06

 今俺はとてつもなく混乱していたりする。いつものように何をするでもなく外に出て、戻ってきただけ。
 ――なのになんだって、玄冬と花白がくつろいでるんだ?
「あ、おかえりー」
 花白が焼き菓子をくわえながら手を振ってくる。お茶のひと揃いを盆に載せて持って来た玄冬が俺に気づき、一体なんでそこに立ち尽くしているのかと言わんばかりに小さく首をかしげる。
「……は?」
 間抜けな声が出た。いや、だって、なんで? んん?
「突っ立ってないでこっちに来たら?」
 ほらほらー、と花白が手招きをする。それに誘われるままテーブルに近づくと玄冬がカップに注ぐお茶のいい匂いが漂う。
 ――夢のような光景だ。玄冬がいて花白がいて、そして、……、
 ……俺は頭を振る。

 ふたつのカップにお茶を注いだ後、玄冬は席を離れ台所に引っ込んだかと思うと手にもう一つカップを持っていた。
「座らないのか、
 立ち尽くす俺に不思議そうに尋ねてくる。さも当たり前のように。
「あ、いや……」
 玄冬が席に着く。テーブルの上には何種類かの焼き菓子とお茶が並ぶ。どこをどう見ても、午後のティータイムだ。
「なんで、ここに?」
 声が固くなってしまっただろうか。僅かに、ほんの僅かだけ玄冬の表情が変わるのが分かった。
「特に行き先も決めずにぶらぶらしてたら、なんか戻ってきちゃってたんだよね」
「……ああ。ここなら夏も幾らか過ごしやすいからな。それに、掃除をしておいてくれたのか?」
「まあ、ね」
 生ぬるく返事をしながら席に着く。間髪入れずに茶が満たされたカップが差し出された。
「今はここに住んでいるのか」
「住んでいるというか、他に行く当てもないというか」
 なんだろう、どうも玄冬の顔が見れない。テーブルに視線を落としたまま口を動かした。カップを持ち上げ、一口。随分と久しぶりに飲んだ紅茶は、懐かしかった。

 ……間が続かない。玄冬は一度俺に視線を向けて(いや、向けたように感じた)、すぐに花白に向けた。
「花白、悪いが外してくれないか」
 その言葉にばつが悪くなる。むしろ俺が席を外したくなった。
「えー? ……まあ、いいけどさ。なるべく早くしてね。あと全部食べないでよ!」
「分かってる」
 あっさり部屋から出て行く花白。ドアが閉まった後遠ざかっていく足音が聞こえた。

 そして沈黙。
 玄冬は俺を見ていた。俺は顔を上げたはいいが玄冬の背後にある窓から外を見ていた。視線を合わせたくない。

 名前を呼ばれる。なに、と自分でも驚くぐらい掠れた声が答えた。
「暫く、ここに居るつもりだ」
「……そう」

 見れない。見られない、玄冬の顔が。
 気まずさなんて何処にも見あたらないけれど、いやそうじゃない、"思い出して"しまう。
 本当の息子のように接していた、大切な、あいつの愛した、玄冬。
 ずきずきと頭の奥が痛くなる。

 思い出したくない。(でももう記憶にしか居ない)
 辛いだけなんだよ。(でも思い出してしまう)

――あいたいよ


 ぱた、と音がする。涙?
 次から次へと溢れては零れていく。テーブルの上に雫が落ちる。
「――っ、」
 無意識に痛いほどに握りしめた手が震えている。
 ああそうか俺は黒鷹に会いたかったのか。おかしくなりそうなほどに。あいたい。その一言が、出ない。
 なんで、俺だけ残った。なんで、残された。
 なんで? 何故? どうして?
 ――ああ主よ!

