ぴりっと皮膚が裂ける音が聞こえた。
「――っ、痛っ」
は眉を顰め手を引っ込める。鈍い痛みに口元を引きつらせながらオーラを引っ込め、ボックスに兵器を戻す。やってしまったと思いながらそっと手を見ると、両手の人差し指と薬指の先が裂け血が滲んでいた。戦闘が終わった後で良かったと心底思った。戦闘中尤も酷使する指なので、仕方ないと言えば仕方なかった。
「大丈夫? 。って、うわっ、痛そ……」
先ほどの小さな悲鳴を聞き駆けつけてきた綱吉――ボンゴレ10代目が、血をだらだら流す指先を見て半歩引きかけた。
「あー、ボス……申し訳ない。ちょっと何か布があればお借りしたく……」
「う、うん、もちろん。ちょっと待ってね」
頬に泥汚れを付けた綱吉が黒スーツの上着を漁り始める。の背後で男のうめき声がよっつ、むっつほど聞こえた。
やがてばっ、と綱吉が引っ張り出してきたのは白いハンカチだった。それを容赦なくふたつに裂き、さらに裂こうとしてが止めた。
「一枚しか無くてごめんね……もっと持ってくれば良かった」
「いやいや、一枚で十分ですよ」
しゅんとしょげる綱吉にが笑いかける。傷が地味に痛かったので、若干引きつってはいたが。
場の後片付けは他の男達に任せることとなった。てきぱきと綱吉は指示を出し(の指に布を巻きながら、だった)、ふたりは取引会場だった小さな家を後にした。
こういうときに限って、他の守護者が他件でいないのだ。そのお陰で、秘書役のが護衛代わりとしてあちこち綱吉に着いて回っている。
今回も他のマフィアとの取引だったはずだが、話を進めていく内に何故か向こうがキレはじめ、ついには銃の撃ち合いになってしまった。こちらの話を聞こうとしなかったために、実力にて黙って貰った次第だった。
「なめられたんですかねー……」
人差し指と中指をまとめて巻かれたため、スケジュールの書き込まれた手帳が捲りにくいことこの上ない。それでもようやく目当てのページを見つけ出し、ペンを引っ張り出し欄へ書き込む。
「何が?」
突然の呟きに、隣で手元の資料に目を落としていた綱吉が顔を上げ、こてりと小さく首をかしげる。
「いや、いつもはもう少し人数連れて行くとこを今回はふたりで入ったじゃないですか。まあ外で待機させてましたけど。途中から話が脱線していったのもあっちがキレていったのも、こっちがなめられてたからなのかなーと思いまして」
この話題を振ったのが獄寺であったなら、勢いよく「そんなことありません!!」と非常に元気よく返してくれただろうが、相手は綱吉だった。
「うーん、そうかもね……。初めての所だったし、ほら、結構ボンゴレと距離遠いし」
「次からは注意しましょうね……」
「そうだね」
運転手は突っ込みをいれたくとも、ほんわかとした空気にタイミングを逃したようだった。
暫し車内にはペン先が紙を滑る音と、紙を捲る音だけがしていた。かちり、と小さな音を立ててペンのキャップを閉める。
「よし。……ボス?」
書き込みを満足そうに見下ろしたが、隣からの視線に首をひねった。どこか寂しそうな悲しそうな、そんな目をした綱吉がの手をじっと見ていた。
「……ボス?」
「え? あっ、何、」
「じっと何を見てるのかと」
「ああ、うん。いや、指痛そうだなあーっと思って」
の指に視線を落とす綱吉の表情は暗い。布に血がじわりと滲んでいる。
小さく苦笑して、は大丈夫ですと手を挙げた。
「別に相手の攻撃を受けて怪我した訳じゃないですから」
「うん、そうだろうとは思ってたけど……」
自分のボックス兵器についてほとんどと言っていいほど話してはいなかったので、なるほど超直感か、とはふと思う。でも、と綱吉は渋る。
「自分が怪我するって分かってるのに、どうしてあれ、使ってるの?」
