小さな音を立ててステンレスの台の上に包帯の巻き残りが置かれる。
「ほら」
 黒いシャツに黒のスラックス――その上に白い白衣を着た男が、目の前に座るの手を払った。
「いっでっ」
 男の払った手がの包帯で隙間無く巻かれた手に当たり、まだ癒えきっていない傷に響く。
「てめ、怪我人にはもう少し優しくできないのかよ……!」
「あん? 何言ってんだ。十分やさしーくしてるだろうが。巻いてやったろ」
「うわあ、なんかウザ」
「言ってろ」
 使用済みの消毒綿を金属製のゴミ箱にぽいと投げ捨てる。

 肌の色が手首まで見えない自分の両手を見下ろし、それを少しばかり過剰ではないかと思いつつ、ふうと小さく息をついてから顔を上げた。
「でも助かったよ、御劔(ミツルギ)」
 どーも、と投げやりな御礼を言って治療室から出ようとすると、声を掛けられ立ち止まる。
「何?」
「動き回るなよ、暫く。ヒビとはいえ六ヶ所だぞ六ヶ所。普通の奴だったら即入院だぞ、分かってるだろうな」
 金属光沢の眩しい台にごんっと肘をつき、頬杖をつく。は大げさに肩をすくめ、さらに両手を小さく挙げてみせた。
「そっちも知ってるだろ? 俺はこんなんじゃへこたれないって。また時間があったら診察受けに来るよ」
 今度こそ、診療室を出た。

 カラコロと下駄を鳴らしながら商店街を歩く。途中、揚げたてのコロッケがの食欲をあおったが、この手じゃあなと言うことで渋々諦めた。
 そうして特に寄り道をするでなく一直線に、自宅ではなく万事屋に向かう。
 戸を叩くでもなくさっさと開け、下駄を脱ぎ上がる。寝室になっている和室の襖をなんとか開けると、真っ先に目に飛び込んできたのは切っ先だった。
「――っと」
 膝を折って頭への直撃は避けたが、どうやら数本髪の毛が持って行かれたらしい。目の前に数本、綺麗に切られた髪が落ちてきた。
「あらやだ、さん。戻ってたなら戻ったって言ってくださいよ〜」
 先ほどの切っ先は、どうやらお妙のなぎ刀だったらしい。畳に膝を付いては、はは、と渇いた笑いを漏らす。
「いや……すいませんでした」
「あら、手、大丈夫ですか?」
「暫く使うなって言われたんですけどね。たぶん無理ですよ」
「え?」
「ああ、いや。お妙さんこそ、どうしてここに?」
 布団の中で横になり、呼吸も静かに目を閉じる銀時はよく眠っているらしい。布団を挟み、お妙とは正反対の場所に座る。
「新ちゃんに頼まれたんですよ。それから、みつるぎさん……って方がいらっしゃってましたけど」
 自身の横になぎ刀を置き、すと姿勢を正すお妙。
「そいつは俺の知り合いの医者ですよ。腕は確かなんで、まあ治療の心配は無いと思います」
「そう……」
 真剣に銀時を心配している為か、ひっそりと眉が下がる。

 愛されてるなあ。小さく俯くは落ちてきた前髪を手の甲で何とか掻き上げようとしたがうまくいかず、諦めた。
 新八にせよ神楽にせよ様々な人々にせよ。口では喧嘩をしていようとも本気で彼を嫌ってはいないのだ。これは彼の何がそうさせるのだろうか。
(わかってんのか、銀。お前いい女泣かせようとしてるんだぞ)


 しばらくお妙と二人で他愛のない雑談に花を咲かせ――かなり一方的にお妙が話していたが――やがてその騒々しさに眠りが浅くなってしまったのか。うっすらと銀時が目を開けた。蛍光灯が眩しいのか目をぱちぱち瞬かせている。
「あ、気がつきました? よかった」
 緊張で小さく息を詰めていたのだろう、お妙の表情が和らいだ。
「大丈夫ですか? 意識しっかりしてます?」
「あー……」
 銀時は一度ぐっと目を瞑り、開いた。ついと視線をお妙に向ける。
「……なんでお前ここにいんの?」
「新ちゃんに頼まれたんですー」
 笑顔で畳の上のなぎ刀を取り上げる。
「なんで看病する人がなぎ刀持ってんの」
「絶対安静にさせるようにってお医者さんにも新ちゃんにも言われたんです。脱走しようとしたら止めてくれって」
「……止めてくれって、何を」
 それにはもお妙も答えず、沈黙が降りようとする空気を打ち破るように、少しばかり手荒にお妙がなぎ刀を置いた。

「はあ。てか銀、よく寝てたな。俺の方が重傷ぽいけど」
 ほーれと両手を銀時の頭の上にかざす。それを見た銀時が小さく眉をひそめるのが、には分かった。
「あとねー、肋骨ヒビ六ヶ所だってさ」
「――悪かった」
 素直な謝罪には思わず手を引いた。予想外の反応だった。の予想では、俺はこのぐらい、と冗談まじりの自慢で返してくると思ったのだ。
「あ、ああ、いや、別に俺も自分からやったわけだし」
 軽く握った両手は、膝の上に。視線は銀時の枕の一歩手前に落ちる。こんな怪我、自慢なんてする意味もない。
 馬鹿だな俺。す、との目が伏せられる。

「そうだ、さん。新ちゃんから預かったものがあるんです」
 視線を上げたに、お妙は懐から二つに畳まれた紙を取り出した。それを受け取り、開くとそこには新八の字で四行、書かれていた。は目を通すと折り線通りに畳み袖の中に入れる。
「ありがとう。じゃあ、ちょっと外、出てくる」
「ちょおい待て。なんて内容だったんだよ」
「それは、秘密。じゃあねー」
 さっさと立ち上がると、玄関へ向かう。起き上がろうとする銀時をお妙がなぎ刀で止める音が、の背後で聞こえた。


 しとしと。雨脚は強くないが、重く垂れ込めた雨雲は暫く晴れそうにない。
(あー、傘持つのも痛いなコレ)
 だが耐えられないほどの痛みではなかった。人を避けながら歩き、目的の場所を探す。
 歩きながら考えるのは今回の事件のこと。
 ああ、嫌な感じがする。胸の奥がざわざわと騒ぐ。良くない事の前兆だ。
 けれどしかし、は分かっていた。これが誰の手によって引き起こされたものなのかを。

up08/05/06

タイトルお借りしてます→ 氷雨