一人で泣かせておくなんて
何考えてるんだ

2009-12-24



07

 そっと頬を布が掠めていった。いつの間にか隣に玄冬がいた。無理矢理上を向かされ涙を拭われる。
「っ……」
 ばちり、と目が合う。昔となんら変わる事のない、彼の表情だった。頭の中の熱が、水をぶちまけられたように一気に冷まされる。
 悲しげに眉が寄せられ、零れた涙にハンカチを当てられ。

「気づいてやれなくてすまなかった」
 なんでお前が謝るんだ、謝る必要なんか無いんだ。知るよしもなかっただろう? いいんだよ玄冬。
 なのになんでお前がそんな悲しそうな顔をしてるんだよ……。
 ――とまらない涙をずっと優しく拭ってくれる暖かさに、さらに涙が出ることを玄冬は分かってるだろうか。

「……誰も聞いていない」
 言葉の足りない一言だったが、十分だった。
 玄冬の腕を掴む。縋るように、項垂れる。


「か、……ろたか。黒鷹……」

「あいたい、くろたか」

「俺も一緒に、」

「寂しい、辛い、なんで、」

「わかってるけど、おまえに、俺は」

 あいたいよ。黒鷹。

 涙で声が詰まってしまう。

 おまえの声が聞きたい。
 忘れてしまいそうで怖いんだ。無くしてしまいそうで、怖い。
 おまえといた記憶を。

ありがとうもごめんねも
要らなくて、

2009-12-24



08

 ふいに頭を撫でられる。遠慮がちな、少しだけ戸惑ったような手つきだったけれど。それがとても優しくて、少しだけ痛みを伴って胸に沁みた。
 もう吐き出したい事も粗方吐き出して、いっそ清々した気分だ。……溜め込みすぎはよくない、な。

「あり、がと」
 泣きすぎで目元も鼻も赤いと思う。ちらと玄冬を見ると、苦笑してまた顔を拭われた。
「構わないが、あちこち酷いぞ」
「う るさい」
 待っていろと一言残し、玄冬が場を離れる。熱を持った顔をどうしようかと悩みながら、いつだったか、同じように頭に載せられた重みを思い出した。あの時は子供扱いされてると勘違いして振り払った覚えがある。
 すぐに玄冬が帰ってきて、濡れて冷たい布を渡される。
「これで冷やしておけばいくらかマシになるだろう」
「悪いね、玄冬」
 ほんと、いろいろと。
 早速顔に当てると冷たくて気持ちいい。
「久しぶりにお前を見たときは一体どうしたのかと思ったぞ。死んだような目をして、無理をして笑うし」
 はは……。お見通しですね玄冬さん。玄冬は椅子に腰を下ろし、ポットに手を伸ばす。冷えていたのかすぐに引っ込めた。
「いやまあ……ねえ」
「……黒鷹のことが好きなのか」
 直球。玄冬と視線がぶつかる。真っ直ぐな目は、多分さっきのあれが無かったら背けていただろう。
「――未練がましくもまだ、ね」
「そうか」
 やけにあっさりとした返事だった。
「……もう昔話になるが、まだ俺が記憶を失う随分前だ」
 玄冬は手元へ視線を落とし、静かに語る。濡らした布を持ち替えその言葉に耳を傾けた。

「まだ黒鷹とふたりきりの生活が多かった頃だな。俺は一月に3、4回はやってくるお前と会うのが楽しみだった。黒鷹に料理や畑の話をしても面白くなかった。多分興味があまりなかったんだろうな、そういう所はほとんど俺がやっていたから。
 その分は新しい料理も教えてくれたし、畑の相談も快く引き受けてくれた。黒鷹とは違った方向の話が出来るのが楽しかった」
 その場面を思い出したのか、玄冬が微笑む。ああ、確かにあの頃は楽しかった。玄冬もそう思ってくれていたとは嬉しいな。
「……いつぐらいからだろうな。そういえば、が来るときは必ず黒鷹が居るなと気づいたんだ。
 週に2、3日は家を空けていたと思うんだが、いつ来るかも知らされて居ないっていうのに必ずだ。……それに、その日はほとんどと言っていいほど、割と大人しかったし、野菜もいつもに比べたら食べた方だった気が、する」

