生ぬるい暖かさに包まれていた。その暖かさは遠い昔を思い出させるような心地よさで、現実に戻ってしまうのが惜しいほど魅力的だった。しかし眠気に後ろ髪を引かれながらは目を覚ます。
テーブルに突っ伏して寝てしまっていたようだった。枕代わりにしていた腕から顔を上げると、いつの間にか暖炉に火が入っており温かい。さらに肩には薄手のブランケットが掛けられていた。通りで温かいはずだ。ちらりと視線を向ける窓からは白い世界が見える。
身体を起こして伸びをする。その動作でずり落ちそうになったブランケットを膝に掛けていると、台所からこちらへ向かう足音が一つ。玄冬だった。目を覚ましたを見て、玄冬は呆れたように小さく苦笑する。
「いつもテーブルで寝るなと言ってるだろう?」
母のような口ぶりだが、咎める言葉に厳しさはない。そのまま玄冬はの正面の椅子へ座る。
「どっかの誰かさんが気を遣って暖炉に火を入れてくれるから、すぐ眠たくなるんだよ」
ねえ、と同意を求めるように尋ねる。玄冬は照れ隠しに明後日の方向を向いた。くすりとは笑みを零す。
家の中に花白や黒鷹の気配も無く、外は雪がしんしんと降り積もっている。
「花白はもう、帰ったの」
「ああ。これ以上積もると帰れなくなるだろう」
「……あの子の事だからさー、泊まる! とか言ってそうだけど」
「言われたな。まあ、無理矢理帰したが」
「はは、やっぱり」
こうして他愛もない話をしているのは楽しかった。例え壁一枚挟んだ外が雪で真っ白に染まっていようとも、会話をしている間は玄冬もそのことを意識することがなかった。
目一杯玄冬を見上げて頑として譲らない花白に、どうやって帰そうか考える玄冬。その様子は容易に想像でき、は頬が緩むのが分かった。ふふ、と声が零れる。
「何かおかしいか?」
「いや、微笑ましい風景だなーっと思って」
頬杖を突いて微笑むに、玄冬もつられて小さく笑む。嬉しそうに目を細めるの頬に、濃い灰色の髪が一房落ちた。焼けない白い肌に濃い色は映える。
玄冬は腕を伸ばし指先で落ちたの髪をかき上げた。花白とも自分とも違うさらりとした感触に驚きすら覚える。猛禽のそれよりも幾らか彩度の落ちた金色をする瞳が玄冬の顔をじいっと見ていた。
「……なんだ?」
「髪と言えば、前髪目に入らない?」
「いや、たまに、な。もうずっとこの長さだから気にならないが……そう言うこそ、長いじゃないか」
「俺は目に入るような長さじゃないからね」
前髪を摘んでみせる。頬骨を超える長さのため、確かに目に入る危険性は少なそうだ。
「玄冬は、昔から前髪は長かったね」
昔を思い出してが目を細める。ああ、と玄冬は少し声のトーンを落とした。何か嫌なことでも掘り返してしまっただろうか、とは繕うとしたが、それより先に玄冬が重いため息を吐く。
「……黒鷹が切るんだが、手つきが危なっかすぎて……。流石に前髪は、自分で切っていた」
「あ、ああ……」
そういうことか、と苦笑する。
「それは……切実な問題だったね」
思わず視線が泳いでしまう。はこの会話を聞かれていやしないかと無意識に辺りの気配を探ってしまった。当人は偵察に出かけており、どうせ帰ってくるのは日が暮れる前だろう。
「もう慣れたがな」
過去の風景を思い出したのか、玄冬は小さく口元を緩めて笑む。
「どんどんお母さんスキルが上がっていくね」
「俺がやるしかないんだがら、仕方無い」
「それもそうか」
ああ、穏やかな空気が愛おしい。
は涙が出てくる気持ちだった。誰も彼もが望む安穏な幸せが、今は此処にある。
室内で育てているハーブの花を飾った瓶がテーブルに飾られている。その生け方が気になったのか玄冬は瓶を引き寄せて花を弄り始めた。彼が彼らしく生きていれば、どこぞの鷹ではないがもそれで良かった。
心地よい空気は、暖かさも孕んですぐに眠気を誘ってくる。途切れたはずの眠気がまた首をもたげていた。いくらか瞼が重くなってくる。
「ごめん玄冬、やっぱり眠い。あそこのソファー陣取ってもいい?」
あそこ、と指さしたのは暖炉脇の一人がけソファーだ。暖炉に一番近い場所であり暖かさで言えば一番だが、はそのソファーをいたく気に入っていた。
「ああ」
「どうも」
膝掛けを掴んでふらりと立ち上がる。いつもはしゃんと歩くだが、そう遠くないソファーへの移動がふらついているのをみて余程眠いのだろうと玄冬は苦笑する。
ぼすりと倒れ込むようにソファーへ腰掛ける。クッションの沈み込み具合といい、絶妙な具合が堪らない。玄冬の足音が聞こえたと思うと、暖炉前にしゃがみ込んで火の調節を始めた。赤く爆ぜる薪を崩し、散らして火の勢いを落とす。何も言わずに行動するのだから、きっといいお嫁さんになるなあとは随分眠気に浸食された突拍子もない事を考える。
「おやすみ」
ほとんど瞼が閉じられた状態の挨拶に、玄冬は火掻き棒を片付けてから言葉を返した。
「おやすみ、。良い夢を」
up13/09/23
心地よい眠りのなかで視る夢はなにも囚われることのないものでありますように