がさり。
静かな森には、その音は酷く大きく響いた。ギンコは蟲煙草を燻らせながらその音を聞いていた。
(獣か?)
兎かそこらだろうと見当を付け、特に興味もないまま山道を歩く。しかし目の端に白い物が映った。ふと其処に何がいるのか気になって、ギンコはそちらに足を向けた。
木々をかき分け白い物に近づくと、それはあっさりと見つかった。人が倒れていたのだ。
しかしその見かけは、普通とは言い難かった。広がる長く白い髪。身にまとっている着物から見える腕等を見て、老人ではないことを確認した。
着物は泥や土で汚れており、長時間森にいたことが分かる。俯せで倒れているので、顔はよく分からないが若い男のようだ。
ギンコはその倒れている人物の近くに膝をつき、肩を揺さぶった。
「おい、あんた。大丈夫か」
しかし返事はない。尚も揺さぶるが、反応が返ってくることはなかった。だが死んでいるわけでもない。耳を澄ませれば微かに呼吸する音が聞こえる。
「……仕方ねぇな」
見捨てるわけにもいかない。ふうと一息つくと、ギンコは背負い箱を下ろした。
が目を覚ますと、一人の男がやや離れた場所で煙草をふかしている。その男も自分と同じような髪の色をしているのを見て、珍しいと思った。
どうやら自分は木にもたれ掛かっているらしい。記憶が途切れる前は立っていたはずだが、偶然この体勢になったというのはあまりにも偶然すぎる。目の前の男が自分を運んでくれたのでは、とは思う。
ふとは視線を落とした。着物の裾から覗く右足首が布で巻かれていた。不思議に思い右足を曲げようとすると頭の頂点まで貫くような激痛がはしった。
「っ、う!」
その呻き声で気がついたのか、男が――ギンコが振り向いた。
「よう、起きたか。やっぱり足痛いか?」
蟲煙草を咥えたまま立ち上がり、に近づく。
「け、結構、痛、い」
のすぐ近くにしゃがみ込むと、布が巻かれた足を見る。ふむ、と呟いた。
「わりぃな、俺は薬師じゃないもんでな」
「あんな背負い箱背持ってる、のに?」
つい、とギンコが顔を上げてを見た。その時、ようやくギンコはの顔をまともに見ることになった。
顔に付いた泥やらを拭っているときに気がついていたが、やたらと肌が白い。そして、瞳の色が紅いのだ。今は乾いてやや黒くなったような血の色をしている。だが、時折木々が風に身を揺らし、木漏れ日が差し込むと鮮やかな紅になるのだ。
「俺は蟲師なんでね。人の怪我は管轄外なのさ」
「むしし?」
まるで子供のように聞き返して、こてりと首をかしげる。
「詳しくは後で教えてやるよ。――近くに俺の知り合いがいるんだ。そこまで行けばちゃんとした手当が受けられる。もうしばらく歩くことになるが、構わないか?」
返事をする代わりには頷いた。
「そういやまだ名乗ってなかったな。俺はギンコだ」
「ギンコ、ね。俺は」
、とギンコは口の中で小さく呟いた後、立ち上がった。に手をさしのべ、立つ手助けをしてやった。
海辺の村までは、右足の使えないに肩を貸しながら進むことになった。
(……細いな)
ギンコはふと思う。掴んでいる肩も薄い。女ほどではないが、男でここまで細いというのは珍しいのではと思う。
何か病気なのだろうか。ならば、この容姿も納得がいく。
「見えてきた」
転ばないように足下ばかり見ていたが顔を上げ、目を細めて遠くを見た。
「ほんとだ。……海のにおいがする」
「そりゃあ海があるからな」
「はは、そうだよね」
短くは笑った。すうと空気を吸い込み、潮の香りを満喫しているようだった。
「ほら、歩くぞ」
ギンコが促すと、は慌てて足下に注意を向けた。
「化野。おい、あーだーしーのー」
ひとつの屋敷の前でギンコは大きく叫んだ。やがて、がらりと玄関の戸が開いた。
「はいはい何だい。……ほお。ギンコ、お前が誰か連れてくるのは初めてじゃないか?」
出てきたのは、人の良さそうな笑顔で片眼鏡をかけた化野だった。ギンコの肩を借りているを見て、にかりと笑った。はつられて小さく笑う。
「何考えてるかは知らねえが、こいつは怪我してる所見つけて連れてきただけだぞ」
ギンコがそう言うと、ちっと化野のは大きく舌打ちをした。の隣で、ギンコがまったく、と呟く。
「足怪我してんだ。診てやってくれないか」
「構わんが」
化野はひょいと身を屈めの足を見た。ふんむ、と呟く。
「よしギンコ。部屋まで連れていってくれるか」
ぱっと立ち上がると、化野は家の中に入っていった。
「行くぞ、」
あたりを見ていたは、ギンコの声で自分の右上にある顔を見た。
「うん。さっきの人は?」
「化野っていってな。まあ俺の昔からの知り合いだ」
「へぇ」
「ほら歩くぞ」
up08/12/13 加筆修正 08/04/22