年に合わない、大きな瞳がじいっとを見つめた。
マフィアという裏社会で生きている身だというのに、彼の瞳はあまりにもまっすぐで汚れを知らないようだった。その眩しさに目を細めながら、は上着に手を入れボックスを取り出す。もう随分の付き合いになるが、外装は綺麗に保たれている。
それを掌に転がす。深い群青色は好きな色だった。
「俺は……ボンゴレの守護者達に比べたらずっと弱い。もちろん、ボスよりも。随分前に、強さを求めていろんな武器を試したんです。剣はもちろん、銃や打撃武器も試したけれど……しっくり来なかった」
ボックスを軽く握る。綱吉は何も言わず、静かに聞いている。それがありがたかった。
「と、まあ結局は始まりのこのボックスに戻ったって訳ですよ。たまに指は切れるけれども、一番使いやすい。まあ、俺の使い方が良くないのかもしれないですけど」
そうしては、でももう慣れましたと指を振りながら微笑む。ふ、と綱吉の表情がくしゃりと歪んだかと思うと、勢いよく手を両手で握られた。
「っ!?」
「は弱くなんかないよ。さっきだって、のサポートがあったとなかったじゃ全然違うし!」
両手の中にある血の滲んだ指を、労るようにさする。突然の事に驚いていただが、ふっと雰囲気を和らげ目を伏せた。
「――ありがとうございます」
「……でもさー、戦う秘書っていいよねー」
机の上を紙の山で一杯にしながら、ふと綱吉が呟いた。新しい紙の束を運んできていたは、その呟きに動きを止める。
「……はあ?」
紙に走らせていたペンを置き、綱吉は顔を上げる。を見ると、にへらと力の抜けた笑い顔をする。
は怪訝そうな顔をするが、抱えていた紙束を山の上に積み重ねる。
ふと綱吉の視界に入った指にはきちんと包帯が巻かれていた。それを腕を伸ばし捕まえる。
「ちょ、ボス」
「指、もう大丈夫?」
巻かれた包帯には、滲む血など付いていない。あれから5日ほど経っていたがさすがに指先を持つのは痛いだろうと、がっちり手首を掴んで離さないが。
「だ、大丈夫ですけどっ」
「ほんと? それならよかった」
綱吉は嬉しそうに微笑んで、包帯の上に軽く唇を落とし手を離す。
「ぼ、ボス」
「ん?」
唐突なそれに驚き顔を赤くするだったが、本人は気にする様子もなく不思議そうにを見ていた。
ああ、こっちはキスぐらい挨拶だよ……とは静かに呼吸を繰り返す。
「何、でもないです。……終わった書類いただきます」
「うん、よろしく」
端に除けてあったひと山を抱えると、小さく頭を下げてから部屋を出ていく。
ぱたん、と実に控えめなドアの閉まる音。
「……」
綱吉は再びペンを取り、新しい書類を一枚取り出して目を通す。それにペンを走らせようとしたが、止まる。
「……顔真っ赤にしちゃって」
ふっと笑いがこみ上げ口元を押さえる。こんな所を彼に見られたら今度こそは怒られてしまうだろう。
数日前の光景が脳裏に蘇る。
相手が怒鳴り声を上げ胸元から銃を取り出し、連射。それよりも早く(きっと動きを読んでいたに違いない)が炎を纏わせたリングをボックスにはめ、次の瞬間には強化銀線が綱吉の前に広がっていた。綱吉自身それに反応できなかったわけではないが、その速度に小さく目を見張る。
銀線とそれを包み込むオーラによって銃弾はあっけなく阻まれ、床に落ちる。止められたと分かった相手方は、各々に武器を取り出し始めた。
そこでようやく、綱吉は手袋に手を入れたのだった。
弱いなんて、そんなことないのに。
――君も頑張ってるんだね。
「ま、護られるのもいいけど、やっぱり護りたいからね。がんばなくちゃ」
up09/04/30
秘書主人公も書いてて楽しいです。このこはみんなにいじらせたくなる…