 思わず、口元を押さえた。収まっていた涙が、また零れる。それに気づいた玄冬がぎょっとして慌てた。
「だ、大丈夫か?」
「大丈、夫」
 ああ、なんだそりゃ。俺はそんなの知らなかったよ。
「……知っていたか?」
「しら、ない」
「そうか」
 少し残念そうに再び視線を落とし、涙を拭ってくれた。
「……そういうことだと、思う」
 そうだね、と俺は頷く。
 今更になってそんな事を知るなんて。
 もう一度、俺の頭を玄冬の手が優しく撫でていく。玄冬は、黒鷹からこういう事を教わったんだろうな。
 慈しむ想いを込めた、この仕草を。

欲しいのはこの手じゃない。

2010-01-04



09

 充実した時間とはどうしてこんなに早く過ぎ去ってしまうんだろうか。不思議なものだ。
 あれよあれよという間に、世間は夏である。

 玄冬お手製の冷たい甘味を頬張りつつ窓の外を眺める。一層濃くなった緑が、いつ見ても目に眩しい。
 そろそろ夏野菜も収穫時だろう。暫く使っていなかった畑を整備し、その後初めての収穫だ。きっと玄冬も楽しみにしているに違いない。
 花白と言えば、玄冬の手伝いが出来る嬉しさ半分、育てた野菜が食卓に上る嫌悪半分で見ていて面白かった。野菜嫌いという点においては随分と気が合っていたから、黒鷹と手を組んでいかに野菜を避けるかとかくだらない事をやってたな、そういえば。

 今だから思える事だ、あの数ヶ月前の自分の状況はおかしかった。あの思考の重さは何だったんだ……。改めて自分の"大したことなさ"を思い知る。
 ……一人じゃない事の幸せさを噛み締めてる最中。

 もうすぐ買い出しに行った二人が帰ってくる頃だろう。玄冬はともかく、花白は思いっきり暑さにやられているだろうから少しは用意をしておいてあげようか。
 花白の出迎えは「おかえり」の一言と、皮肉の一言でいいかな。
(いつかを思い出す)(玄冬には笑顔でおつかれさま、と)

ああ、思い出になってしまう

2010-01-04



10

「玄冬、花白、出ておいでー。星が綺麗だよ」
 満天の星空。飛沫が散ったように、様々な大きさの光が瞬いている。家の壁に寄りかかり、俺は空を仰いでいた。
「ほんとだ」
 窓から身体を乗り出した花白が上を見て呟く。ふっ、と部屋の明かりが消え、花白の隣に玄冬が顔を出す。
「ちょっと玄冬、なんで消すのさ」
「消した方が見やすいだろう」
 ごもっともです、玄冬さん。
 玄冬は見慣れているだろうが、花白は興味津々といったように見入っている。やっぱり彩の方とはで見え方が違うんだろうね。玄冬はその隣で有名な星座を教えてやっていたり。星座まで網羅しているとは流石玄冬。

 じゃれる花白や、それを制す玄冬の声を聞きながら、遙か遠くの光を見続ける。
 遠くを見続けるのに疲れ視線をそらした途端、視界の端を光が滑った。
「――流れ星!」
 花白が指さし叫んだ。
 流れ星? 慌てて視線を向けると、再び一つ星が落ちて、いや、次々と。流星群!
「玄冬とずっと一緒にいれますように玄冬とずっと一緒にいれますように玄冬とずっと一緒にいれますように玄冬とッ」
 怒濤の早口で願い事を呟く花白。少し照れくさそうにしてる玄冬。

 そんな様子に笑っていると、ふっと穏やかな風が吹き抜ける。――これは、

君はあれに何か願ったかい?
や、特に何も考えてなかった。……お前は?
私かい。私はね……

 ああ、遠き日の思い出が、

なに?
私は玄冬が幸せだと思えるようならそれが一番なんだがね、
……はあ。
君にも笑っていて欲しいと思うんだよ。

 そういえば、あの時黒鷹は、

君に玄冬のような仏頂面は似合わないよ、

 ……俺に、


 多分やっぱり、隣の玄冬にはばれてしまっただろうけど、俺は静かに目頭を押さえた。

不意に蘇った、
君の一番の願い事

2010-01-04