再びは黒尽くめで野外にいた。日が暮れてもうずいぶんと経つが、気温が下がりきらずまだ空気は生暖かい。
 視線の先には、民家が集まっているところから離れた塀のある一軒家。窓からは光がこぼれている。
 見かけは普通の一軒家を装っているように見えるが、にはそう思えなかった。見たことのない厳重な防犯装置。下手をしてそれに引っかかってしまえば、すぐに武装した男達が押しかけるのだろう。
 依頼書に寄れば、定時に人が出入りしているという。狙うなら、そこだ。

 近くでひっそりと息を潜めその時を待つ。玄関の引き戸が微かに開き、光の筋が一本地面に落とされた。それを合図には玄関正面の塀にぴたりと寄り添う。
 一つの足音。こちらに近づいてくる。
 金属が擦れ合う音が聞こえ、男が敷地内から出た。
 の肘は的確に男の鳩尾を捉えていた。小さく呻き、がくりと男の体から力が抜ける。その体を塀に寄りかからせ、防犯装置が解除されたままな事を確認する。
 塀の中に入り、鉄格子の小さな扉を閉める。ガチャリ、と音が聞こえ錠が降りた。

 そこからは簡単な作業だった。
 警戒心の欠片もない目標の男と向かってきた男を数人沈めた。
 血の付いた刀を懐紙で拭う。それを軽く畳み真ん中を捻り、ぽいと捨てた。さて、後は帰るだけ。
 二階からの階段を下りていると、小さな気配が感じられた。動物でもなく、紛れもない人間の気配には眉をひそめる。
 足音を消して残りの階段を下り玄関に向かおうと方向転換する。

「おにいさん、だぁれ?」
 そこに、少女がいた。

 その少女はちりめんで出来ているらしい、一抱えもあるぬいぐるみを大切そうに抱えている。とろんと眠たげな目をしているところ、寝起きらしい。
「おにいさんだぁれ?」
 が何も返せずにいると、再び同じ質問を投げかけられた。
「あ、あぁ、お父さんの所、に仕事をしに来てたんだ」
 慌ててそう言い返した。しかし言葉にあながち間違いはない。
「お父さん、もうねちゃったとおもうよ」
「大丈夫、もう仕事は、終わったから」
 ああ、この子も始末しないと。
 子どもに「この事は秘密だよ」と言い聞かせても、知識の共有や相手が知らない事を自分が知っているという小さな優越感から守れないことが多いから……。
 腰の刀の柄に手を伸ばした。

「ほっぺたに血がついてるよ」
 先ほどよりかは目の冴えた女の子がを見上げていた。それを聞き、左手で頬を拭うと確かに血が付いていた。の血ではない。返り血だ。
「けがしたの?」
「いいや、俺のじゃないよ」
 血が付いているのに自分のものではないと言うに、彼女はこてりと首を傾げた。
 なんで? とその小さな真ん丸い目が訴えている。けれどそれを無視し、は刀を抜く。

 突然目の前に突きつけられた刃を少女はきょとんとした顔で見ていた。かわいそうに、何も知らないのか。けれど此処で情けをかけるわけにはいかない。いや、そんなことをする気もない。
「なぁ、に?」
 ぴたりと狙いが定められた切っ先が、少女の鼻の先に突きつけられる。そこでようやく自分がこれからどうなってしまうのか、それを理解したのか少女の顔が青ざめた。
 小さな口が、微かに開かれる。
「お――」
「お父さんは、いくら呼んでも来ないよ。お母さんも。みんな死んじゃったから」
 にこり、とが微笑む。今の彼女には悪魔の微笑みにしか見えないことだろう。

 ぎゅうとぬいぐるみを抱きしめ、一度少女は視線を落とした。そして数拍置いた後、睫を小さく震えさせながらを見た。
 を見上げる二つの瞳には、予想もしなかった光が浮かんでいる。死にたくない、お父さん達をかえして……否。そんなことではない。
 自分の意思を貫くような、強い意志の光だ。

「どうして、ころすの?」
 やや舌っ足らずな言葉で少女はに問いかける。
 こんな行動をとる子どもは今まで見たことがない。ふ、と目を細め、はその問いかけに答えた。
「仕事だからだよ」
「あのね。おかあさん、からは、人のいのちはみんな同じっておそわったの」
「うん」
「みんな生きてる。みんな、なにかをするために生きてるんだ、って。人のいのちはみんな同じおもさなんだって」
「うん」
「なんでころしちゃうの?」
「それは仕事だから――」
「っ、じゃあ、お兄さんは、えらい人からしねっていわれたら、しねるの?」
 必死なその問いかけに、は口をつぐんだ。

 さて、それはどうだろう。現状から言えば今のお偉いさん……上司は高杉と言うことになる。
 けれど今、自分自身に利用価値が有る以上高杉はきっとそんなことは言わないだろうとは予測する。いや、少女の問いかけはそうではなくて。仕事だからと命令されれば何でもしてしまうのか? そう問いかけているのだろう。
「それは、どうだろう。まだやりたいことがあったら逃げるかもしれない」
「おにいさんがころした人も、にげたかったのかもしれないよ」
「そうだね」
「おねがいを、きいてあげなかったの?」
「『死にたくない』『悪かった、許してくれ』。こういうのをいちいち聞いてたら、仕事が出来ないよ」
 切っ先はそのままに、は小さく肩をすくめた。おそらく十にもなっていないだろう少女がこんな事を聞いてくるとは。少女のぬいぐるみを持つ手に力が入る。

「ころしちゃ、だめ」
「なんで?」
 同じ事を繰り返す少女には小さな苛立ちを覚える。
「……だめ」
 もういいかな。
 突きつけたままの刀をふら、と上げる。
 少女は怯えた眼差しでその切っ先を見上げていた。
「……ぜんぶ、かえってくる」
「おにいさんに、かえってくる、よ」
 にこりとは微笑む。黒い物など一切を感じさせない笑顔だった。

「知ってるよ」
 そんなこと。


up08/02/20