「んー、特に異常は無いんだけどねぇ……」
の胸から聴診器を外し医者が唸る。カルテを芯の出ていないペンで何度も叩いている。
「精神的なものか、それともここがおかしいのか。どちらにせよ、ここじゃ手に余るねえ」
ここ、と自らの頭をペン先でつつく。はあ、とは生返事を返した。概ね予想した通りだった。
医師は軽く息を吐いた後、くるりと椅子を回転させと向き合う。
「……既視感は、健全な人にもよく起こる症状だ。あまり深く考えすぎない方がいいかもしれないよ」
お大事にというありきたりの言葉と共に診察が終わる。良く休めという言葉といくつかの栄養剤を貰う。外で待っていたウルフウッドの元に歩いていきながら、顔を顰める。手の中にある軽い紙袋を睨む。
「どうやった。ん?」
顔を覗き込み、ウルフウッドが尋ねる。
「……俺薬嫌いなんだけど」
ぶっ、とウルフウッドが思い切り吹き出す。
「ぶっくくくく……そ、そーやったなあ! 粉、でも、あかんかったか? っくくく、あかーん、涙出るわ」
人目を気にせず腹を抱えるウルフウッドの脇腹に、腹いせに肘鉄をたたき込んだ。――ふと視界がだぶる。わき上がる不快感に奥歯を噛み締め目をつぶった。
「――大丈夫か」
すぐに気づいたウルフウッドが心配そうに肩に手を乗せる。大丈夫ではなかったが、頷く。早く宿に戻ろうと、ウルフウッドの腕を引いた。
病院から宿に戻るまでの短い間、さらに数回の既視感があった。歩みが止まることはなかったが、その度にウルフウッドの腕を掴むの手が布越しでさえ爪が突き刺さりそうなほどに力が込められた。ウルフウッドは何も言わず、ただ前を向いて歩いた。
宿に戻ると真っ先にはベッドに倒れ込む。隣のベッドに腰掛けたウルフウッドは、荒れた息をつくが落ち着くのを待った。
気持ち悪い。気分が悪い。ひたすらそれしかなかった。
胸がむかむかとする。粗悪品の安酒を呷って悪酔いしたときよりもなお酷い。
何度も何度も襲いかかる既視感。思い返せば今までも何度かあったが、その時は大して気にも留めなかった。留める必要がなかった。
はああ、と重いため息を枕に押しつける。そのまま眠ってしまおうかと思ったが、側で煙草も吸わずにいるウルフウッドの気配に身体を起こす。
「もうええんか」
もう休まなくてもいいのか、と尋ねられ小さく頷く。
「医者にはなんて言われたんや?」
「特に、異常は無いと。深く考えずによく休め、とも。あと、頭と精神がおかしいようなら他へ行け、って」
「そか……」
膝に肘を突き、背中を丸めた状態でウルフウッドはどうするべきかと悩んだ。
「……別の街に行こうとも手段がないだろう。もう暫くは、待つしかない、か」
心を読んだようにが呟く。
「そう、やな」
ウルフウッドは立ち上がりの頭をゆっくり撫でる。短い外出ではあったが、そもそも自分が引っ張り出した。が、結局何も進展しなかったのだ。
しゃっきりしないを労るように頭を引き寄せた。抵抗することもなくあっさりと、白黒入り交じった頭部がウルフウッドの肩口に寄せられる。
「……疲れたやろ。昨日もあんまし寝とらんようだったし、ゆっくり休み」
茶色に沈む瞳がウルフウッドを見上げ、そっとウルフウッドの胸に頭を預けた。
そう言えば、随分と久しくの金に輝く瞳を見ていない。光の加減でのみ色を変えると思っていたが、本人の体調にも関係しているのかもしれないなとふと思い、悲しくなった。
転がり落ち始めれば正に刹那――とはよく言ったものだ。転がり落ちてしまえば、あとは落ちるところまで落ちてしまうだけだ。途中で止めるモノがない限り。
次の街までの移動手段がやってくるまでの3週間、はそのほとんどを宿の部屋で過ごした。寧ろ部屋から出られなかった、というのが正しいかもしれない。
外を歩けば側を走る子供に、道端で楽しそうに話し合う男女に、軒先に座る老人に――既視感はありとあらゆる場面で状況で彼を襲った。
じりじり精神を浸食されていく苦痛。けれど気が触れるということはなかった。しかしそれが余計に、彼を思考の闇に導く結果となった。
は同じ事を繰り返し繰り返し考えていた。
――二度目の人生――
一度目の時と寸分違わぬレールの上を歩かされていて――
何をするにも一度目と同じ――
あの時女性に連れて行かれた店も、あの時ウルフウッドが微笑んだことも、街中を歩いて目にしたあらゆるものに既視感を覚えたのも。
全て、自分が一度経験した事だったのだ。
決められたレールの上を歩かされているのなら、これが二度目なのなら俺は一体何なのだ。何故二度目を生きている。
ベッドの上でシーツを頭まで被り丸くなる。耳を塞ぐ。目を閉じる。
何も聞きたくない、何も見たくない。……何も、感じたくない。
これが二度目だというのなら、俺は何のために 生きている?
今生きていることに意味は あるのか?
部屋の壁にもたれかかりながらウルフウッドは静かに紫煙をはき出していた。ベッドの上の白い固まりを見ては、苦しそうに眉をひそめため息をつく。
は何も語ってくれなかった。会話の数は極端に減り、必要最低限の事しか彼は口にしなくなった。
けれどウルフウッドはそれが自己防衛の為だと知っている。時間は解決策を授けてはくれず、無慈悲に今を過去へと流す。手段がない今、それが精一杯の防衛手段なのだ。……何も見ず、聞かない事が。
何日経ってもベッドの上の膨らみは消えない。何もすることがない時、ウルフウッドは飽きることなくそれを見続けていた。
2週間ほど前から、宿代の代わりにウルフウッドが店の手伝いをして賄っていた。宿主が快く受け入れてくれたのが幸いだった。自分が居ない間、なにか変わりがないかといつも部屋を出るとき心配になる。けれど今まで何かが変わっていたことなど、無かった。
フィルターまで焦がしそうになり、煙草を灰皿へ押しつける。
何とかしたいと思ってるんやで。
もう何百回と繰り返しただろうため息を、またひとつ。
ベッドの上、シーツの下の身体は、動かない。――動けない。
up09/08/18
タイトルお借りしました。 橙の庭
色々と妄想炸裂で痛い2話となりました。絡みが、少ない……。
トライガンの主人公は、こう…落としたくなる。愛故、です。