with flags flying

 静かな空気の中、がりっと飴をかみ砕く音が響く。小さなカフェのテラス席に腰掛け、コーヒーカップの中身はほぼそのままに棒付きキャンディーをかじる男がひとり。あたりを目線だけで探りながらため息を吐く。
 ひょいと左腕を上げ、自然の法則により下がるシャツの袖から時計を見る。針を読み取った目が細められた。待ち合わせの時間はとうに過ぎている。
 ため息を交えながらくわえていた棒をソーサーに載せ、温まったコーヒーを一口。極度の猫舌には丁度良い温度だった。

 半分ほど飲み干した所で、左方から早足に駆けてくる足音。カップをソーサーに戻し、頬杖を突きながら男はそちらに顔を向ける。
「遅っいぞバドー」
 不機嫌を露わに言うが、言われた本人はそれどころではないらしい。ぜーはーと肩で息をして、テーブルに手を突く。
「5分10分ならまだしも1時間越えはけしからん。こんなんじゃ彼女も愛想尽かすよ」
「あっ……のなあ
 じろっと片眼で睨まれるが何処吹く風。残ったコーヒーをすすり、まあ座れば、と進める。
「まーたハイネ君に巻き込まれた?」
「いい加減嫌になるね」
 乱れた呼吸を整えるように大きく息を吐く。
「とかいいつつ次もやるんだろう、お前らは」
「……多分」
 腐れ縁ですかねえ、と呆れながら内心呟く。よくやる、ほんと。
 空を仰ぐ彼からはぷんと硝煙の匂いがする。ドンパチやってきたのは間違いないだろう。バドーは通りがかったウェイトレスにコーヒーを頼み、胸元から煙草を取り出し一服。は手元にあった灰皿をバドーの前へ押しやる。くわえた煙草を揺らして礼に変え、暫く紫煙を揺らした。

「んで、話は変わるがねバドー」
 はジャケットの内ポケットから封筒を取り出し、それをバドーに渡した。
「とりあえずそんなもんかな」
「おう」
 ウェイトレスがコーヒーを持ってくる。半ばまで灰になった煙草を灰皿に押しつけ、ひとまず熱々と湯気を立てるそれを一口。あつそう、とが眉をひそめたのが視界に入り、吊られて顔を顰めた。
「お前まだ猫舌治ってねえのかよ」
「治るもんなら治して欲しいね、たまぁに熱々のスープが飲みたくなる」
 軽口を叩きながら、ウェイトレスが遠のいたのを確認し封筒の中身を確かめる。
「おおー、すげ。これこれこいつが欲しかった!」
 紙面に書き連ねられている文字を追い嬉しそうに声を上げる。は残ったコーヒーを全て飲み込み、楽しそうに紙を捲っていく隣人を見やる。
「君、自分の本業忘れてない? このぐらいやろうよ」
「最近なんかミョーに忙しくてよ、あんまり駆けずり回れないワケ」
 さいですか、と軽くスルー。はジャケットのポケットから飴を取り出し口に放り込む。レモン味だった。

 暫くバドーは渡された紙面に目を通していた。欲しかったモノなのか、嬉しそうに口元が上がっている。眼帯に阻まれて表情はよく見えないが、お菓子にかじり付く子供みたいなものかと思うとやたら可愛く思えてしまう。何かを提供する側としても、喜んでもらえると次の意欲に繋がる。仕事上そういうのを感じる機会が少ないのが難点だ、とは思う。
 暫く会話が途切れ、は手持ち無沙汰に手帳を開く。特に注意すべき要項は無く、今週の確認をした所で封筒に紙を戻す音が聞こえた。
「十分十分」
 封筒をテーブルに置き、コーヒーをすする。
 オレンジの髪が随分もつれているのに気づいただったが、女性ならともかく、都合良く櫛など持っているはずもない。まあいいやと放っておくと、視線に気づいたのかバドーが顔を向けた。緑の瞳が不思議そうに伺っている。何でもないと手を振って返した。

 残りの液体を流し込み、バドーは封筒を手に立ち上がる。ポケットから硬貨を数枚出して伝票の上に載せておき、背を伸ばす。
「遅れて悪かったな。んじゃまた、」
 そのまま立ち去ろうとするバドーの後ろ髪をは容赦なく引っつかんだ。奇声をあげて動きを止めたバドーは勢いよく涙目で振り返る。
「なっ……にすんだテメ!」
 強烈に引っ張られた頭皮を押さえながら怒鳴る顔に向けて、は何食わぬ顔で手を差し出す。その手を見、の顔を見、バドーは眉を寄せる。
「……何? 立たせろってか?」
「まっさかー。肝心な事を忘れてるだろ、君」
 ん、と眼前で手を上下に振って催促するが、意味が分からないバドーは頭を掻くばかり。その姿を見ては呆れのため息をつく。
「あのなあバドー。俺に無賃労働させる気?」
「……あ」
 まさか忘れられるとは思わずは再びため息を吐いた。気まずそうに視線を彷徨わせているバドーを見るあたり、手持ちは無さそうに思える。
 今まで小さな事なら次の報酬と一緒にして貰う事もあった。だが仕事に関してはきっちりしている彼がこんなヘマをしでかすとは逆に驚きしかない。

 仕方ない、とは立ち上がる。何があったにせよ、急ぎで金が要るような事もない。
「とりあえず、俺のコーヒー代もよろしく。あと腹減った」
「は!? ……ったく、仕方ねぇな……」
「元はと言えば君が忘れたのが悪いんですよー? 次回は是非とも色を付けてもらえると大感激」
 にこにこと笑顔のとは反対に、バドーは渋い顔をする。テーブルの上に置いた硬貨と、さらに追加で取り出した硬貨を合わせてに渡す。会計してこいという事だった。
「ありがと」



 が会計に席を立った後、バドーは煙草に火を付ける。重い息と紫煙とを一緒に吐き出し、頭を掻いた。
 大遅刻の原因となった某マフィアとハジけすぎるハイネを恨みつつ、自分の間抜けも恨む。
「(楽しみだったとか、口が裂けても言えない)」
 お陰ですっかり報酬の事が頭からすっぽ抜けていた。灰を灰皿に落とし、再びくわえる。
 そもそも、同業者でもあるに仕事を頼む事は少ない。必要な物はほとんど自分で集める事が出来るし、それで事足りるからだ。最近忙しいと言ったのは嘘ではなかったが、わざわざ頼んだのは顔を合わせるための口実半分、本当に忙しさで手が回らなかったのが半分だろう。

 店内からが出てくる。太陽の光で、青い瞳が一瞬煌めいた。機嫌が悪いときは暗く沈み、機嫌がいいときは明るくなる不思議な瞳だ。南国の空の色を溶かし込んだような色が、バドーは好きだった。
 バドーに向けて片手を上げ、終わったと告げる。煙草を灰皿に押しつけ、封筒を脇に抱え傍に近づく。
「さーてどこ連れて行ってもらおうかなー」
 至極嬉しそうにが笑みを浮かべる。バドーは財布の中身を思い出し乾いた笑い声を上げるが、にやりと表情を変えたが腕をつつく。
「馬鹿だな、有り金巻き上げるなんてことしないって。とりあえずいつもの所でパスター!」
 元気よく歩き出す背中に苦笑する。早足で追いついてきたバドーには肩越しに笑いかけた。 



up10/03/26

タイトルお借りしました 群青三メートル手前