は自分の部屋で風呂敷を開くと、いかにも高級そうな布地が現れた。それに少しだけ顔をしかめて、そっと箪笥に仕舞い込む。仕事用ならこんな良い布を使わなくてもいいのに。どうせ、汚れてしまうのだ。
 風呂敷を畳んでいると、箪笥の横に置かれた箱が目に入った。そう言えば、暫く道具の手入れをしていなかったことに気がつく。
 畳み終わった風呂敷は隅へ寄せ、そろそろと小物入れから道具を取り出す。中に入っていたのは鉄線、短剣、仕込み鈎……等々。開け放たれた窓から差し込む光を受けて、それらは鈍く銀色に光を放つ。
 この頃こいつらも使ってやっていない。使う必要がないから使わないのだが、そう思うと改めて自分は高杉に拾われたんだな、と再確認した。
 高杉は自身の殺しの能力が欲しいと言っていた。ならばそう遠くない未来に再び、嫌になるほど使うときが来るのだろう。

 早速手入れをしようと箱から出した道具に触れようと手を伸ばす。
 しかし耳に届く微かな空気を裂く音。
 ぱっと手を引くと、手があった場所に一本の矢が突き刺さった。畳に突き刺さった矢には文が縛り付けてあり、それを見たはこれ以上ないほどに顔をしかめた。
 力ずくで矢を引き抜き、文をほどく。それを手にしては部屋を出た。

 文を手にしたがやって来たのは高杉の部屋。何も言わずにすっぱーんと襖を開け、入る。
「こんなん来たんだけど」
 やはりいつものように外を見ている高杉の眼前に、文を持ったままの手を突き出した。
 高杉はそれを一瞥した後、を見上げる。
「お前への仕事依頼だよ」
「はあ? だったら嫌だ、危うく手の甲ぶっ刺さる所だったんだけど」
「そのぐらい避けらただろう?」
「いや、まあそうだけど……」
 いいように言い返されてる気がして、おもしろくない。文を持ったままの手でがり、と頭を掻く。じいっと見上げてくる高杉の視線に耐えられず、観念して少々皺の寄った文を開いた。

 その文の内容は拍子抜けするぐらい簡潔なものだった。場所と目標の特徴が、特徴のない文字で記されている。
「覚えたら、燃やしておけよ」
「分かってる」
 三度ほど繰り返し目で文字を追い、文を元のように畳む。

「高杉」
「何だ」
「これ、もっと普通に持って来れないのか」
 ひらひらと文を振る。毎回矢に結ばれて部屋に射られたのでは、畳が穴だらけになってしまう。
 それ以前に、あれで体を貫かれてしまいそうなのが少々怖かった。いや、普通の状況ならば難なくかわすことが出来るのだが、もしもの時のため。
「言っておく」
「ああ、是非とも頼むよ」
 その言葉には少々の嫌みを込めて放ったのだが、気付いているのかはたまた無視しているのか、高杉は煙管を持った手を小さく挙げて見せた。
 くるりと体の向きを変え部屋の出入り口に向かう。一歩部屋から出たところで、は高杉を肩越しに見た。
「夜、出るから」
「あぁ」


 とっぷりと日が暮れた。夜空には細い月が浮かんでいる。身を裂くような冷たい空気が張り詰め、重く空気がのしかかっているような気がする。
 蝋燭が部屋を薄ぼんやりと照らす中、は新品の黒い着物に袖を通していた。さすが高級品だ。着心地が悪いはずがない。
 揺らめき、暖色の優しい光を放つ蝋燭の火に依頼書を突っ込んだ。完全に燃えてしまうのを見届けると、立てかけてある刀を取る。
 腰に脇差し程度の長さの刀を差し、服のあちこちに凶器を隠す。それらを確認すると草履に足を入れた。
 部屋の開け放たれた窓の縁に足をかける。そしてそのまま縁を蹴り、夜の闇に身を躍らせた。

(こういうのも、久しぶりだな)
 闇に身をとかしながら走る。走る度に僅かに鳴る腰の刀の重みや、夜の空気。そして、今から尚手を汚そうとする自分の心境は久しく感じていないものだった。
 まだ地面に積もる雪が、街灯や微かな月の明かりを受けてぼんやりと光っているように見える。その雪を、容赦なく踏みしめて走る。
 知らぬ家の塀を蹴り飛ばし、別の塀の上へ飛ぶ。暫く走っていると、目的地が見えた。
「――丘の一軒家」
 記憶した文章を小さく口の中で呟く。
 みつけた。
 どうしようもなく、血が騒ぐ。


 音もなく室内に侵入するが、人影は見えない。気配はあるので、その気配を追うように廊下を進んでいく。
 すると目の前の折れた廊下の床に人影が伸びた。
 咄嗟には身を低くし、その影の持ち主の懐に飛び込み鳩尾に強烈な拳を叩き込んだ。
 声もなく崩れ落ちる男をそっと床へ下ろし、廊下の先を見たが人がやって来る様子はない。
 いくつかの廊下の角を曲がっていくと、とある襖の前に武装した男が二人、立っていた。

 の目が細められる。細く息を吐き出すと、着物の袖に手を突っ込んだ。
 そこから取り出したのは金属製である極細の糸。それの端を三回ほど手に巻き付けると、再び前へ走り出した。
 腕を左へ振り抜き素早く引き戻すと、きらりと煌めく糸が手前の男の首に絡みつく。あっという間に間合いを詰めたはその糸をたぐり、容赦なく締め上げた。
「――! っ、」
 小さく呻いた男は腕を上げて首を掻くが、糸は首に食い込み指にかかる事はない。
 それに気がついた男がを見た。
「きさ」
 ま、と言い終わる前には右手を振り仕込んでいた短剣を掌へ滑らせ、それを叫ぼうとした男の喉元に突き立てた。
 崩れそうになる男の胸ぐらを掴むが、思いの外重く落ちる速度を緩めるだけ。左手側を見れば、男は既に事切れていた。左手の力も弱め、床へ下ろし糸を戻す。

 袖の中に糸を戻し、襖を開けた。
「何だ。呼んでいないぞ」
 背中だけを見せている男。髪はきっちりと頭の上で結われている。その男へ、音を消しながら近寄っていく。
 何も返事を寄越さないことを不審に思ったのか、男が振り向いた。そして一瞬にしてその表情が凍り付くのを、は確かに見た。
「な、何者だ!」
「仕事をしに来ただけです」
 あっさりと言い返すと、訳の分からない恐怖に固まる男の近くにあった刀を拾い上げ、抜いた。

「誰か! 誰かいないのか!」
 後ずさった男はそう叫ぶが、いつもならばすぐに現れる男達がやってこない。
 すうとの口元が緩い弧を描く。
「しばらくは来やしませんよ」
 禍々しく微笑むを男は目を見開き見ていた。その顔を掴み上を向かせる。
「――ひっ」
「さよなら」

 の握った刀が男の喉元に突き立てられる。
 一度びくんと大きく跳ねたあと、男の体から力が抜けた。
 俯せの状態に体を動かし、柄に男の両手を添えさせる。気休め程度の偽作だったが、構わない。どうせ犯人を見つけることは出来ないのだから。


 再びは闇の中にいた。
 身を包む血臭。それが妙に懐かしい。
 


up08/01/17