君の手を取って呟く


 今日も彼はうたっている。この世界の為に朗々と。

 管理の塔から唯一外の見える窓から、は吹き込む風に髪をなびかせ白く沈もうとする世界を見ていた。未だ雪は酷くなり続ける一方で、この世界が滅びに向かおうとしていることは明白だった。

 白の鳥。黒の鳥。創造主が管理者として遣わした鳥たち。さらにもう一つ、なんの気まぐれか灰の鳥をこの箱庭に作り出した。
 灰色の髪に、沈んだ金色の瞳。ふたりと違い明確な役割を持たない彼は常に悩み迷っていた。なぜ主は自分を生み出したのだろうかと。

 高く低く、緩急をつけて。歌詞こそ無いが、豊かな音域と繊細さは聞く者を魅了しただろう。だがは人前でうたうことはほとんど無かった。聞いたことがあるのは精々同じ鳥たちと主ぐらいだろう。
 全てうたい終わる前にひとつ大きな羽ばたきが聞こえ、不自然に音を途切れさせる。バサバサと勢いを殺し窓の縁に止まった鷹は、猛禽類の目でを見上げたがすぐについと視線を反らし、その一瞬後に長身の男へ姿を変え石畳の床に降り立った。

「なんだい、やめなくてもいいだろうに?」
 黒鷹がロングコートの裾を直しながら困ったように問いかける。
「俺の勝手だよ。――で、何かご用?」
「たまには仕事をしないと怒られてしまうだろう?」
「白梟に、だろう。別に俺は怒らないしー」
 何でもないように言われた言葉だったが僅かに拗ねたような感情も交じっており、黒鷹はやれやれと肩をすくめた。

「ま、それはいいとしてだ」
「うん? だから何? ……あ、そういや玄冬は元気かな」
「ああ、きっと今日も元気に野菜を料理してるか畑を弄っていることだろう」
 げんなりとした口調で、外を見ながら黒鷹が言う。この様子だと、出かけ際に野菜云々で言い争いをしてきたに違いないとは確信する。鳥だろうが猛禽だろうがなんだろうが、人の形を取る以上食は大切だ。あまり食べると言うことに頓着しないだが、玄冬の黒鷹に対する野菜食えアタックは重要だと思っている。
 ふっ、と小さく嘲笑する。隣で苦笑する気配がした。

「それはよかった」
 白く染まる風景をは愛おしそうに眺め呟く。

 暫くふたりは、寒風吹き抜ける廊下で立ち尽くしていた。
 目を伏せ、耳のすぐ側を抜けていく冷たい風の音を聞いていたは、急に腕を掴まれ顔を上げた。黒鷹が自分の右手首を掴んでいる。
「……何?」
「ここは冷える。部屋に入ろうじゃないか」
 黒鷹はにこりと笑うと、が抵抗の口を開く前に腕を引いて歩き始めた。その笑顔が妙に癪に障り、むっとなり声を荒げた。
「俺は寒いのが好きなの!」
 咄嗟に突いて出た言葉がそれだったことに軽く絶望したが、間違ってはいないと心の中で小さく言い訳をしていた。
 腕を振り払いかけたが、手首からするりと移動した黒鷹の手が冷えたの手を握った。手袋越しでも十分手が冷え切っているのが分かる。
「馬鹿を言うんじゃない。随分冷たいじゃないか」
「う、うるさい」
 確かに指先は冷え切っていた。黒鷹の手は尚も離れず、手袋越しにゆっくりとの指先を温めていく。僅かに力を込められ、急にこみ上げる安堵感には何も言えなくなってしまう。大人しく黒鷹の後を歩いていくしかなかった。

 狭くはないがそう大して広くはない管理の塔だ。唯一とも言える生活スペースに辿りつくまでにそう時間はかからなかった。ドアを押し開けると、薪の尽きかけた暖炉が小さく炎を作り出しており部屋を暖めている。
 床に散らばる大量の本を蹴飛ばさないように十分気をつけながら、赤い布張りのソファーにふたりは身を沈める。まだの手は握られたままだった。

