ふんばりも効かなかった。なんて力だ!
 そんな事を思っている間に、の身体は木製の橋に激突していた。しかしそれだけでは勢いは完全に殺せず、橋に大穴を開けその下の石垣に衝突しようやく止まる。背骨や肋骨がぎしぎしと軋む音が聞こえ、身体全身を襲う激痛には呻く。
 崩れ落ちそうになるのを堪え、吹き飛ばされたからとはいえ自分が開けたとは到底思えない橋の穴を見上げる。その穴の縁に似蔵が立っているのを認め、右手を握るとそこに短剣はなかった。小さく眉をひそめ、再び右腕を振り短剣を出す。
 見ていて気持ちの良いものではない笑みを浮かべ、似蔵は完全にケーブルで一体化した紅桜と己の右腕を小さく振った。まるで生き物のようにどくん、どくんと脈動している。
「おかしいね。もっと強くなかったかい? 
「さあ。お前こそ、そんな馬鹿力だったっけ?」
 肋骨にヒビの一つや二つや三つほど入ったかもしれない。呼吸をする度に胸が痛む。血を吐かないだけましか。
 の問いかけに、似蔵は大きく口元をつり上げた。

 降りようとしたのか、似蔵が足を上げる。しかしその背後から銀時が木刀で殴りかかった!
 銀時は似蔵もろとも川に盛大な水しぶきを上げながら落下、着水。その水しぶきを受けながらは壁から離れる。
 再び背後を取った銀時は木刀での攻撃をするが、紅桜に阻まれる。負けじと銀時は似蔵の足を蹴り飛ばす。川に倒れ込んだ似蔵の右手を踏みつけ乗りかかり、マウンドポジションをとった。
「喧嘩は剣だけでやるもんじゃねぇだろ!」
 動けない似蔵へ木刀を持った腕を大きく振りかぶる。振り下ろそうと力を込めたが、動かない。はっとなった後ろを見ると、木刀に何本ものコードが巻き付いていた。
 それに目を奪われている隙に似蔵は膝で銀時を蹴り飛ばし、立ち上がる。
「喧嘩?」
 鼻で笑われる。大振りな動作で紅桜を構える。その構えに銀時は危険を察知し、木刀を構えた。――その直後。
「――がっ!」
 防御のために構えた木刀は無残に叩き折られ、そして石垣へと叩きつけられていた。

「いいや、殺し合いだよ」
 囁くように、至極楽しそうに似蔵が言う。

 水底に膝を付き、以前衰えぬ眼光で似蔵を睨み付ける銀時。立ち上がろうと足に力を入れるが、時間差攻撃とでも言うように裂けた胸の傷。肩から肩までを、一直線に深く斬られていた。その傷と出血量を見る。
「おいおい、これ、やばくね?」
 自らの傷を見て薄笑いを浮かべる銀時に、似蔵はとどめをささんと再び紅桜を振り上げた。
「銀っ!」
 遠くではあるが、似蔵の背後に回ったは鉄線を似蔵に放っていた。紅桜のコードや小さな段差に糸が引っかかる。動きを止めさせようと、は指に掌に糸が食い込むのも気にせず力の限り引く。
 ああもう、なんでこんな時に限って手袋忘れるんだ俺!

 ゆっくりと似蔵が肩越しにを見る。いや、彼の両目は見えないはずであるから、ただ単に顔を向けただけかもしれない。ちいさく、すん、と鼻を鳴らす。
「ああ、そこにいたのかい」
 ぎり。似蔵が腕の力を強める。は眉に皺を寄せた。まだ強められるのか!
 足下の砂利が踏ん張りに耐えられず、その身を転がす。崩れそうになる姿勢を何とか保ち、しかしは糸が確実に自らの皮膚を蝕んでいるのを感じていた。
「て、め、銀っ……。動いたらどうだ! そんな、スタミナ無い奴、だったかよ!」
 その声を聞いてか、よろりと銀時が立ち上がる。小さな安堵もつかの間、似蔵の力がさらに強くなる。
 ぶつん。
「――っ!」
 ついに糸が皮膚を裂いた。途端滴る血がの手を濡らし、そのいくらかは糸を伝い、残りは川へと落ちていく。
 濡れた手では上手く糸が引けない。手に走る激痛の中、ずるっと糸が滑る感覚。
「く、そ」
「まだまだ、だねぇ」
 ぐいと似蔵が腕を振った。繋がる糸に引っ張られ、は浅い川に頭から突っ込んだ。それでも糸は離さない。

