窓の外に見える景色はもう随分と様変わりをした。暖かな日差しから容赦ない真夏の日差しに。そして、空の青も濃く深く。
今ではもう一日のほとんどを寝台の上で過ごす花白にとって、外の変化を読み取る手段は驚くほど少ない。窓によって四角く切り取られた空と、部屋を訪れる人々の服装が時の経過を知るほぼ唯一のものだった。
ベッド際のテーブルに昼食が置かれているが全く手を付けていない。いつの間にかうっすら立ち上る湯気は消え、冷たくなっていた。日がな一日、喉の渇きを覚えては水差しから水ばかりを飲んでいる。ごろり、と花白は意味も無く壁と向き合う。ため息ばかりが零れるのは、全てに脱力し絶望したからだろうか。
「食べなきゃ駄目だよ、花白」
つい先ほどまで無かった気配と声。ゆっくりとした動作で顔を向けると、ベッドのすぐ近くにが立っていた。珍しく髪を後ろで一つに結んでいる。それを見て外は特に暑いんだろう、と花白は思う。
が花白の部屋に顔を出すときは何時も、部屋が寂しいからと言ってなにかしら花を持ってくるのだ。そんな彼の手には大きなひまわりの花が2輪。太い茎は、太陽の光を目一杯に浴びて成長したという証のようだ。生きる意味すら無くしかける花白であったが、が持ってくる花は僅かな楽しみだった。――花白は、彼が持ってくる花々があの畑や庭で育った事を知っているからだ。
「食欲がないよ。食べる?」
「残念、俺はもう食べてきた」
はそう優しく微笑みかける。どこかに転がっていたのか空の花瓶を手に部屋の奥へ引っ込んだかと思うと、それにひまわりを生けて戻ってきた。その花瓶を冷めた昼食が載るテーブルに置くと、満足げに小さく頷く。そして柔らかな表情のまま花白へ視線を移した。
「今はね、花白。家の北側がひまわり畑になってるよ。ひまわりって日差しを追うように頭が動くから、朝と夕じゃ向いてる方向が違うの、知ってる?」
は立ったまま花白に語りかける。花白は仰向けになってシーツをたぐり寄せると目を閉じ実際の風景を想像した。木に遮られて日当たりは少々悪いかもしれないが、それでも背の高いひまわりが密集している様子はとても夏らしい風景だ。もうしばらく群のあの家を訪れていないが、ありありと風景が浮かぶ。その事に、まだ忘れていないと頭のどこかが安堵しているのが分かる。
「知ってるよ、そんなの。――馬鹿にしないでよ」
背の高いひまわりに囲まれて、その中に玄冬が笑っていればいいのに。そんな心の呟きを聞き取ったかのように、は少しだけ寂しそうに目を細めた。
「そか」
うっすらと瞼を上げた花白の頭を撫でる。花白は振り払う事をせず、ぼんやりと空を見たままそれを受け入れた。ゆっくりと撫でる髪は、以前よりも確かに手触りが悪くなっている。何度か髪を梳くように撫で、は手を引く。
「ちゃんと食べるんだよ、花白」
始めの挨拶と同じような事を口にして、はベッドから離れた。度々こうして花白の部屋を訪れるが、滞在時間は長くない。短い会話を交わして、そして去る。今日もこれで帰ろうと窓に手をかけた時、ベッドから衣擦れの音が聞こえ顔を向ける。
「」
上半身を起こした花白が気怠い表情で手招きしていた。
「――どした」
「きて」
誘われるままに近づくと、手がベッドの縁を叩く。座れという事らしい。指示に従い素直にはベッドの端へ腰掛けた。花白はゆっくり横向きになると、ベッドの上に広がった黒いコートの裾をそれとなく掴む。そしてそのまま目を閉じてしまった。
「……寝るの、花白」
「……」
返事はなく、僅かな呼吸音が聞こえるだけ。睡眠に入った呼吸ではなく、深くゆっくりとしたものになるよう意識的に行っている。
素直じゃないな。は口だけを動かして呟く。きちんと口に出せば素直に従うというのに、口に出さず行動に出すのは花白らしいと言えばらしい。
はそのままの姿勢で、窓から吹き込む夏風に目を細めていた。
時間が経つにつれ花白の呼吸はゆっくりと自然になっていき、ついには寝息まで立て始めた。コートを握る手を邪魔しないよう体勢に気を付けながら、は再び花白の頭を撫でる。
「寂しかったのかい」
反応が返ってこないのは承知の上で、質問を投げかける。もちろん返答はなかった。
過去に囚われ生きる意味も目的も手放した彼は、このままでは間違いなく衰弱死となるだろう。
「……個人的意見を述べるなら、それでも享受してほしかったな」
"玄冬"の死と引き替えに得たこの季節を。彼がそうしてまで残したこの世界。
花白は知っているのだろうか? 玄冬は自分のいない世界で、それでも彼が生きて行く事を望んだということを。
(その結果が花白を苦しめる事になるのを、やはり玄冬は知っていた)
混ざり合う寂しさと不安感と喪失感にもみくちゃになりながら、は苦しげに表情を歪ませた。
こんな苦しみを味わうために、彼らは生まれてきたのだろうか? ――馬鹿な。そんなはずはない、人は誰しも幸せになる権利を持っているはずなのに。
は始まりを思い出す。まだこの箱庭があの塔と、ほんの僅かなものしか作り出されていなかった頃を。こんな風に作り上げたのは彼の人だ。それを補佐していたのは自分たちだ。
「許してくれなんて、言えないな」
何を今更、と罵られるかもしれない。謝るくらいならなんとかしろ、と怒鳴られるかもしれない。
許しを請うなんて行為を、被害者の彼らにすることなんて出来はしないのだ。意味を持ったふたりの子供が生まれ続ける限りは。
up10/09/26
玄冬システムが続いていくとすると、鳥の中で真っ先に病んでしまいそうな灰色の子。