暖炉で赤々と燃える薪が、時折割れたような音を立てて爆ぜる。本に埋もれた部屋で、は本のページを捲る手を止めない。
この塔には様々な傾向の本が――それこそ詰め込まれたように――山のようにある。その本の山を消化するような勢いで、は塔に籠もり読み続けていた。
こつ、と石の床を靴裏が叩く音が聞こえる。部屋のドアを挟んでいたがその音は近かった。はさすがに文字を追うのを止め、足音の主を想像しながら顔を上げた。
さらに何歩か足音が聞こえた後、ドアが開かれた。外の光がさっと差し込み、は眩しさに目を細める。きらり、淡い金髪が光る。
「ここにいましたか」
白梟が薄いヴェールを揺らしながら部屋に一歩踏み入る。けれどドアを閉めない。白梟は部屋を見回した後、僅かに眉を潜めた。
「……部屋が暗すぎます」
「うん?」
「なんて所で本を読んでいるのですか、あなたは」
ドア近くを視線が彷徨っているところを見るとランプか何かを探しているようだったが、残念ながら周囲にそれらしき物はなかった。
「十分文字は読めるよ」
は軽く本を持ち上げてみせる。部屋の光源は暖炉と、が座るソファーのすぐ側に置いてあるランプのみだった。
もちろんそれだけで部屋の中が十分な明るさになる訳がない。今も、ドアが開いているために差し込む光でようやく部屋の隅々までが照らされている。
ふう、と白梟は隠しもせずため息をつく。
外の冷気が静かに入り込んできた。ひやりとした空気がの手に触れる。
「……それで、何か用? 白梟」
は白梟を見上げたまま視線を反らさない。何も用がないなら帰ってくれないか。そう目が訴えている。
「主に」
白梟はそこで一旦言葉を切った。創世主がどうしたのかと疑問を抱く。問おうと口を開きかけたが、それよりも先に白梟が続けた。
「本を探してこいと言われました。本なら貴方に聞けば良い、とも」
確かに今自分は本の虫になっているとはいえ、それは誇張しすぎだろう。苦い顔をするが、白梟はいつもよりもずっと固い顔をしていた。珍しい表情だとは思う。
「題名は?」
尋ねると二つ折りにされた紙を手渡される。紙を広げると題名らしき文字が綴られていた。白梟がいるので口には出さないが、文字はぎりぎり読み取れるという酷い癖字だ。
それを読み取り、は記憶の引き出しを漁る。首を回して部屋をぐるり見回し、一人納得するように頷く。
「これはこの部屋にはないね。別の部屋だ」
「分かりました。ではそちらに参りましょう」
二人で寒い廊下を歩いているが会話はない。は白梟が特に苦手というわけではなかったが、創世主にくっついてばかりの為黒鷹ほど頻繁に顔を合わせていない。どことなく距離感を置いてしまうのはその所為だろうとは思っている。
創世主の顔を思い出し、白梟のあの顔は自分よりも他人の方が役に立つと言われたように思えた事に対してか、と今更ながらに理解をした。
一方的に嫉妬を押しつけられるのは面倒だとは倦み、後ろを歩く白梟に気づかれぬようそっと息を吐いた。
会話もなくただ歩いているのも面白くない。もう一度紙に目をやり、題名を確認する。少し前に読了した本だったが、小難しい論理やらがひたすら載っていたのが嫌に印象に残っている。
部屋に到着するが、案の定室内はひたすら本で埋もれていた。明かりもなく、部屋はうす暗い。
「あー……ちょっと待って」
「どうぞごゆっくり」
無造作に積まれた本は部屋を埋め尽くしている。きちんと整理し棚に収めれば便利になるだろうにと思うが、この無造作が創世主の性格を表しているようには感じる。
壁際を探していると、埋もれていたランプを見つけた。それを点け手元を照らし、記憶を頼りに探していく。
埃のため咳をしながら、は一冊の本を手に白梟のもとへ戻った。
「はい」
「ありがとうございます」
白梟は題名を確認すると、大切そうにその本を抱えた。
毛先に付いた埃を取っていると、視界に入った白梟の顔がまだ何か言いたそうにしている。
視線が合うと、白梟はゆっくりと口を開いた。
