あのやりとりがあった二日後、高杉はを連れて山腹近くの家に移動していた。彼曰く隠れ家らしい。 背の高い木々があたりを覆い尽くしており、下からではその姿を上手く隠している。 その隠れ家に移っても、今までの日々ががらりと変わる、という事もなかった。高杉は相変わらず、何も用事の無いと思われる日は外を見ているばかり。一人部屋になって浮かれていたのもつかの間、は初日から暇という大敵と戦うようになっていた。 は、顔に直撃する朝日で目が覚めた。どうやら布団を敷く場所が悪かったらしい。朝一番の太陽の光をもろに喰らうことになっていた。 むくりと起き上がり布団を畳み部屋の隅へ寄せる。この家に来るときいくつか着替えを貰っており、その一つに着替える。 半分寝ぼけ眼で部屋を出ると、高杉は既にいつもの定位置で朝の一服中だ。が来たことに気がつくと、煙管を持ったまま立ち上がった。 出入り口付近に掛けてあった笠を取り深々と被ると、そのまま外へ出て行ってしまった。慌ててがその後を追う。 「ちょ、高杉! お前どこ行くんだよ」 「いいからついてこい」 有無を言わさない口調に、う、とは押し黙る。だが、一人ではあの家の中、なおさら寂しさと暇が大きくなるばかり。慌てて高杉の背中を追った。 高杉がやって来たのはどこかの裏道だった。幾つも店の裏側が並んでいる。その一つの扉に手を掛けると、挨拶も無しに押し開けた。 「お待ちしておりました」 恭しく頭を下げる店主らしき人物が真っ先に見えた。中にはいるとお前もだ、と促されも店内に入った。 隣で高杉が笠を取っているのが分かる。その室内は、壁一面に箪笥がひしめきあっていた。見るからに上等な布があちこちに置かれ、それらは仕立てられるのを待っているように思える。 「こちらにお願いします。採寸させていただきますので」 言われるままに草履を脱ぎ上がると、素早くあちこちを計られた。両手を左右にぴんと伸ばしながら、は一向に上がって来ない高杉を見る。 「俺の、着物?」 「あぁ」 何もしていないと思いきや、先ほど出迎えた店主らしき人物がいくつか巻かれた生地を広げ、それらを物色しているようだった。眺めている物はどれも明らかに女物で、派手な物ばかり。特に赤地で柄が多い物が好みらしい。 「仕事用のな」 仕事用? そっくり聞き返しそうになって、ああ、と一人で納得してしまった。 「そら、どうも」 さり気なく口にした礼は聞こえたのか聞こえなかったのか、はたまたわざとなのか、返事は返ってこなかった。 その日外に出た用はそれだけだったらしく、用事が終わってしまうと高杉は真っ先に隠れ家へと帰った。それでも少しは外出できたと言うことには満足していたが、やはりその後にやって来る何をするでもない空白の時間はどう過ごしていいのか分からない。 に与えられた部屋には、箪笥と小物を入れておくような箱、蝋燭を立てる燭台があるばかり。それと、箪笥の中には布団一式が、小物入れには持っていた表に出すには少々危ない物が入っている。 殺風景だよなあ。ひとりは呟く。あれが欲しいこれが欲しいと言ったら、はたして高杉は持ってきてくれるのだろうか? 今度機嫌が良さそうだったら言ってみようと決心する。まずは、ちゃぶ台でもいいから机だ。 幾日か立った後、は一人先日訪れた店の前に居た。朝、高杉に一人で取りに行ってこいと気怠そうに言われたのだ。 扉を叩く。一度叩いてみたが扉が頑丈なのか、あまり音が立たなかったので二回目は強めに。すると勝手に扉が開いた。空いた隙間から見えるのは店主の顔。 「お待ちしておりました。さ、どうぞ中へ」 促されるまま中にはいると、恭しく店員らしき女性が黒い風呂敷包みを持っていた。それを受け取ると、ふと重要なことを思い出す。 「えーっと、お代は……」 「もういただいております」 ああ、高杉か。そうだよなあ、うん。一人納得して、は店を後にした。 家に帰ると、見慣れない姿が二つ。丁度帰るところだったのか、玄関で鉢合わせした二人は武市変平太と北島また子。その後ろに高杉がいた。 「」 唐突に名前を呼ばれ、はそちらを見る。武市とまた子はそれにつられを見た。 「こいつらをよく覚えておけよ」 何? と言いたげな顔だったが、素直にすいと視線を二人に向けた。 紺の瞳が、じっと無言で二人を見つめる。暫くしてぱっと反らされたかと思いきや、三人の側を擦り抜けていく。 「荷物置いてくる」 「彼が君ですか」 廊下を曲がり、の姿が見えなくなったところで武市がそう呟いた。短い時間だったが、深い紺の、穴の開きそうなほど真っ直ぐな視線がとても印象的だった。 「ああ。いい眼だろう?」 高杉は思い出すかのように片目を細めた後、の後を追うようにして廊下の角に消えていった。 武市の側に居たまた子は、高杉が完全に視界から消え気配が遠ざかるのを確認してから小さく、誰に語るでもなくささやいた。 「……あたしには、ひとりぼっちの目に見えたっス」 自分の理解者を求めている。受け入れ、優しく抱擁してくれる存在を求めている。 けれど野良猫のように、近づくものすべてを警戒する。その矛盾が、あの眼にはあった。 「あの方は我々と違うものが見えているようです」 武市はそう言い残すと、踵を返し高杉が隠れ家とする平屋から立ち去った。 一人置いて行かれたまた子はが気になるのか暫く玄関先に立ちつくしていたが、再びがやってくる気配はなかった。 up08/01/01 |