が化野の家に世話になってから、もう一週間ほどになる。怪我をした足もすっかり良くなり、今は化野の手伝いをしている。さながら家政婦のようだが、本人はそこそこ楽しんでいるようだった。
ギンコもまだ留まり、時折他愛のない会話に三人で花を咲かせていたりもする。
暖かく過ごしやすくなってきた昼下がり。化野は自慢のコレクションの手入れに余念が無く、ギンコはといえば蟲煙草を燻らせながら縁側で庭を見ている。
肝心のはと言えば、あまり手入れの行き届いていない化野宅を掃除していた。隣の倉はやらなくて良いと言われ、何故かと聞き返すとお気に入りのあれこれが詰まっているからと答えられた。では仕方ないとは住居を徹底的に掃除することにしたのだった。
化野の本業は医者であるはずだが、立派な収集者になっている。薬棚の埃を払っていると謎の桐箱が見つかったり、一体どうやって使うのかさえ分からない道具が並んでいたりする。
声をかけて倉に移動させた方がいいのかは迷っていたが、あとで纏めて聞くことにした。
「すみませーん」
玄関から女性の声がした。
「はい」
短く返事を返し、が玄関へ向かった。
襷を外しながら玄関へ向かうと、親子らしい女性と目に目一杯涙をためた少年が立っていた。
「どうしました?」
「この子が派手に転んでしまって……怪我が酷いので化野先生に診て貰いたくて」
心配そうに母が子をのぞき込む。確かに、左の膝小僧がずる剥け、だらだらと血が流れている。見ているだけでも痛い。
「分かりました。ここの部屋で待っていてください。呼んできます」
玄関正面の部屋に親子を入れ、は化野の元へ走った。
「化野せんせ!」
すぱん、と小気味よい音を立てながら、は襖を開けた。
中には何事かと驚いている化野がいた。周りには用途不明の物が沢山並べてある。手入れ中、もしくは鑑賞中だったらしい。
「なんだ、。どうした?」
「急患です。お向かいのお隣さんの息子さんが左膝怪我して、結構血が」
ふむ、とひとつ呟くと化野はよっこらしょと立ち上がる。方眼鏡をかけ直し、首を回す。
「まあたあそこの坊ちゃんか。――まあいい、どこだ?」
「玄関前の部屋です」
「おし。包帯持ってきてくれ」
化野は指示を出して部屋を出て行った。
は棚から巻かれた包帯を取り出した。そしてふと、確かあそこの部屋は消毒液が少なかったのではと思い出す。薬棚から消毒液も取り出し、化野を追った。
が部屋に着いたときには、すでに診察が始まっているようだった。
「骨は大丈夫そうだな……。――ありがとう、」
化野の道具箱の近くに持ってきた物を置くと、視界に入ったのか礼を言われた。いえ、と小さく返す。
新しい消毒液の蓋を開け慣れた手つきで傷口を清めていき、あて布をしてから包帯を少年の膝に巻いていった。
「子供ですから、血が止まってかさぶたが出来たらもう大丈夫ですよ」
道具箱を早々と片付けながら、母親に化野が笑顔でそう言った。
「そう、ですか」
ほっと安堵した顔。膝にぐるぐる巻きにされた包帯を、物珍しそうに見つめる少年の肩を母が抱く。
「よかったね、すぐ元気になるって」
「早く走りたいよ」
息子の肩に手をやりながら家へ帰っていく親子を見送って、は呆然と、自分の両親のことを思い出していた。
とても優しかった二人。自分の為を思って、いろんな物を捨ててくれた二人。あの出来事さえなかったら、きっと今でも自分は両親と一緒に辛くも楽しい日々を過ごしていたのだろう。
もう、二人に出会うことさえ出来なくなってしまった。次会うときといえば、死んだときだろうか。
玄関に立ちつくしているを化野は認めると、そっと足音を押さえて近寄った。こっそりと視線の先を盗み見れば、今し方手当をしてやった親子の姿が見えた。
ふい、とが化野の方向に顔を向けた。そこに化野がいたことに少々驚いているようだったが、いつもの口調で話し始める。
「化野先生、どうかしたんですか? 何かご用でも?」
「いや……。あの親子がどうかしたのか」
質問を質問で返され、きょとんとする。しかしすぐに、照れてはにかむ。
「あの二人を見ていて、両親を思い出してたんです。俺にも、あんな時があったなあ……って」
そこで化野は、ようやく彼が幼いときに両親を失っていたことを思い出した。のはにかみには、どこか寂しそうな色がある。遠い想い出を思い出しているのだろうか。
すっとが顔と視線を反らし、遠くを見る。その遠くを見る紅い瞳はこの景色を映しているはずなのに。なのにどこか遠いもののように感じてしまい、の存在が酷く希薄な物に感じられ化野はの腕を掴んだ。
「っ、化野先生?」
突然腕を掴まれた事とその痛みに、がはっとして化野を見た。
「わ、悪い」
化野はぱっと手を離したが、どうしたのかと心配するの視線は離れなかった。
「せんせ、消えたりしませんよ、俺」
思っていたことを口にされ、びくりと化野は身体を震わせた。
「母さんに言われたことあるんですよ。お前はちょっと目を離すと消えちゃいそうだ、って。それなのかなー、と思ったんですけど、そうでした?」
「あ、ああ」
するとはにこ、と笑った。いつものように。
「大丈夫です、消えたりしませんから。人間が消えるなんて、そんな馬鹿な話ありませんって」
あ、そろそろ俺夕飯の支度しますね。
そう言い残すと、ちいさく頭を下げて廊下を歩いていった。
「……」
ぽり、と僅かばかり赤くなった頬を掻き、化野はの鋭さに感心していた。あそこまで言い当てられてしまうと、逆に恥ずかしくなってくる。
「化野ー。おーい」
と、ギンコの呼ぶ声が聞こえた。もう少しぐらいはあれこれと考えていたかったが、早く行かなければ五月蠅いだろうと、化野はギンコの元へ向かった。
up08/12/13 加筆修正 08/04/22