出たな。来やがったな。
 覚悟はしていたつもりだった。例えどんな現れ方をしても、自分は冷静で平静でいられると思っていた。しかしどうだ。自身の予想以上に、は揺れていた。目の前の高杉を凝視しながら。
 背中を冷や汗が伝い、その気持ち悪さには小さく身震いをする。――決して威圧されたわけではない。

 高杉は自らを囲む人々を一通り眺め、ふっと片方の口元だけを上げ笑った。
「晋助様!!」
 の背後で女――いや、また子が歓喜に叫んだ。ついと高杉の視線が動く。鋭い視線がを射貫いた。無意識には、は、と短く息を吐く。
「久しぶりじゃねぇか、」
 
 全てを言い終える前に、高杉は無理矢理に言葉を切った。
 頭を飛ばされたエリザベスの下半身から桂が飛び出したのを、は確かに見ていた。そして彼が腰の刀を抜き高杉に斬りかかり、高杉はその勢いで後ろへ倒れた瞬間も。

 あの場所に桂が潜んでいたなど、誰も思ってもいなかったのだろう。ある者は絶句し、ある者は目を剥いた。
 は彼の背中まであった黒髪が、今では肩に着かないほどの短さになっていることに驚いていた。
 また子は慌てて高杉の元に駆け寄り、抱き起こす。だが高杉はそんなまた子の腕を振り払い、自らに斬りかかった男を見る。
「……死んだ奴にまで会えるとはなァ」
 そう吐き捨てた後懐に手を入れ、引き出す。その手には一冊の本があった。ただし、無残にざっくりと切られた跡がある。
 それを見た桂が目を細めた。

「お前もまだ持っておったか」
 桂も懐から同じように深い傷の入った本を取り出す。
「あの人斬りめ、よほど興奮しておったらしい。斬りつけた後、確認もせずに髪だけ刈っていきおった」
 ふん、と鼻を鳴らす。

 予想外の登場にあたりはざわめいているが、は彼の背後に人影があるのを見てぎょっとした。新八と神楽がもの凄い形相で立っているのだ。
「あ、おま……」
 何をやろうとしてるんだ。と止めようとしたが遅く、ふたりはそれぞれが桂の足を引っつかみ、勢いをつけてぶんぶんとまるで丸太のように振り回し始めた。
「ちょああああああ!?」
 回転の速さに桂が叫ぶ。だがふたりは、回し続けた。
 あまりにも激しく回すので、周りを取り囲む男達は近寄れない。も、被害を避けるため後ろへ下がっていた。
「あたしらがどれだけ探し回ったと思ってるかこんのヅラあああ!!」
「しかもエリザベスに変装してましただぁ!? ふざけんなああああ!!!」
 本音をぶっちゃけた叫びに、は現状を忘れて呆れていた。めちゃくちゃだ。けれどそれは的確に自分の気持ちを代弁しており、少しだけすっきりしたのは確かだ。
 いい加減気が済んだのか、唐突にふたりが手を離す。もちろん桂はいくらか吹っ飛び、甲板に激突した。その時激しく奇声を発していたがそれどころではない。それに巻き込まれてまた子や武市が吹き飛んでいくのが見えた。

 高杉がを見ていた。視線を反らしたくなる衝動を押し殺し、は再び刺すようなそれを受け止めて睨み返す。周りの雑音が遠ざかっていくような感覚、ぴりぴりと肌を刺す殺気。どこか懐かしいそれに脳の奥が熱を持つ。冷ややかに高杉が言い放つ。
「まさかこんな所にいるとは思わなかったなァ」
「俺も、まさかこんな所で会うとは思わなかったな」
 頭はこの先の狂喜を期待しているのか段々と熱くなっている。しかし身体は、そうではなかった。手袋の下の両手は冷たく冷えきり、膝は微かに震える。
 視界の端で桂がすぐ側まで歩いてくるのが見えた。
「新八、神楽、ここはお兄さん達に任せとけ。ちょっと今どうなってるかわかんないけど、銀時のヘルプ頼む」
 振り返りもせずには告げ、繋がる鉄線を手元へ戻す。
さん……!」
「新八、行くアルよ!」
 神楽が新八を引き摺り、走り出す。その足音には目を閉じ、息を吐く。――遠ざかっていた音が戻った。怒声、罵声と共に金属のぶつかり合う音、何かが軋む音、風を切る音……様々な音が押し寄せ、の耳へと迫る。その音たちが、懐古に飛びかていたの意識を引き戻した。それと同時に身体の痛みも思い出す。疼痛を訴える脇腹に、指の痛み。無視できない程ではない。

 瞼を押し上げ、高杉を見た瞳には揺れがなかった。紺色が迷う事も無く強い意志を持って高杉を射貫き、その目を見て高杉は不満そうに頬を歪める。
「なんだ、その目は」
「別に?」
 腕を振り、短剣を取り出す。それを高杉へと向けると、周りを遠巻きに群がっていた男達が殺気立つ。隣に立つ桂が制止の声を上げる前に、高杉が腰の刀へ手を伸ばした。
……!」
「ヅラは退いてろ、邪魔」
 言い終わるが否や高杉が飛び込んできた。抜刀の勢いをそのままに斬りかかられるが、はステップで回避。脇腹めがけて短剣を振り抜くが、跳ね上がった鞘で防御される。軸足を元にその場で半回転。背後の死角から狙うが弾かれる。速い反応には舌打ちをする。真上から振り下ろされた白刃を短剣で受け、弾き返そうとするが押し込められた。凶悪な笑みを浮かべて高杉が笑う。
「江戸に居やがったのか、お前は」
「まあ、ね」
「――
 不意に真剣な目で、高杉は声を潜めた。は何故そうしたかの予想が付き顔を顰める。先手を打ってしまおうとするが押し込められる力に反発できない。ぎしぎしと身体が軋む音が聞こえる。
 高杉が何か言葉を紡ごうと口を開いた瞬間、空を切る音がした。瞬時に高杉は後ろへ飛び退き、も身体を捻って風を切った物を避ける。それを放った人物には驚き声を上げた。
「桂!?」
「私を忘れていただろう、貴様!」
 うん忘れてた。口から出そうになるのを押さえ、ぷんぷんと怒る桂の隣に立つ。下段に刀を構えた桂は、声を潜めてに囁く。いつになく固い声に、桂も何かしら感じて居るのだろうとは思う。
「あやつと何があったかは知らんが、一先ずあれを何とかしない事にはここから出られそうもない」
「……分かってら。紅桜の方は多分銀がいってるからいいか」
「ああ。久方ぶりの共闘といこうではないか」
「――あいよ」
 苛立ちが混じった鋭い視線で高杉は二人を見ていた。


up10/04/05

タイトルお借りしてます→ 氷雨