その日の万事屋は何時になく静かだった。それもそうだ、騒音の原因でも発生源でもあるある神楽は「女の子だけの集会アルね」と言って、朝から居ない。
新八の話によればお妙が知り合いを集めてお茶会か何かを開く予定らしい。そんな情報をもたらした新八だったが、昼少し前にお妙から直接の招集により出てしまった。
残ったのは銀時との二人。なんだかこの頃二人きりが多いぞ、とがこころの中でぼやく。
くだらない会話をしつつ手製の昼食を取った。がカップ麺に伸びる銀時の手をはたき落とし、作ると言い張ったのだ。
曰く、食生活が最悪だとかうんたらかんたら。言葉を右から左に通しながら銀時は週刊誌に手を伸ばしていた。
程なくして出来上がったのは野菜がこれでもかと盛られたラーメンと、卵とハムのシンプルな炒飯だった。
「……中華定食?」
できたての湯気を立てる二つを目の前に銀時が呟く。
「今度からまめに冷蔵庫内管理に来るよ、ろくなもんがない……」
冷蔵庫の中が予想以上に酷かったのだろう。呆れたようにはあ、とひとつ溜息をついた。辛気臭い空気を吹き飛ばす様に元気よくいっただっきまーす、と手を合わせは先に食べ始めた。
野菜を箸でかき分け麺をすする。もくもくと麺を咀嚼しながら、じいいと二つの皿を見る銀時に少しだけ眉を寄せた。口の中の物を飲み込む。
「食べないなら乾パンでも食っとけ。消費期限過ぎたのあるから」
「いっただきまーす」
暫く会話のない食事時間が続いた。
先に食べ終わったのは銀時だった。適度にふくれた腹に満足しつつ、静かに手を合わせる。
「ごっそさん」
「おす」
は皿に残った炒飯をかっ込む。無駄に男らしい食べ方だ。がつ、と皿をテーブルに戻し手を合わせた。
「ふい」
一息つくと麦茶の入ったコップを掴み、一気に飲み干す。コップをテーブルに戻すと、すかさず空になった皿を重ねていく。
「お前料理出来たのな」
食器をシンクに戻す背中に銀時が話しかける。
「まあどこぞのダメダメ人間とは違ってちゃんと自炊してっからね」
「どこのどいつだろうなあ? まあこのご時世探せばぼろっぼろ出てきそうだけどな〜」
「そうか? 今俺の後ろで天パーで偉そうに脚組んでる奴もそれにもれなく当てはまると思うんだけどなー」
あはははは、と二人の乾いた笑いが響く。
取り繕う言葉もなく、何をするでもない為銀時は何度も読み返した週刊誌に再び手が出た。適当に開けた所から読んでいく。
「そういやさ」
「あー?」
「この前俺の知り合いがこんなの置いてったんだよ」
視線は本から動かない。大した物ではないだろうと勝手に予測。適当に返した。
「へーそりゃ良かったな」
「見てないだろお前」
むっとした少しばかり機嫌を損ねた声が返ってきた。仕方なしに本を下げ、ちらりとの声がした方に眼を向ける。向けて、目を剥いた。
「そっ……その箱は某スイーツ店の季節個数限定チョコレートブラウニー!?」
がばりと身を起こした銀時に、は両手で大切そうに、決して大きくはない箱を掲げてみせた。
「正解。ちっ、やっぱり知ってたか」
知らなきゃ俺一人で食べれたのに……。
「おーいさん、口に出てる口に出てる」
おっとそりゃ悪いね、と返し、そっとテーブルに置く。
有名どころではなくても美味ければ構わない二人だったが、お目にかかることも出来ない代物を前に思わず生唾を飲み込む。
が丁寧に箱を開け、真っ先に見えたのはぷちぷちの梱包材。即廃棄。綺麗にゴミ箱へ投げ入れられた。
その下に行儀良く5つ、それは並んでいた。
「くっ……包装が輝いてやがる……!」
包装から放たれる目映い幻覚の光を銀時が腕で遮り視界を確保。
「やっぱ包装から違うな……。高級感がすげぇ」
5つのうちひとつをつまみ出す。対して大きくないひとつだが、今は量より質。まだ腕で目を隠している銀時はそっちのけで、は薄紙を剥がしていく。
一口囓る。
「(やばい、どうしよう今もんのすっごく幸せ……!!)」
口の中に広がる風味と言ったら!
思わずテーブルをばんばんと叩いて暴れたくなる衝動を発散。
いつの間にか幻覚から復活した銀時も悶絶していた。
「ただいまアルよー」
「銀さんいますかー?」
がらり。玄関の戸を神楽が壊しそうなほど勢いよく開け放った。二人が声を中に声をかけるが返答がない。まあいつものことだと思い靴を脱ぐ。
ソファーや銀時の机がある部屋の戸を開けると、異様な空気が漂ってきた。ひやりとした冷気が頬を撫でた気がする。新八はこのまま戸を閉めたい衝動に駆られた。
テーブルを挟んで銀時との二人が静かに拮抗していた。テーブルの上には一つの小さな包みがある。それを二人が狙っているというのは明らかだった。
いつも死んだ魚の目をしている銀時が何時になく真剣な顔をしている。ぴんと張り詰めた空気は、容易に壊すことを良しとしない。
「銀、お前甘い物控えた方が良いぞ。糖尿になったらお先真っ暗だぜ」
が銀時への視線を揺るがせず言う。
「お前こそ太って動けなくなってもしらねぇぞ」
「動くからいいんだよ俺は」
「そー言ってる奴が太るんだぜ」
「へーえほーう」
ばちり、と二人の間で火花が散るのを新八はしかと見た。
「おかえり」
そう言えば、と思い出したようにがちらり視線を新八に向け言った。
視線を反らしていたのはほんの僅かの間だ。しかしそれを銀時は見逃さない。見逃す訳がない。愛する糖分(スイーツ)の為に!
