布団をあっという間に片付けた女中は、一旦部屋から出るとすぐに朝食の乗った盆を持ってきた。二つ隣り合わせて置いていくと、深々と頭を下げ出て行く。
 無言で箸を取る高杉を見ながら、も箸を取った。久方ぶりのまともな食事だった。
 ほかほかと湯気を立てる白米は一粒一粒がつやつやと光っているし、焼き魚の焼き具合も絶妙。味噌の香りを漂わせる味噌汁に、思わず腹が鳴りそうになる。
「……いただきます」
 豪華な朝食に、は一人手を合わせた。

「はぁ」
 満足のため息を一つ、はついた。死ぬほど旨かった。あれほど白飯が旨いと思ったのは何時ぶりだっただろうか。
 横を見ればすでにそこに高杉の姿はない。もう少し視線をずらすと、もう何度も目にしたように窓縁に肘をつき外を見ている。
「ごちそうさま、でした」
 かたり、と箸を箸置きへ戻す。

 それを待っていたと言わんばかりの頃合いで名前を呼ばれた。高杉が持つ煙管から紫煙が細く立ち上っている。
 煙管を持つ手に、しばし目を奪われた。すらりと長い指。昔と、変わらない。
「お前に、やって欲しいことがある」
「俺に?」
「そう」
 外を見ていた顔がを見た。細められた目は鋭い。
「お前にしか出来ないことだ」
 その視線がいつになく真剣なもので、思わずは居住まいを正してしまう。
 俺にしかできないこと。小さく口の中で復唱した。
 なんだろう。ふと考えたが、自分に出来て他一般の人々に容易く出来ないことなど、一つしかなかった。今も昔も。

「条件が、ある。俺の意思意見も尊重すること。普段生活の身の安全は確保すること」
 ひたと高杉を見返す。
 見える目は片方しかないが、その瞳に潜むなにかは自分と同じ……もしくはそれ以上ではないか? にらみ合いで、勝てる気が、しない。
 永遠に続くかと思われた時間は、しかしあっさりと途切れる。
「いいだろう」
 微かに目元が緩み、そしてまたふいと顔は外へ向いてしまう。そうしていつもの姿勢になった高杉を見て、いつの間にか詰めていた息をほうっと吐く。
 でも、退屈はしなさそうだ。これから何かが起こる予感に、は小さく笑った。


 暫く同じ部屋に寝泊まりしていて、高杉についていくつか分かったことがある。
 特に用事の無いときは、飽きることなくひたすら煙管を手に外を見ているのだ。そんな高杉を見ていてもは暇をつぶせるわけではないので、裁縫道具を借りて痛んだ自分の着物を繕っていた。繕い終わってしまうと、やはり暇ができてしまう。仕方なくは何をするでもなくぼおっとしていた。
 そしてもう一つは、時折客人が来ると言うこと。その時は部屋から出て行くため、何を話しているのかには分からない。

 今日もいつもと同じように、高杉は窓縁に肘をついて外を眺めている。傍目から見れば、ひたすらぼーっとしているようにしか見えない。
 相変わらず暇すぎて、思い切っては尋ねた。
「なあ、お前、今何やってんの」
 ゆぅるりと高杉がを見る。その顔はにやり、といかにも妖しげな笑みを浮かべていた。
「世の中めちゃくちゃにしようとしてんだよ」
「……復讐?」
「――そんなもンだ」
「へえ。あの中でお前が一番そう言うことしないと思ってたんだけどな、俺」
 以外だわ。顎に手を当てて高杉を見ていると、何が面白かったのか低く喉の奥で笑われた。
 けれどそれはにとって面白い物ではなくて、ふてくされたように顔を僅かに歪めると、ふいとそっぽを向いてしまう。

 かんっ。
 煙草盆へ煙管の灰を落とす音が、いつもよりやや控えめに響く。刻み煙草を詰め火を付けると一度深く吸い込む。ふっと吐き出せば、紫煙はすぐにとけて消えてしまう。
「俺はお前の殺しの能力が欲しい」
 その声に、立ち上がり掛けていたの動きが止まった。何も感情も見えない顔で、高杉を見る。
「今ならまだ、間に合うぜ」
 をちらりともせずに言い放たれる。
 逆光でやや黒く陰って見えるその整った横顔に、は無意識に笑っていた。その小さな音に、高杉が顔を向ける。
「何に、間に合うって?」
 立ち上がりかけていた中途半端な姿勢からきちんと立ち上がると、は自らの右手を左手で掴む。
「愚問だな高杉。忘れんな。俺はもう、手遅れだって事」
 そう告げて浮かべる笑みは、見た者を引きつける笑みだった。しかしその中にはありありと質問に対する皮肉の色と、自虐の色が浮かんでいた。
 そして、壊れかけの何かも。
 高杉がクッと低く笑う。その表情は、酷く満足した顔だ。
「そうだったな」


up07/12/27