うららかな昼下がり。適度にふくれた腹と、いつもと同じような空には軒下で欠伸を一つついた。
 さて。
 ふらり特に用事もなく街に来たはいいが何をしようか。だらだら過ごすのも悪くないかもしれない。だが時間がもったいないという気の急きもある。

 目の前には丸い広場がある。真ん中には涼しげに水を吹き上げる噴水があり、その噴水の近くに置かれたベンチに一人の男が座っているのに気がついた。
 ツンツン頭。赤いコート。
 今有名の人間台風の情報と同じ容貌の男が。
「(まさか、な)」
 そんな訳がない。そう思わずは否定する。あんな隙だらけの優男で、しかも呑気に箱入りのドーナツをにこやかに貪っているのだ。
 でも、もしも、そうだとしたら。
 服の上からそっと自身のハンドガンに触れる。ここから狙い打ったならば、あっさりと打たれてしまいそうだ。
 その賞金には興味がなかったが、名が広まっているものをこの手で消すという作業は嫌いではなかった。

 そんな事を意識してか意識せずか、ふらりと足がそのベンチに向いた。
 ヴァッシュ・ザ・スタンピード……らしき人物が座る端とは反対の端に腰掛ける。こうして座ってみると、後ろにある噴水からの細かい水しぶきが気持ちいい。
 背もたれに寄っかかり空を見上げる。吹き上げられた水しぶきがきらきらと光を反射している。
 突然やって来たに、赤いコートの男はちらりと視線を向けた。暫くじいと見た後、手にしていたドーナツの残りを胃に収める。

「いい天気ですねー」
 と、男が空を見上げながら言う。
 確かに天気はいいが、は生まれてこの方天気の悪い日など、ほとんどと言っていいほど見たことがない。
 てっきり誰かと会話をしようとしていたのだと思っていたが、返事が聞こえない。男の方を見ると、まだドーナツの入った箱を抱えてこちらを見ていた。
「……今の俺に対して?」
「そうそう。無視されたのかと思ったよ」
 へら、と笑う顔は緊張感もあったものではない。はあ、と思わず適当に返してしまう。
 彼が抱えている箱には、ドーナツ二四個入りと書いてある。中身はもう一、二個残っている程度だ。とすると、二ダース近くも食ってるのか。
 甘い物は嫌いではなかったが、さすがに量が多すぎると胸焼けを起こしそうになる。目の前のがそれだった。

「あ、一個食べる?」
「……いや、十分……」
 じっと見ていたのが分かったのか、箱から一つつまみ出してに差し出してきた。さり気なく胸を押さえながら視線を反らし、断る。
 つまみ上げたのを箱に戻すかと思いきや、そのまま口に運ぶ様子を見て、は見ているだけなのに本気で胸焼けを起こしそうになってしまう。

 ああ、やだやだ。俺は適度に適量がいいの!
 訳の分からなくなってきた思考をぶんぶん横に振りなんとか正常に戻すと、足を投げ出した。
 それでもこの場を立ち去るという頭はなく、ただ何をするでもなく、目の前を通りゆく人々と流れていく雲を眺めていた。

 満面の笑みで走りながらじゃれ合う子ども達が目の前を通り過ぎる。
 一杯に詰まった紙袋を抱えて女達が目の前を通り過ぎる。
 若い男女が、楽しそうに談笑をしながら目の前を通り過ぎる。

 何の感情も見られない目で、はそれらを見ていた。
 平和。誰もが望んで止まないもの。
 けれどはこの世界全部が平和になることなんてあり得ない、と考える。
 人が集まればその分だけの考えがある。上手くいなすことが出来ればよいが、そうできない者達もたくさんいる。
 人が集まれば集まるだけ、諍いの種は増えていくわけだ。

「ねえ」
 あれこれ考えている最中に、隣の男が声を掛けてくる。
 折角考え込んでいたのに。思考を一旦中断し、男の方へ顔を向けた。ドーナツの入っていた箱は綺麗に潰されていた。
(うわ、こいつホントに二ダース喰いやがった)
 収まっていた胸焼けが再発しそうになって、すぐに視線を反らす。
 す、と男の腕が上がる。それが自分の頭に向かってくる――

「ん?」
「……」
 彼の手が自分の頭に触れる直前で、その手首を掴み動きを強制停止させていた。
 少々驚いたような顔をして、男は僅かに首を傾げた。
「ごめん、触られたくなかったかい? 珍しい髪してるから、ちょっと触りたいなーとか思ったんだけど」
 その言葉は、にとっては理解不能。何故触りたいのかが分からない。
 けれど特に危害を加える様子も気配もない。手首を掴んでいた手を離す。
「……いや、悪かった。別に触られるのが、嫌いって訳じゃない」
「じゃあいい?」
 が小さく頷く。ありがとう、と男は言うとの髪に手を伸ばした。

 最初はごく控えめで撫でるように、けれど次第に手櫛で髪を弄られる。
「黒と白のまだらだね。苦労してんの?」
「まあ、一応、かなり」
「そお」
 一通りわしわしと触って気が済んだのか、男は手を引いた。そして潰された箱を取り上げると、ベンチから立ち上がる。
「ありがとう。でも、もうちょーっと髪の手入れはした方がいいんじゃないかな」
「髪に金かけるなら食費か寝床に注ぎたいね」
 大きく肩をすくめながらが返すと、男は笑う。
「確かに。――それじゃあ」
 男は片手を上げてに短い挨拶をした。堅い靴音を鳴らしながら、彼は街の中へ消えていった。


「……あいつが、ヴァッシュ・ザ・スタンピード……?」
 だとしたら、なんてお気楽屋なんだ。
 ぽつり、が一人呟いた。


up08/01/20