瞬時に手を伸ばしたが、その先にきらりと蛍光灯の光を受けて何かが光った。
「い゛!?」
の左手が上がっていた。その手はいつの間にか黒い手袋をしており、それを付けていると言うことは銀線を操っていると言うこと。
極細の凶器が手にまとわりつく前に銀時は手を引っ込めた。
なにすんだ、と不満の表情で銀時はを見る。しかしは冷ややかな笑みを浮かべていた。
「抜け駆け、禁止」
左腕を下ろす。先に武装してくるとは思わなかった。
皮肉をこめて銀時はちいさく口元をつり上げる。
「ああそうかい、お前がその気なら受けてやるよ」
銀時がソファーから立ち上がる。座ったままのに対して指で立て、と合図する。素直に立ち上がると、はソファーの前から退く。銀時の机の前で、両手を握りしめ、開く。
「勝ったモン勝ち。文句ないな?」
「たりめーよ」
銀時は壁に立てかけてあった木刀を取る。
ひしひしと殺気まで溢れてきたことに、未だ部屋の入り口に立ち尽くす新八は密かに冷や汗をかいていた。
(部屋が壊される……!)
しかしこの空気の中、いつものツッコミのノリで割り込みでもしたらそれこそ軽く殺されそうだ。彼らにとって、それほど糖分とは大事なのだ。きっと。
それにしてもさんまで甘い物好きとは思わなかった……。現実逃避を始める頭を小さく振る。そこでようやく、自らの近くに神楽が居ないことに気がついた。
銀時が躊躇いなく木刀を急所目掛けて振り下ろす。それを見抜いていたはすいと横にずれることでその攻撃を避け、手刀で無防備になった銀時の首筋を狙う。しかし木刀を左逆手に持ち替えた銀時が阻止した。
行動範囲が極端に限られている為思う様にうまく動けない。木刀を主に使う銀時が不利かと思われたが、短い振りで素早く攻撃してくる。さすがに一筋縄ではいかない。
は攻撃をぎりぎりのところで避け、木刀をいなしながら攻撃のタイミングを狙っていた。
銀時の横をすり抜る。に注意が向き、姿勢を変えようと片足にが重心が乗った。
にや、と意地の悪い笑みを彼が浮かべたのが銀時の視界にうつった。
いつの間にか足に絡みついていた銀線が動きを無理矢理邪魔する。上げようとした足が上がらず、結果銀時はバランスを崩し薄汚れたフローリングに頭から突っ込むことになった。
ごちん、と実に痛そうな音が響く。
糸を解いたが、床の上にある銀時の頭近くでしゃがんだ。
「俺の勝ち。ふははは、こーいうところで俺に勝てると思うなよ」
先ほどまで纏っていた鋭い気配が消え失せ、いつもの明るい空気を振りまく。まだ顔面のダメージが抜けない銀時だったが、油の切れた機械の様にぐぐぐと顔を上げた。
「、て、てめぇ……」
「作戦勝ちってことで。さあーって、いただきますかー♪」
上機嫌に立ち上がる。しかし次の瞬間、その表情が凍り付いた。
「な、い。無い、無い、ちょ、おま、待て、待て待て待て!!」
テーブルの丁度真ん中に鎮座していた小さな包み紙が、塵も残さず消えていた。軽くパニック状態になったがテーブルの上を舐める様に見るが見つからない。下も見るが、やはり無い。
「ええええええ!! おい銀、お前まさかとは思うが喰ってないよな!?」
必死の形相で銀時を振り返る。あまりの必死さに思わず銀時も表情が引きつる。
「た、たりめぇだろ。てかあの状況で食える、訳 が」
不自然に間の開いた語尾。必死の中に絶望も混じった表情が、銀時の視線を辿っていく。
首をぐるりと回し、辿り着いたのは真後ろ。
顔を青くした新八が立ち尽くすその真ん前で、神楽がものすごく見覚えのある紙を手に目を閉じもぐもぐと何かを咀嚼している。
「か、神、楽ちゃん……?」
絞り出した声だったが、神楽は反応せず咀嚼を続ける。そして、ごくん、と飲み込む。
そ、それ、もしかして一口? 一口でいっちゃった?
行き先不明で空を彷徨うの片手が小さく震えている。
ぱちり。神楽が目を開いた。眉間に皺を寄せ、小難しい顔をして腕を組む。
「苦いアル。私はもっと甘い方が好きアルよ」
その言葉で、は撃沈した。
がっくりとソファーに項垂れるの背中を、多少の罪悪感のため軽く叩きながら銀時は思った。
(もし俺が勝ってたら同じぐらいダメージ受けるだろうなァ……)
up08/08/17