あの男に目を付けられたら終わりだ。そう俺は――・は切に思った。
耳元を空を裂く轟音が通り過ぎる。ちらりと視界の端に銀糸が舞う。魔杖剣のトリガーを引き、跳躍。俺は軽々とビルの屋上まで飛び上がった。
ふと視線を向ければ、ギギナのヤローが壁に穴を開けながら上がってくるのが見えた。
廃墟のビルの屋上。狂気丸出しで、少しも隠そうとしないギギナが悠然と屋上に上がり、近づいてくる。くそったれ、俺に構うな。
魔杖剣から空の薬莢を抜き取り、交換。ご丁寧に待ってくれているのがむかつく。死んでこい。なんか最近ガユスの口癖に大賛成だ。撃鉄を起こす。
シリンダーを回して咒弾を選択。左手で魔杖短剣を腰から抜き、咒式を構築。
「つきまとうのはやめてもらえないかなぁギギナ君」
「何故? こんなにも楽しいというのに」
「ガユスにも聞いてごらんよ、きっと同じ事言うぜ」
「可動型眼鏡置きなどどうでもいい」
わーお、かわいそうガユス!
と、馬鹿でかいネトレーが振り上げられる。戦闘再開の合図だ。俺はギギナに向かって走り出す。
歯をむき出して笑うギギナとこうやってやり合うのは、心底肝が冷える。心臓に悪すぎる。
だから少し、静かにして貰おうと思います。
超高速で迫り来る凶器。勘を頼りに飛ぶ。ナイス、ネトレーの刃に靴底が当たる。ギギナの形の良い眉が歪むのが見える。瞬時に魔杖短剣のトリガーを引いた。
「っ」
ギギナが小さく呻く。ネトレーの刃先がぐんと落ち、けれど床すれすれのところで止まる。ギギナ本体は片膝を突いていた。
さすがに最大出力の重力増加には逆らえないだろう。ふふん、と鼻を鳴らす。
余裕でネトレーから降り、十分離れてから右手の魔杖剣の切っ先をギギナに定めトリガーを鳴らし<轟重冥黒孔濤(ベヘ・モー)>を放つ!
次の瞬間、やって来たのは俺の後頭部の痛みだった。
「な、ぁ……っ」
俺の頭をギギナが鷲掴んでいる。ぎりぎりと容赦なく床に押しつけられ、容赦なく頭蓋骨を締め付ける。骨の軋む音が、直接頭に響くのが気持ち悪い。
「油断は禁物だろう?」
ギギナが先ほどの俺が浮かべていただろうと思われるものとたぶん同種の笑みを浮かべる。どうやって回避したんだよお前っ!
そう言えば両手に魔杖剣がない。目だけを動かして左右を見れば、近くに――けれど手を伸ばしただけでは届かない距離に落ちていた。そしてギギナが立っていたであろう床には、べこりと圧搾された後があった。手加減なんかするんじゃなかったと今更ながら、後悔。
「お、も」
確かこいつの体重は大型単車並み……死ぬ。いいから俺の腹に乗せてる膝をどけろ。じゃないと内臓破裂で死ぬ。
「だがしかし、お前は本気を出していないだろう」
俺の顔の真上にある、整った顔がふいに歪んだ。
「お前はいつもそうだ」
頭を掴むギギナの手を剥がそうとするがびくともしない。くそっ、泣きたくなってくる。泣いたら泣いたでギギナに弄られるけど。
「いつになったら本気で殺り合ってくれるのだ」
腹に膝が食い込む。段々と力が込められているような気がするんですが! 駄目、ほんと苦しい。
「おま……えが、こんな事する間は……ださねぇ」
俺の言葉に頭を掴む手が緩む。――が、すぐに力が込められた。
「貴様のことだ。だからといって必ずしも出す訳ではないのだろう」
一瞬緩まったくせに。あーでもこんなんだから嫌いだ、クソドラッケン! 変なところに頭使いやがって!
下から自力で逃げ出すという方法は放棄した。魔杖剣がなければ、竜でも何でもない俺は咒式を使えない。力勝負で、こいつに勝てる訳がない!
上から容赦なく鋼色の視線を投げ下ろしてくるギギナ。ここからどうやって脱出しようかと頭をフル回転させる。だが生憎とガユスのようにぽんぽんすばらしいアイデアが浮かぶ脳みそではない。
離れない視線。動かない現状。
自滅せず、かつギギナにだけ被害を与えられる手段は……この状況からしてないんじゃない?
寂しくなる結果に行き着いて悲しみの余り思いっきりため息をついてやろうとした時。ギギナの手が動く。と降りかかってきたのは触れるだけの軽いキス。かと思いきや強引に歯列を割って舌が入り込んでくる。
歯の付け根をなぞられ、舌を絡めとられ非常に好き勝手にされることに小さく腹が立つ。手を伸ばして無造作に垂れる銀糸を引っ掴んだ。
がりっ。やはり自分の舌や頬の内側を噛んだような感じでかなり気分が悪くなるが、思いっきりギギナの舌を噛んでやった。
途端髪を掴む俺の腕を払い、上体を起こすギギナ。その顔は不快に歪んでいる。口の中に残る、俺のではない血の味。
「どけ」
出来るだけ低く、そして短く吐き捨てた。ベルトで吊っている革袋から重力系の咒弾を取り出し、もう一度。
「どけ」
鋼の瞳が細められる。暫く火花でも散るんじゃないかと思うくらいにらみ合っていたが、やがて面倒だと思ったかどうかはわからないが、ギギナがようやく俺の上からでかい身体をどけた。
冷たい床に手を突いて立ち上がる。ぶつけた後頭部を触って確かめると、小さなたんこぶが出来ていた。後で冷やしておかないと。
背後に無言で佇むギギナを空気と思い込み、ふたつの愛剣を拾う。長剣は鞘に戻し、短剣の方は取り出した咒弾を詰める。
まだ血の味がする。手の甲で口を拭い、短剣の方で重力系咒式を発動準備、屋上の縁に足をかける。まったく、不毛な時間だった。消費した咒弾はかなりあるのに、実入りが一つもない。実に不毛だ。
「何処へ行く」
「帰る。ついてくんなよ」
とん、とごく軽く俺は空中へ身を投げた。地面に激突する数メルトル前で咒式を発動させ落下速度を急減速。コンクリートで固められた地面に俺は小さな音を立てて着地する。
ゴ、と勢いよく風が吹き抜けた。足下のコンクリが割れ、ヒビが蜘蛛の巣のように広がる。
こういう状態は嫌だなーとか思いつつ横を見ると、やはり、あらこんにちはギギナさん。
あーあーやめて。ぐいっと手首を掴まれる。きっとかなり力が加減してあるのだろうが、でも痛い。
「逃がさん」
にぃやり。牙をむき出すように胸の悪くなるような笑顔。その笑顔の中に、俺にでも分かるような怒気が含まれているのは、見なかったことにしたい。
こちらは不愉快全開な顔になる。
「やーめーてーやーめーてー!」
「そうだな、では山奥にでも行くとするか」
「それ死ぬ! お前と一緒にするなドラッケン! 拉致るな拉致るな、助けてガユスー!!」
もうこれから絶対、不用心に外を歩かないことをひっそりと心に決めました、まる。
up08/06/12
ギギナって難しい。きっとガユスも難しい!
ちなみに、主人公重力力場系咒式がメイン。あんまり咒式出てないのが悲しいところです。