あの日のおもいで

 ほれ、と言いながらウルフウッドは煙草を差し出してきた。それはたった今まで彼自身が咥えていたものだ。
 その煙草とウルフウッドを交互にみていたが、やがて怪訝そうな顔をしては呟いた。
「……何?」
「何って、ほれ」
 ずいと目の前に突き出された。訳がわからず、とりあえず受け取る。細い紫煙をはき出し続ける煙草を持ったままは訪ねた。
「吸え、と?」
「それ以外にどないすんねん」
 それはわかるのだが、なぜ煙草を――しかも吸いかけのものを渡してくるのかがわからなかった。渡すのならば丸々一本渡せばいいのに、と思う。

 けれどは今まで煙草を吸ったことはなかった。いつも吸っているウルフウッドを思い出しつつ、おもむろに咥えて吸い込んだ。
 しかし、勢いよく吸いすぎてむせた。げほげほと激しく咳き込む。
「あかんあかん」
 苦しそうに咳き込むの背中をさすりながら、くくくと喉の奥で笑った。
「て、めっ」
 文句を言おうとするが、まだ咳が止まらない。まだ子供だなとウルフウッドは思う。
「慣れてないやつが急に吸いよるから咳き込むんや。そう焦らんと、ゆっくり吸い」
 子供を見守るような笑顔で、ウルフウッドはそう言っていた。


 昔の出来事を不意に思い出した。あの出来事から、もうだいぶ経っている。
 あのときから煙草の味を覚えたは、何かあったときには大抵煙草を口にしていた。煙草を中指と薬指で挟んで口から離し、ふーっと紫煙をはき出した。
 あの人は銘柄に拘ってはいないようだったけれど。あの味が忘れられなくて、近頃少なくなってきたものをまだ好き好んで吸っている。

 "家族"という鎖を断ちきれなかった優しい人は。
 吸いかけの煙草を差し出してくれた人は。
 あの時煙草の味を教えてくれた人は、もう、いない。


up08/12/13  加筆修正 08/04/22

脳裏には黒い服と大きな十字架、そして紫煙