歪んでいたって構わない


 建物までもが継ぎ接ぎされたフランケン=シュタインの研究所に、珍しく一人の来客があった。
 左下がりでアシメントリーな黒のロングコート。控えめに金属で装飾されたブーツ。歩く度に揺れる、濃紺の髪。
 適度に広い研究所を迷うことなく歩く様は決められたルートを通っているようであり、迷いがない。

 一つの、やはり継ぎ接ぎされたドアを華奢な指が押す。
 部屋は暗かった。ただ、部屋の隅にパソコンのディスプレイの煌々たる光を受けている人影があった。ドアが開けられたというのに反応がない。
「シュタイン」
 名前を呼ぶ。だがやはり反応は返ってこない。部屋の明かりを付けようと近くの壁を探るが、スイッチが見つからない。
 深赤の瞳を細めて、彼は部屋に足を踏み入れる。

 音もなく肌を刺す感覚。それにますます目を細める。闇に慣れた目で足下にある物を蹴り飛ばさないように注意しながらシュタインへ近づいていった。
 近づいていくほどに、彼はなにかをぶつぶつと呟いているのが耳に入った。内容を聞き取ろうとするがあまりに不明瞭で分からない。
 背後に立つ。どうやらディスプレイにはひたすら文字の羅列が映っているらしい。ぱっと見ただけでは何なのか理解できず、その眩しさに目をそらす。
「シュタイン?」
 もう一度名前を呼ぶ。呼んで、椅子に座る彼の肩に顎を乗せ、緩く首に腕を回す。

 そこでようやくシュタインは彼の存在に気付いたようだった。首に回された腕に手をやり、自らの肩に乗せられた顔を横目で見る。
「ああ……
 ようやく名前を呼ばれ、煙草の匂いが染みついた白衣に顔を埋める。
「……ドアを開けても部屋に入っても気がつかないとはね」
 その言葉に不満の感情が含まれているのに気付かないシュタインではない。けれど彼はいつものようなヘラヘラした表情を浮かべた。
「ヘラヘラ。集中してたんだよ」
「何に」
「研究に」
 人がしがみついているというのに煙草に火を付け咥え、ディスプレイを指差す。は煙が目に入りそうになって目を閉じる。
 鼻をくすぐる煙草の匂い。主流煙より、副流煙の方が有害物質が多いのを思い出す。片腕を上げて煙を払うように動かした。

「ざけんな」
 言葉はシュタインを誹謗していたが、腕は先ほどより強く首にしがみつく。
「丸出しのくせに、何言ってんだよ」
 苦しげにが吐き捨てる。
 部屋に足を踏み入れたときに肌に触れたもの。――シュタインの狂気。尋常ではないそれに、は一瞬戦慄を覚えた。
 阿修羅の影響がもろに出ている。それは知っている。前もって死神様から聞いていた。しかし、これほどまでとは思わなかった。
 それほどに彼の中の狂気が大きかったと、いうこと。

「なあ」
 は目を閉じた。耳を澄ませば、微かにシュタインの心臓の音が聞こえる。
「俺が側にいてお前の狂気が押さえられるなら、ずっとお前の側にいるよ」
 シュタインが煙草を灰皿に押しつけた。彼の色の薄い瞳が伏せられる。
 しかし、それが出来ないのは分かっている。
「俺がお前にバラされて、それでお前の狂気が押さえられるなら喜んでバラされるよ」
、」
 咎めるようにシュタインが呟いた。
「だから」
 シュタインの首に回された腕が微かに震えている。
「だから、頼むよ。狂気に、飲まれないで」
 声も、震えていた。

 の腕を解くと、シュタインはくるりと椅子を回転させた。突然のことに目を瞬かせていると正面で向き合う。
 右からディスプレイの光が彼らの顔を照らしていた。の目尻には薄く涙が溜まっていた。行き場の無くなった両手を空に彷徨わせている。
 そんなをシュタインは愛おしいと思った。だが、頭の中で別の声が響く。バラしちゃえば楽しいのに。――黙れ。こころの中で一喝する。
 腕を伸ばしの頬を両手で包み込み引き寄せた。前屈みにならず、彼はシュタインの足下に膝を付く。
 ふたりの視線がぶつかる。鋼色と深赤。

 ああ、でも駄目なのだ。
 どうしようもなくバラしたくなってしまう。
 その衝動を抑え込み、シュタインはの唇に触れるだけのキスを落とした。


up08/06/07
いろいろかなり捏造気味。