へ?」
「何度言ったら分かるかな、さっきと同じ事だろ」
「あー……これか」
「そう」
 厳しく指示を出しながら、それでも丁寧には成実の手元を見ている。これなら早々と終わりそうだと変な自身が成実にはあった。
 ふと視線を横にずらすとの顔があった。僅かに伏せられた瞼を飾る睫が目元に影を落としている。
「……成実? おい、聞いてるのか」
 の横顔を見たままぼおっとしてしまい、声をかけられたことによってはっとなった。
「あ、ああ! もちろん」
 ありきたりだが、ばっと紙面に向かい筆を走らせアピールする。は訝しげな目で成実を見ていたが、やがて視線を戻すと残り少なくなった紙面に気がつく。

「あともう一息だな。じゃ、がんばれよ」
 そう言って立ち上がろうとするを、成実は訳が分からず見上げていた。
「へ?」
 完全に立ち上がったは、服装を手早く整えると成実を見た。申し訳なさそうな顔をして、しかし僅かに笑いながら口を開く。
「悪い、ちょっと用事思い出してさ」
「え、ちょ、……」
「あとは出来るだろうから、いや、出来るから! お前なら出来るさ。うん出来る。んじゃ、悪い、またな」
 そう言い残して逃げるように部屋を出ると、ぽつんと残された成実は眉を八の字にして去ってしまったが出て行った道を見ていた。


 走ったのか、小さく息の荒いは手を首にやりながらあたりを見回していた。何かを探しているような仕草だ。今の服装は防寒のため綿入れを着ている。
 庭に黒いが茶色っぽい頭を見つけた。手に持っていた下駄を庭に下ろし、それに足を入れてその頭に近づく。
「政宗」
 名前を呼ばれ、政宗は顔を上げた。の姿を認めると、楽しそうに口元を上げる。
「待ってたぜ。成実ン所行ったときにはどうなるかと思ってたぜ」
 ははは、とが空笑いを零すと、政宗が立ち上がった。雪を払い、付いてこいと目で訴えてくる。それに逆らうでもなく、素直には付いていった。
「忘れる訳ないだろ、俺が」
「たいそうな自信だな」
「ふふん」

 やがてふたりの目の前に現れたのは壁。しかし板が何枚も立てかけてある場所があった。それをどけると大穴があいている。
「Are you OK?」
 政宗がにやりと口元をつり上げてみせる。もそれにつられ笑みをのせる。
「――もちろん」
 幼い頃の映像が脳裏にフラッシュバックする。
 ああ、昔もこうやってこっそり抜け出したっけ。


up08/12/30
政宗、英語の使いどころがわからないよ。
成実等家臣も登場しますが、ぶっちゃけた話あんまりキャラは固まっていない。