「最近はずっと部屋に籠もっていると聞きましたが」
――黒鷹か創世主辺りに聞いたのだろう。それしかなかった。
「自身のすべきことはしているのですか?」
は言い返そうと用意していた言葉を息ごと喉に詰まらせた。――白梟の言葉は躊躇無く痛いところを突き刺してくる。
視線が合ったまま幾らか間を置いた後、ふとは自嘲と皮肉の笑みを浮かべた。
「何をしろと?」
僅かに鋭さを増した金の瞳が白梟を射る。あんな言葉を投げかけるということは返ってくる反応が分かっていただろうに、その視線に白梟は憂いげに細められた。
何故創世主は自分を生み出したのか、何故黒と白の鳥のような明確な役割を与えなかったのか。そんな不満を、は白梟へ零した事はない。
黒鷹にぼやいても軽くあしらわれる状態であるし、そもそも白梟とは今まで接点が少なくそこまでの仲ではないと思っていたからだった。
そのために、は白梟の次の言葉に耳を疑った。
「……貴方が悪いとは言いません。ですが、やれることはあるのではないですか?」
は驚きに目を見張り白梟を凝視していた。すると白梟はばつの悪そうな顔をして、袖で口元を隠してしまう。
「……なんですかその顔は」
「い、いや、なんでも……」
「知らないとでもお思いでしたか? 嘗めないでほしいですね」
ふいと顔を背ける白梟に、は苦笑する。やはりとっつきにくい人物なのかもしれない。
は緩く頭を振る。
「嘗めてないって」
「それなら良いのですが」
腕を下ろし、両手で本を持つ。白梟は歩き始めるが、数歩進んだところで振り返った。目を細め、僅かに眉を寄せ不快感を表している。
「ただ時間を浪費しているなんて無駄すぎます。主の意向を理解しようとは努力をしないのですか?」
「意向云々はともかく、これでもぼちぼち両方の様子見はしてるんだけど?」
「……あなたがそれでよいと言うのなら私は構いませんが」
あからさまな皮肉が込められている。
「玄冬は黒鷹、救世主は白梟だろ? 俺はどっちつかずなんだしいいじゃないか」
言ってしまってから、言わなければ良かったと後悔をした。自分で自分の傷跡を引っ掻いてしまい、小さな疼痛が走る。
僅かにの表情が変わったのを白梟は見逃さなかった。彼の心情を察し目を伏せ謝罪の言葉を呟く。
「まだ時間はあります。そう急かずともゆっくり答えを見つければよいのでは」
「……そう、だけどね」
では、と短く言い残すと白梟はの横をすり抜ていく。ヴェールが覆う背中を、は複雑な思いで見送った。
***
白梟の姿が見えなくなる。は、と俺は知らずの内に詰めていた息を吐きだした。なんか、もの凄い緊張した。
厳しい言葉を容赦なく放ってくるのは正直疲れる。俺は、黒鷹ほどひょいひょいと流せる訳じゃないからなあ……。
けれど、そう、その後に気遣うような言葉が挟まれていた。特に驚いたのは、まさか白梟が暗に主の非を認めたような言葉を零した事! 驚いて声が出ないというのはまさにあんな事を言うんだろう。
崇拝に近いほど慕っているから、そんな事を言うはずがないと思っていた。
……それを思うと、俺は本当に白梟のことを知らない。主のことをひたすらに崇めているとか、やたらに辛口な事とか、白の鳥であることとか。そんな簡単なことしか。
別にあれこれ深いところまで知りたいと言うわけではない。断じて。
けれど、向こうが俺の――最大級の、それも表に出さないようにしていたモノを――知っていた。これは一体どういう事だろうか。……いや、ココで悩み始めたらキリがない。一先ず、部屋に戻ろう。
(でもそういえば、主と居るときは笑顔だったと思う)
寒風吹きすさぶ廊下を歩く。全く、何で窓が無いんだ。
部屋に辿り着くまでずっと考えていたけれど、結局白梟が優しいのかそうでないかは分からない。
けれど俺を気遣ってくれていたのは確かなことで。少し胸が軽くなっている事に気づいて、人知れず苦笑した。
いい人だと、俺は思うことにする。
2009-12-11
白梟、難しい
神澤 蒼