風が吹く。ひどく乾燥してからからに乾いた風が、一面の砂漠に吹き荒れる。 一人の人間がその砂漠の中歩いていた。黒いロングコートを着ている所為もあり、かなり白の混じっているため灰色に見える髪が映える。 背中に担いでいるのは大きな十字架だった。布でぐるぐる巻きにされ、さらにその上からベルトで締められている。男はそのベルトを掴んで担いでいた。 茶の瞳が見据える遙か先には、街が小さく見える。ふうっと息を吐くと、歩を早めた。 なんとか日暮れ前に着いた街は決して大きいとは言えなかった。だがそこそこの活気があり、プラントもそこそこの数があるようだ。 安宿に一部屋取り、邪魔になる荷物は部屋に置き酒場へと出かけた。 ぎい、と音を立てて酒場のドアが開く。途端、賑やかさが耳をついた。 カウンターへ行き、適当に酒を頼むとそれを持ってテーブルへと移動した。まるで最初から目を付けていたかのように真っ直ぐ、一人の男が居るテーブルに近づき酒瓶とグラスを置き尋ねる。 「ご一緒しても?」 すると、黒の服の中に白いシャツを着込んだ男は顔を俯かせていた顔をやや上げながら返した。 「――ああ」 それを聞いてから椅子を引き座ると、まずは素手で酒瓶を開けてグラスになみなみと注いだ。 しばらく動かなかった目の前の黒服の男がばっといきなり顔を上げ、そして目の前にいる灰色の髪の男を見た。 「っ、おどれ……!」 途端殺気立つ男に、灰色の髪の男はグラスを掲げながら口元をゆがめた。 「やあ、ニコラス?」 歪められた口から紡がれた自身の名前を苦い思いで聞きながら、ウルフウッドは呻くように絞り出した。 「なんで貴様がここにおるんや、……!」 と呼ばれた男は、グラスをテーブルに戻しながらがりがりと頭をかいた。そしてウルフウッドに視線を向けた。 「何でかと聞かれたら、そーだな、仕事? だーいじょうぶ、この街で暴れたりはしないからさぁ、ほら、殺気は消してくんないかな」 いったん言葉を切り先ほどテーブルにおいたグラスを取り半分ほど一気にあおった。そしてかんっ、と音を立てて再びテーブルに戻す。 「やっぱり痛いんだよねぇ」 グラスの縁を一周ぐるりと指先でなぞり、ウルフウッドを見た。自分を見てくる瞳を見て、ウルフウッドは眉をひそめる。 茶色の目が、天井からの強い光を受けて金に輝いていた。光の加減で茶にも金にも見えるこの瞳は、ぎらぎらと光る金を見てしまうとしばらく忘れられそうもないほど印象的な色を放っている。 その目が、嫌なほど真っ直ぐにウルフウッドを射抜いていた。 ニコラスは咥えていた煙草を摘み、乱暴に灰皿へ押しつけて火を消す。 そして完全にとはいかなかったが、ずいぶんと薄れた殺気には微笑んだ。 「どーも」 その微笑みを、複雑な思いでウルフウッドは見ていた。 「……」 「でさあ、本部と連絡が途絶えてもう一年とちょいちょい経つけど、何やってンの?」 はグラスを手に取り、緩く回す。その回転に合わせて、中身も揺れる。依然として警戒心を解かないウルフウッドは黙ったまま。 やれやれといったように軽く肩をすくめると、グラスに残った半分を飲み干す。 「……テンション下がるなぁ」 左手でがりがりと頭を掻くと、まだなみなみと酒の残ったボトルを持って席を立った。 「ま、また会うだろ。そン時はよろしくお願いしますぜ」 そう言い残し歩いていくの背中に何かの影が重なってしまうのを、ウルフウッドは苦い思いで見つめていた。 は部屋に戻ると、ボトルと一緒に店の備品であるグラスまで持ってきてしまったことに気がついた。まあ明日ここを出るときに返せばいいだろうと思い、その2つを持って窓辺に立った。 なみなみとグラスに酒を注ぎ、闇夜を照らす月に小さく乾杯する。