ある日俺が事務所に出勤すると、いつもの如くセンカがソファーを丸々占領しながら寝転んでいた。俺が来たのに気づくと、センカは身体を起こして片手を上げる。寝ぼけ眼が俺を見た。
「おはよー、ガユス。今日も気怠そうだね」
「いつものことだ、気にするな」
「ですよねー」
他愛のない会話を幾らか交わし、そこでセンカの違和感に気づく。
背中の中程まである黒髪は無残に絡まっていたり寝癖で撥ねていたりするが、まあそれはいつものことだ。鉛色のような瞳も変わらない。と、そこまで見て違和感の原因を発見する。
「珍しいな、センカ。お前が耳輪(ピアス)なんて」
「ん?」
センカが耳に手を遣る。その先には2.5センチメルトルほどの赤い楕円形の板が揺れていた。赤と言っても、どこぞのおばさんが着るようなきっつい原色の赤ではない。僅かな金属光沢を持つ深い赤。臙脂、とでも言うのだろうか。いや、きっとそれよりも落ち着いた色だ。どこか懐かしいような感じがするが、それ以上に何か強い力を感じる。
一頻りその妖しげなピアスを触った後、センカは思い出したかのようにふわりと微笑んだ。見てるこっちもつられて口元が緩んでしまいそうなほど柔らかくて、甘い。
「ちょっと、ね」
僅かに頬を赤らめて恥ずかしげに俯く姿を見て俺は頭を金槌――いや、ネトレーで思い切りぶん殴られたような衝撃を受けた。知覚眼鏡がその衝撃でずり落ちる。(ちょっといい仲のギギナといるときでさえ、ましてや俺といるときでさえあんな顔は見せてくれない!)
だだだ、だってね!? 同僚があんな顔して恥ずかしそうに俯いて……ってどこぞの生娘じゃああるまいし! あの様子は、そう! まるで少女が誰かに恋をしてるような――。
突然のノック音。俺が反応するよりも早くセンカが立ち上がり、事務所の玄関へと小走りで駆けてゆく。ドアの前でぴたりと止まり、こちらを振り返る。なんとも嬉しそうな顔をして。
「ガユス、紹介するよ」
誰を!? 何を!? もー俺の脳は過負荷でキャパ越えして大変なことになっています。嗚呼センカ。お前は一体どこに向かおうとしてるんだ。
センカがノブを回す、ドアが開く。ドアが開くのが嫌にゆっくりと感じられたのは俺の頭の所為か、はたまたセンカがそうしたからか。ドアの正面、背後からの太陽光を受けながら其処に立っていたのは、あれーなんか見覚えのある――
「イムクアインだよ」
再び衝撃。イムクアイン!? あのイムクアイン!? いつぞややり合って死んだはずの、赤竜!?
ごく自然にセンカの隣に立つイムクアインは、いつぞやの姿のまま、けれど今は赤い髪をそのまま流している。逆光で表情が見えないっ。
「こんな俺でもいいって言ってくれたんだ……。だから」
そんな微妙なところで話を途切れさせないでくれセンカ。言いたいことがあるなら早く言ってっ!!
「俺たち結婚します」
最後に俺が見たのは、さりげなくセンカを引き寄せるイムクアインの姿と、これ以上はないほど幸せそうに微笑んでいるセンカだった。
「……っていう夢を見た」
「はあ!? お前の頭はどうなってんだよ! どう妄想したらそんな夢が構築されるんだバガユス!!」
中身が零れるのも構わず思い切りテーブルに俺の分のコーヒーカップを叩き付けるあたり、随分と怒ってらっしゃいます……。しかもバガユスって、新しい渾名を開拓されてしまった。語呂がいいね。
そう、あれは夢だった。気が付くと、夢の中でセンカが寝ていたソファーから落ちかけて……否、頭から落ちていた。昨日は何をしたんだっけ。記憶の棚を漁ってみる。……そう言えば迷子のコウモリ探しをしていたんだった。
実にくだらないお仕事だった。ギギナは途中放棄するし、センカが来てくれなければ終わったとは思えない。
「おもしろい夢を見たって言うからどんなのかと期待してみれば……呆れた」
センカは机に軽く腰掛け、顰めっ面でコーヒーをすすっている。思わずあのピアスがないか確認してしまう。もちろんそんなものありゃしない。
「大体なんでイムクアイン……」
「……イムクアインじゃなかったら良かったか?」
冗談半分で投げかけた言葉だったが、わざわざノックして芯の出たペンが顔のすぐ横を飛んでいった。吹きすさぶ殺気。センカさんの背後に、ドス黒いオーラを発見しました、隊長!
「ごめんなさいもうしません」
「よろしい」
いやでも、あの幸せオーラばりばりの笑顔は、目の保養になった。実際あんな笑顔見たことがないというのに、想像補完した俺の脳よありがとう。
「ガユス今何考えてる?」
低く名前を呼ばれる。し、思考を勝手に読むな!
「何も!」
up10/01/05 wrote09/06/07
夢ですから。