「君の事だから」
 ぽつり、黒鷹が呟く。帽子を取り、手近にあった本の山にそっと載せる。はその呟きを聞き僅かに視線を動かすだけだった。繋がれたままの手が、妙に温かい。
「またひとりで考え込んでるんだと思うんだが」
 ねえ?
 金色の瞳は、今は優しく、けれど心配そうにを見ていた。
「……」
 そう大して会話をしたわけでもないのに心の内を言い当てられ、は気まずそうに視線を彷徨わせる。
「まったく……。君も飽きないね、ずっとそれを抱えてるじゃないか?」
「……悪かったな」
「別に悪くなんてないとも。悩むことはいいことだ。悩んだ末の行動は少なくとも自身の納得いくものだろう。――そうは思わないか?」
 いくらか間を置いてから、はひとつ頷いた。その反応に黒鷹は深く、けれど静かに息を吐いた。目を柔らかく細めた彼はそっと手を離し、の肩に乗せる。
「ゆっくりと悩むといい。まだ、時間は残されているんだからね」
 そう、まだ時間はあった。――舞い降りる雪が世界を静かに埋め尽くすまで。
 再びは頷く。すっと胸の閊えが軽くなったような気がして、言葉には出来なかったが、ちいさくありがとうと口が形作った。

 それでも、彼の悩みが消えることがないのは黒鷹も知っていた。答えを知るのはきっと創造主だろう。けれど彼の抱く疑問を直接問いかけるということを、彼はしない。
 無意識に真実を知ることを恐れていた。求めた答えが彼にとって辛いものであることを恐れていた。
 だから彼はずっと悩み考え続けてきたのだった。自らの存在意義を。


 暖かな空気にはうつらうつらと船をこいでいた。黒鷹は音もなく立ち上がり、本に埋もれた毛布を引っ張り出す。それをそっとかけてやり、顔にかかった灰色の髪を払う。
 穏やかに目蓋を閉じるの表情を見つめる黒鷹は、いつもの微笑みを浮かべていた。まっすぐ下ろせば鼻まですっかり隠れてしまう前髪をゆっくりと指先ですいていく。
 ふと、黒鷹の手が下ろされる。何かを呟こうと口が僅かに開かれたが、音が紡がれることはなかった。どこか苦しげに口を噤むと、に背を向ける。暖炉にくべられている薪が少ないことを認めると小さく肩をすくめた。本に埋もれているだろう薪を探すために、黒鷹は暖炉近くの本を漁り始めた。

 その音で気が付いてしまったのだろうか、黒鷹の背後で毛布が床に落ちる音が聞こえた。
「薪は、そっちじゃなくて反対」
 ロングコートの裾を靡かせながらは黒鷹とは反対の場所の本を漁る。数冊どかしただけで目当ての薪は見つかった。数本束から抜き取ると、至極適当に暖炉の中に放り込む。
「起こしてしまったかな」
「ん、大丈夫」
 火掻き棒で薪を弄り、棒を元の位置に戻すとその場で立ち尽くす。

「黒鷹、」
 勢いを取り戻した炎を見つめながらは黒鷹を呼ぶ。
「なんだい」
「そのうち、玄冬の所にお茶しに行こうと思うんだけど。その時は、一緒に行ってくれる?」
 視線は動かさずには言う。髪に瞳に、ゆらゆら揺れる炎の光が写り込むのが目を引いた。黒鷹は笑みを深くし、大きく頷く。
「もちろん。玄冬も喜ぶ」
 ついとが顔を動かし黒鷹を見る。先ほどまでの暗い表情は何処へ行ったのか、屈託無く微笑む彼は素直に美しいと黒鷹は思う。
「ありがと」


君の手を取って呟く。
(願わくば君の願いが叶わんことを)


up09/05/08
黒鷹はお父さん属性だと本気で思う。