ボトルを窓の縁に置いて先ほど会ったことを思い出す。 しばらく会っていなかった所為だろうか。あの口調が嫌に懐かしく思えた。 おもむろに上着の内ポケットから煙草を一本だけ、そしてマッチを取り出した。ボトルの隣にコップを置き、煙草を咥えた後マッチを擦って火を付けそれを煙草の先端へ持って行く。煙草が微かな紫煙を立ち上らせ始めたのを確認すると、マッチを振ることで火を消した。 半ばまで黒く炭化したマッチを窓の外に放り投げ捨て、ぷかぷかとふかす。 月がこんなに明るい日は仕事中だと行動し辛い要因になるが、そんな事を取っ払ってしまえばこんな日も悪くないとは思った。 灰色の髪は月明かりをよく反射する。その灰色の前髪の隙間から鋭い瞳が遠くを見ていた。 眩しい光によっては起こされた。対して寒くも無いというのにシーツをぐるぐると体に巻き付けて寝ていたらしい。目が覚めたのは寝苦しさのせいか? 目をこすりながら起き上がると、そう言えばカーテンを閉めるのを忘れていたということを思い出した。まあ早起きが出来たからよしとする。 シーツから抜け出すと、すでにぬくもり始めた空気を大きく吸い込んだ。ひとつ背伸びをすると、身支度を始めた。 朝食代わりのドーナツを咥え、でかい荷物も背負う。街を出ようとしたが、ふと歩みを止める。 「何の用かな、ニコラス」 その口元には、微笑。先日の時とは違い楽しそうに口元を歪めている。食べかけのドーナツをすべて口の中に押し込み、飲み込む。 「その、パニッシャー」 昨日と変わらない姿のウルフウッドが背後に立っていた。彼の手にも、パニッシャーが。 ずいぶんと距離は離れているが、二人を包む空気がピンと張り詰めるのが分かる。 「いつもろうたんや」 「さあ。忘れた」 振り返りもせず、あっさりと答える。 「どこに」 「あのさぁ」 ウルフウッドの言葉を遮って、は話を切り出した。 「余計な詮索、必要ないよな?」 ちらりと肩越しにウルフウッドを見る。咥え煙草だ。眉をひそめて苦い顔をしている。 「……ちっ」 ひとつ舌打ちすると、踵を返して歩いていった。 「心配性なのは変わらないねぇ」 皮肉を込めてはそう呟いた。 彼は優しい。けれどそれが過ぎることがある。 しかしそれは自分の関係無いことだと割り切ってしまえばすむことだった。ならばは切り捨ててしまう。 僅かなとっかかりが心にあるのを知らずに。 次の町までは半日も歩けば着いてしまう。組織に所属しているとはいえ移動費生活費が下りるわけではないので、所持金は大切に使わなければならない。 バスを使う事より、彼は徒歩を選んだ。水も食料も多めに買い込んでいる。しばらくは餓死する心配もない。 見渡す限りの砂漠。乾燥しきった空気。濃い空。浮かぶ雲。 この世界は、人間が暮らすには難しい環境だ――。今この世界はプラントに頼っていかなければ生きていけない。 少なくなり続ける人口に拍車を掛けるように、同じもの同士で殺し合う人間を彼らはどう思っているのだろう? 背負った大きな十字架を背負い直す。十字架を背負いながら、身につけながらも罪を犯す。懺悔などせず、それが当たり前だというように。 そうやって、生きてきた。それが当たり前なのだと叩き込まれ教え込まれた。体の芯まで染みこんだ習慣。ちょっとやそっとじゃ反抗できないようにインプットされ。 どうでもいい思考に、は頭を振ってその考えを思考の隅へ追いやる。吹き付けた風に黒いコートがはためく。 砂漠を当てもなく――いや、きちんと目的地は定まっているが――歩いていると、そこは風の音と砂を踏むじゃりっ、じゃりっとした音しか聞こえない。世界が自分一人になったような感覚。 この広い世界、一人で生きていくには寂しすぎる。 up08/01/20 |