01

 上着を脱ぎ、椅子の背にかける。春ってこんなにも暖かかったっけ。今までの春を思い出そうとして、けれど上手く思い出せない。あの冬が――たった一つの季節だったのになんて長く感じたことか。
 世の中は春が訪れたことに歓喜しているというのに。確かにそれは嬉しい。何よりもこの箱庭が続いていくことが。けれど諸手を挙げて喜ぶことが出来ない。

 群の山奥にあるこの家には今俺一人しかいない。
 長らく住んでいた玄冬は花白と共にあてもない旅をしている。それに黒鷹は、玄冬システムの終わりと共にきえてしまった。
 俺? 俺は、なぜかきえずに箱庭に残っている。なんでだろう。俺は鳥ではなかった? (あいつは主の所に戻ったんだろうか)

 ――ともかく、俺は俺にとっても馴染みのあるこの家で暫くを過ごしている。
 玄冬たちがいつ帰っても大丈夫なように、ろくな片付けもされていない部屋の中を片付け、掃除し綺麗に保っている。なんだかんだあって長い間玄冬たちはこの家に帰っていなかったようで、しかし黒鷹がまともに掃除をするわけもなく。部屋は当時の様子をそのまま切り取り、時間が止まったままの姿で埃を被っていた。それを片付けた。
 もしかしたらもうここは使われないかもしれない。あの二人が、必ずここへ来るとは限らないのだから。

 いくら綺麗に片付けて掃除したとしても埃は積もる。それが嫌で、何日かに一度は家中の大掃除だ。
 スタンドに引っかけられている黒鷹の帽子を取り、それにうっすらと積もった埃を払う。飾り羽根がひらひらと動く。誰も使わなくなった帽子。何かの期待を込めて視線を横へずらすが、望む姿が在るはずもない。

 ああ、もういっその事こんな物棄てて燃やしてしまおうか。いつかを信じて期待してしまうなら。

隣を見ても、君が居ない

2009-09-25



02

 この箱庭を愛した初代の玄冬。その想いを継いでかは分からないが、二代目の玄冬も同じように箱庭を愛した。この世界を愛した。そんな玄冬を慕った救世主、もとい花白。世界よりも一人を求めた一途な子。
 世界の為に自分を捨てようとしたひとりと、ひとりのために世界を捨てようとしたひとり。そんなふたりだったからこそ、大元である箱庭のシステムをなくすまでに至ったのだろう。

 はじめはずっと続くと思っていた。あのシステムを携え、鳥が管理者として存在しシステムが動作していくと。(けれど作っては壊しを繰り返した主のことだ、いつかはおわると思ってはいた)
 玄冬と花白が(俺の愛するふたりが)決めたのなら俺は喜んでそれを受け入れた。システムと共にきえる覚悟は出来ていたけれど。

 主よ。なぜ俺だけ箱庭に残したのですか?
 いくら問いかけても答えはない。あちらとこちらを繋ぐ塔が消えた後、主の気配は感じない。答えがないのは仕方がない。


 俺の願っていた「ずっと」は、きっと主がこの箱庭を残すことにした時に壊れていた。
 恨む訳じゃない。けれど主があのとき情けなく黒鷹の言葉を聞かずにこの箱庭を壊していたなら、こんな思いはしなかったんだろう。
(そうしたら、俺も一緒にきえていた)

信じていた「ずっと」が
崩壊した瞬間

2009-09-25



03

 どうやらシステムが消えた事により、鳥としての力も消え失せたらしい。俺はもう鳥の姿になることは出来なかったし、魔法とも魔術ともとれるような力も使えなくなった。しかしなぜか形だけ残った丸い水晶を手の中で転がしながら、俺はやることもなく家の庭先で座り込んでいた。
 長かった冬を越えて芽吹いた植物たちが、緩く傾斜する丘一面を埋め尽くしていた。足下にも小さな黄色の花が咲いている。
 どこからともなくやってきた小鳥達が俺の腕や足や肩に留まる。忙しなくさえずりながら、俺の顔を覗き込んではあちこちに頭を向ける。
「餌なんて持ってないよ」
 それでも彼ら(彼女ら?)は飽きることなく回りを飛び交った。

 一際強い風が真正面から吹き付ける。その風に煽られてか小鳥達は慌てて飛び立ち、葉を茂らせた木々はざわざわと身を揺らした。
 手の中にあった水晶を上着に戻す。もう持っている意味はないが、捨てられずにいた。

 文句の付けようがない素晴らしい春だろう。人々からしてみれば、待ちに待ってようやく訪れた季節。
 俺は、あの冬が恋しかった。あの冬が終わらなければ良かったとさえ思ってしまっている。……終わりが分かっていながらも歩いていくことが出来たから。

 存在理由を失った俺は、一体どうやって生きていけばいいんだろうか?(ひとりきりの春なんて、)

世界はこんなに
薄暗かっただろうか

2009-09-25



04

 うとうととした微睡みの中で視た夢。
 長く長く感じられたあの短い時間を、走馬燈のように駆け抜けたような夢だった。その終わりは決まって黒鷹だ。
 塔で俺と玄冬に微笑んでいる。――その笑顔の柔らかさと言ったら!

 それを視て目が覚めると自分が惨めに感じてどうしようもなくなる。思い出してしまうから。そうして、俺が今ひとりきりであることをまざまざと思い知ってしまうから。


 こんな夢なんか視たくなんか無い。けれど、もう夢でしかあの姿をみることはできないのだ。みたくないと思っているけれど、それが一時の慰めだと分かっていても、俺はきっとあの夢を望んでる。

夢の結末は
いつだって喪失

2009-09-25





05

 して、人間の身体とは不便なものだ。食べなければ身体の機能を保つことが出来ない。意識は食べることを拒否しても身体はそう簡単にはいかない。
 そのために、俺は何日かに一度山を下りて街で食料を買い込んでいた。――死ぬ気はない。けれど生きる意味が見あたらない。

 幾らかの食料が入った紙袋を抱えて街を歩く。終焉から逃れたという喜びと春が訪れたことが相まってか、以前よりも活気に満ちている。
 もう滅びなんて来ない。滅ぼさせる大元が消えたんだから。

 すれ違う人々の多くが笑顔で、楽しそうに微笑んで、嬉しそうに、喜びに、満ちている。
 俺は俯いて歩く。彼らは上を仰ぎながら歩く。

どうしてみんな
わらっていられるの

2009-09-25