 力の大小は歴然だった。は短い距離だったがずるずると引きずられ、そして紅桜は銀時の腹を貫く。
「銀――」
 口の中に入ってくる水を吐き捨て、は縋るような思いで名前を呼んだ。
「以前俺とやり合ったときに殺しておけば、こんな事にはならなかったのになぁ?
 俺を殺しておけばアンタ達はこんな目には遭わなかった。すべてはお前の甘さが招いたんだよ、白夜叉」

 似蔵の声を聞きながらは水が沁みる手を挙げ、振る。その一振りで紅桜に絡みついていた糸が離れる。
「あの人もさぞがっかりしているだろうよ。かつて共に戦った盟友達がこの様だ……」
 げほ、と銀時が咳き込んだ。溢れた血が口の端から滴る。
「アンタ達のような弱い侍のためにこの国は腐敗した」
 は幾つも水の雫を滴らせながら立ち上がる。肌に張り付いた服が気持ち悪い。だが、そんな悠長なことを言っていられる場合ではない。
「アンタ達ではなく、俺があの人の隣にいれば。――この国はこんな有様にはならなかっただろうよ」
 骨まで傷が達していなければいいんだけれども。そんな指に糸を再び絡め、背後からそよ吹く風に糸を乗せた。
「士道だ節義だくだらんものなど侍には必要ない。侍に必要なのは剣のみさね。剣の折れたアンタはもう侍じゃないよ」
 糸が再び似蔵へ絡む。今度は紅桜だけではなく、似蔵本人へも。手は痛いが、耐えられないほどではない。まだ、やれる。
「惰弱な侍はこの国から消えるといい」
 静かにそう言い放ち、未だ銀時に突き刺したままの紅桜を引き抜こうと力を込める。

「剣が、折れたって?」
 銀時は己の腹に突き立つ紅桜を掴む。
「剣ならまだあるぜ。とっておきのが、もう、一本」
 冷や汗を浮かべ、しかしそれでも挑戦的な表情。それに似蔵は小さな危機感を覚え、紅桜をひと思いに抜こうとした。しかし、抜けない。
「ああああああああ!!!」
 崩れかけた橋から、新八がエリザベスからかっ攫った刀を振り上げ似蔵目掛け飛んできたのだ。
 それを瞬時に理解した似蔵は咄嗟に身をよじり躱そうとするが、そうさせるかとが先ほど仕掛けた糸で似蔵を締め上げた。細い糸が幾重にも巻き付き動きを封じる。
 そこへ新八が落下。勢いを乗せた刀は、いともあっさりと似蔵の右腕をもいだ。それと同時に数本糸が斬られたが、それはこの際よしとする。
 銀時を庇うようにして似蔵の前に立ちはだかった新八は、いつもよりいくらか駄目っぽさが消えているようにには見えた。
「それ以上来てみろ!! 次は左手をもらう!」
 新八と似蔵はしばらくの間互いがどう出るかを見極めているようであった。しかしそれは甲高い笛の音で途切れる。
 似蔵は左で刀は振るえないはずだ。は似蔵から糸を全て離す。
「おい! そこで何をやっている!」
「うるさいのが来ちまった……。勝負はお預けだ。まぁ、また機会があったらやり合おうや」
 似蔵は川底に沈んだ刀を拾い上げ、さっさとどこかへと走り去っていってしまう。やってきた男達が似蔵を追うが、きっと彼らの手によって捕まることはないのだろう。

 糸を回収しながら銀時の元へ駆け寄る。水のない所へ倒れ込んだ銀時の頭を叩く。
「おい、銀。銀っ」
「銀さんっ!」
 二人がかりで呼びかけると、銀時はうっすらと片目を開けた。
「新八……。お前、やれば出来る奴だと、おもってたよ」
 まるで遺言のように小さく囁かれた言葉に、新八は大きく頭を振った。
「銀さん! 銀さん!」

up08/03/20

タイトルお借りしてます→ 氷雨