楽園のずっと下

 時間が経つのはあっという間だと思う。ユーリが騎士団に追われてこの帝都を発ったのはついこの前のような気がするのに、実のところもう2週間近くは経過している。途中でなにやら手紙を寄越すぐらいなのだから(おそらくハルルから、しかも淡い桃色の花びらが数枚入っているだけの封筒だった)いくらか余裕はあるようだが、ここまでユーリが居ないのはあれこれと手を出しすぎて騎士団に捕まって牢屋にぶち込まれている時ぐらいのためなんだか落ち着かない。
 下町の大半をまなかっていた水道魔導器の暴走を引き起こした魔核の紛失。その事件が起こってから、下町ではハンクスさんを中心とした雄志達による厳戒な節水が呼びかけられた。そのお陰もあり、なんとか、というレベルで水は確保出来ている状態だった。とはいえあちこちからツテで調達をしたりなんだのというのはあったが、そろそろ努力も尽きてくる。
 帚星の店の前を流れる川は決して汚いという訳では無いが、元を辿れば貴族街の方からずーっと流れてきている水だ。なにが流されているか分かったものじゃない。これをなんとかして飲用水に、というのは本当に最終手段だと思う。

 そうやってもうギリギリの所を堪えていた頃、店の窓を外から拭いていた時ふいに遠くから覚えのあるざわつきが聞こえた。乾拭き用の雑巾を握っていた腕を一旦下ろしてその方向を見ると、今度は見覚えのある金髪が見覚えのない白銀の鎧に身を包み、二人ほど後ろに従えて真っ直ぐこちらに歩いている。丁度下り坂になっている所にさしかかった所だ。
 最近彼も帝都から出ずっぱりだったためようやくの帰還って所だろうか、などと思いながら雑巾をぺいとバケツの縁に放る。片腕を伸ばしたままの体勢が続いたため肩の辺りが少し固まっていた。肩の関節をぐるぐる回すようにして解していると、なにやら色々とない交ぜになった微妙な表情をしたフレンが目の前で止まった。騎士のまねごとをしてかつりと踵を合わせ、背筋を伸ばす。
「お仕事ご苦労様です、騎士様」
にそういわれるのはどうにも気持ちが悪いな」
 気持ちが悪いと言われるとはどうにも思わなかったな。心外だと肩を竦めると、後ろにきっちりと控える女性がちょっと鋭い視線を投げてくるのが刺さる。それは気付かなかったふりをして、楽な体勢に崩して彼が仕事でここに来た理由を考える。
「下町になにか事件が?」
「あっただろう、少し前に。水道魔導器の魔核が紛失したという」
「あったけど、それはユーリが追い駆けていったはずなんだけどなあ」
 何でお前が?と首を傾げて見せると、フレンはおもむろに青い球体を取り出した。間違いなくそれはここ下町の水道魔導器に収まっていたはずの魔核だ。
「!」
 磨りガラスのような魔核の表面は太陽の光を受けて鈍く光るそれを、ころりと手の中で転がすフレンはさっきのなにやら複雑な眼差しで見つめている。ふいにすいと視線を俺に移した。
「これから魔導器に魔核を戻しにいくんだが、立ち会ってくれないか」
「俺でいいの?」
「ああ。ハンクスさんは忙しくしているみたいだから」
 既に調べ済みという手際の良さに思わず笑ってしまう。一つ頷いて承諾してやるとフレンも小さく顎を引き、くるりとマントを翻し噴水へ歩いていく。小さいのに大きな杖を背負い込んだ魔導師、さらに先ほど厳しい視線を向けてきた女性騎士も続く。三人の後ろを歩きながら、まるで連行されているようだと思った。一体ユーリはこんな状況を何度体験したことやらと、一人苦く笑みをもらした。

