どこまでも遙か、彼方へ


どこまでも遙か、彼方へ

※こちらは当初考えていた、この連作のラストです。
 設定として、ED1(花に捧ぐ)であることに変わりはないですが、こちらは最後主人公が消えなかったバージョンです。
 折角書いてもったいないので、オマケ的な感じで考えて頂ければ。





 明けないかと思われていた冬は、唐突に終わりを迎える。地面という地面を真っ白に覆い隠していた雪は、早々にまるでそれが無かったのかのように消え失せ、林に暖かな風が吹き抜ける。
 丘の上にひとりは立っていた。柔らかな風が灰色の髪をさらっていく。
 当たり前にあったはずの季節の移ろい。それが当たり前でなくなっていたのはいつ頃からだろうか。空から降り注ぐのは雪ばかりになり、人の心をも閉ざしてしまうような、長い長い冬が続いていた。

 この箱庭には、もう"鳥"はいない。――玄冬も救世主もいない。何かによって滅ぼされることの無くなった、世界。

 丘の上に立つと、眼前に広大な風景が広がる。木々は葉を茂らせ、太陽の光を浴びて青く輝いている。その風景が酷く美しくの目には映り、この箱庭が今も――いろいろなものを失い得ながら――続いていることを改めて強く彼に知らしめた。

 背後から足音がふたつ。はゆっくりと音のする方へ顔を向ける。玄冬と花白のふたりだ。玄冬は迷い無くの立っている場所を目指し歩いているが、その後ろの花白はきょろきょろとあたりを見回しながら歩いている。初めて訪れる場所に興味津々なのだろう。
「や、ふたりとも」
 片手を上げながらふたりに向き合う。を見た花白がぱっと顔を綻ばせ、玄冬の片腕を取る。
! ここすごい景色だね!」
 花白につられるようにも微笑む。
「だろ? 今の季節がここは一番綺麗だから、出る前に見せておこうと思って」
 肩越しにもう一度、背後の景色を見る。春の陽気を湛えた風に玄冬は目を細めた。

「綺麗だろ、玄冬」
 金の視線が向けられる。玄冬は静かにひとつ頷いた。
「――ああ」
 この愛する箱庭のために、一時は命を差し出そうとした彼だ。たまらないに違いない。

 数歩歩き、玄冬の隣に並ぶ。その際、腰に吊った細剣が当たらないようそっと鞘を押さえた。その動作を見た玄冬がふと疑問を口にする。
「剣、使えるのか」
「もちろん。使えなかったら持ってないって。それに、ほら、花白だけじゃ心配だし?」
 冗談交じりの言葉に、ぱっと玄冬の影から花白が顔を出す。
「何言ってんの! 玄冬は僕一人でも守れる!」
 きっとを睨んでくる。あんまりにも必死な主張に、嘘だよ、と呟く。
「ほら、鳥の力が消えちゃっただろ? だから自己防衛のため。大丈夫、花白。お前の生き甲斐奪ったりしないよ」
 ひょいと腕を伸ばし、今度はふて腐れた花白の頭を優しく撫でる。恥ずかしそうに顔を背ける様に笑みがこぼれる。
 この先山のように障害が待っているに違いない。出来るならば流血沙汰は起こして欲しくないが、ふたりで何とか乗り越えていけるとは信じている。

 柔らかな花白の髪から手を離すと、今度は玄冬と向き合う。背負う風景は新緑。冬以外も似合うじゃあないかと、は笑みが止まらない。
 嬉しいのだ。彼ら自身が願って変えたこの箱庭、愛しい者たちが尚立ち止まらず歩いていくことが。
「何かあったら、呼んで。すぐに行くよ」
「名前を?」
 玄冬が確認のように繰り返す。
「そう。花白じゃ手に負えなくなったときとか、特に!」
!! 馬鹿にしてるの!?」
「しーてーなーいーよー?」
「その言い方、むかつく!」
 飛びかかってきた花白をサイドステップで避ける。それでもなお追ってくる彼から逃げるため走る。制止の声を上げる玄冬の声を背後に聞きながら、ふたりはすぐ側の森へと進んでいく。

「待て、こらっ!」
「あっはは、こっちだよ花白ー」
 足下を覆う下草の隙間を縫いながらは軽々進んでいく。その反面、慣れない場所に花白は思うように進めない。
 苛立ちを隠さず花白は前を行く影に叫ぶ。
!!」
「はーい」
 空間が歪む音がしたかと思うとすぐ後ろからの声が聞こえ、花白は勢いよく振り返った。転移の影響か、の髪がふわふわと揺れている。
「そんな躍起になって追っかけなくてもよかったのに」
「な、なんだよ……」
 突然の事に花白が僅かに狼狽える。が二、三度頭を振ると揺れていた髪はいつものように収まった。

 上を見上げる。葉を広げた木々の間から光が零れ、それが下草の生い茂った地面へと落ち、複雑な陰影を描いている。
「玄冬を」
 花白へと視線を戻す。紅い瞳は真っ直ぐに見上げてくる。
「よろしく頼むよ。まあ分かってることだとは思うだろうけどね。改めて」
 ふ、と花白が鼻で笑った。
「何今更そんな事いってんの。当たり前じゃん。玄冬はちゃんと、僕が守る」
 自信に満ちた声。それでいて尚堂々と。は満足げに頷いた。
「それが聞きたかった。頼むよ? 俺も玄冬が好きだからね」
「当たり前!」


「ふたりとも! 一体何処まで行っていたんだ」
 丘へ戻ると玄冬が真っ先に駆け寄ってきた。眉間に皺がしっかりと寄っている。一人きりにされて気分を悪くしたのかもなとが思っていると、半ば睨みつけているような玄冬のするどい視線が向けられた。
「ん、いやあ、ちょっと夢中になって」
 は悪い、と眉尻を下げながら謝罪をする。すっと腕が上げられ、すぐに顔の近くに移動する。その指先をの視線が追う。それを見取った玄冬はふっと表情を和らげ、腕は少しだけ髪を触った後引かれた。
「……何?」
「葉がついていたぞ。どれだけ走り回ったんだ、おまえらは」
 呆れたように玄冬が言う。と花白は僅かに顔を見合わせ、笑う。
「ちょっとね」


 森を抜けた先に一本の道がある。そこへふたりを案内しながら、は今までを想った。
 多くのことがあった。この箱庭が生まれ人間が生まれては死に、生きていく様子をずっと見続けてきた。

 この箱庭が終わることなく続いていくことに感謝した。ふたりが生きていく世界がまだ在ると言うことに。


 ふたりが立ち止まり、背後を振り返る。ふわり、微笑むがいる。
「行っておいで。ふたりとも」
 行き先は分からずとも。
 玄冬は何処か不安げに、花白は自信に満ちたような表情で頷く。
「「行ってきます」」
 歩き出したふたりを、あたたかな風が包んだ。



 見えなくなるまで二人の背を見送り、は瞼を閉じる。
「何故俺がここに未だ居るのかは分からないけれど」
 それは意味があっての存在だと信じている。残されたのにはやるべき事があるのだと。
「見届けようか。……この箱庭を」
 どこまでも遥か、彼方へ歩いてゆく彼らと、この世界を見守るために。

 ふ、とは目を伏せる。ちらり、目の端にもう見ることの出来ない黒い影を見たような気がした。

2009-12-20

ありがとうございました。

神澤 蒼