 噴水はからりと乾き水の気配は見あたらない。通常であれば水が噴出しているはずの穴も寂しげにぽっかり空いているばかりだ。
 広場にいた住民がフレン率いる騎士と俺の登場に訝しげな表情をしているのが見える。なんでもないから大丈夫、という意味を込めて小さく片手を振ってみせた。
 噴水の縁に足をかけたフレンは魔核を手に一度こちらを見た。どうぞ、と短く言ってやると水場に踏み込み青い魔核を魔導器の丸いへこみへはめ込む。水の被害を恐れたかフレンはすぐに噴水から離れた。
 すぐに水が噴き出すのかと思いきや、魔導器は静まったまま。おやと首を捻りつつ近寄ると、足元に僅かな振動を感じた。すぐに水が空気を含んでわき上がる音が遠くに聞こえ、次の瞬間には勢いよく水が噴き出していた。
「おお」
「良かった」
 少し濁っているが、勢いよく水を噴き出す噴水を見てフレンが安堵の息を吐いていた。
 ざわめき、どよめきが辺りから生まれる。水だ水だと歓喜の声を上げながら子供達が駆け寄ってくるのを、お付きの二人がちょっと待ってと押さえていた。
「まだ水汚いからこれ飲んだら駄目だよ」
 顔見知りのその子達へ注意をしつつ、魔導器の動作を見た。くみ上げる水の量は以前と変わらないように見える。
「ちゃんと動いたな」
「ああ。僕も安心した」
 噴水を見るフレンは随分と穏やかな顔をしている。
 一体どうしてユーリが探しに行った魔核をフレンが持って帰ってきたのかその理由は分からないが、この二人のことなのだからなにやらあったに違いない。そこを追求したい気持ちはあるけれど、きっと今は仕事中であることだし話してはくれないだろう。案の定、回りに集まってくる子供や大人からの感謝の言葉に一つ一つ丁寧に返しながら逃げの体勢に入っている。あくまで体勢だけ、だが。
 この後もきっと何かと仕事があるんだろう。久しぶりに帝都に戻ってきたのならきっと報告云々もしなくちゃいけないと思う。俺は騎士団の細かな仕事なんて分からないから予想でしかないけれど。
 ギリギリの状態が続いていたこの下町に、ようやくの新鮮な水がやってくるのだ。これで節水しなくても済む事は本当にありがたいことだ。フレンへの感謝の気持ちは溢れんばかりなのはよく分かる。分かるけれど、なんだかもみくちゃにされて可哀想になってきた。
「ほら! いい加減離れてやってよ、騎士様とはいえつぶれちゃうから!」
 いつの間にか随分と集まっていた下町のみんなに向けて声を張り上げる。俺の声に、渋々と言ったようにみんなは距離を置いていく。
「ありがとう、
 すこしだけ困り眉でフレンは小さく礼を言ってくる。そのまま俺のすぐ隣を通り過ぎようとするので、肘で鎧をごつりと慣らしてやった。耳元で口早に囁く。
「積もる話は山ほどあるし話も聞きたい」
「ああ」
 迷いのない返事を最後に、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら城の方へ歩いていった。

 宿屋と雑貨屋を兼ねる帚星で住み込みをしている俺は、宿の受付をやったり厨房を手伝ったりとあれこれやっている。とっぷりと日が暮れた頃、夕飯をとぼちぼち客がやってくる。馴染みの客達が持ち出すのは、こぞって昼間にフレンが魔核を戻しに来たという話題ばかりだ。特に聞き耳立てているわけではないんだけど自然に耳に入ってくるあたり、ほとんどがこの話題なんだろう。
 食事を出した客におかわりの水を注ぎに行くと、ひとりのおっさんに背中をここぞとばかりにどつかれた。
「いったぁ!?」
 思わず水差しを落としてしまいそうになるが何とか堪え、ぶっ叩かれた場所を押さえ勢いよく振り返る。
「何するんですか!」
「お前の弟分はホントでかくなって立派になったなあ!」
 赤い顔のおっさんはそのまま豪快に声を上げて笑い、ばっしばっしと俺を叩いてくる。酔っていらっしゃるようだ。
「まあ本当に自慢の弟分ですけどね、って痛い、痛いんでもう勘弁して下さい」
 空のグラスに水を足してそそくさと逃げる。酔っぱらいはどうにも力加減が出来ないらしく背中あたりがじんじんと痛い。他の客にも水を注いで回り、カウンターへ戻る。水差しには水を足しておき、注文もなくふと手持ち無沙汰になった俺はグラスを磨く。
 フレンとユーリは俺がこのザーフィアスの下町に来た10年ほど前からの付き合いだ。ふたりよりもいくらか年上と言うことで、同じく下町ではしゃぎまくるガキンチョの兄貴分として降臨していたことがある。まあ昔の事だ。
 今となっては方や騎士様、方や風来坊というとんでもないことになっている。風来坊は全く音沙汰なしであるが、先ほどああ言っておいたから律儀な騎士殿はそのうち顔を出すかも知れない。


 そのうち顔を出すだろうと予想はしていたが、店内の客が居なくなってもフレンはやってこなかった。
 最後の客を見送り店内の掃除を済ませ、念のためキッチンの火はひとつだけ残しひとりで店番をする。以前見たときとは違う鎧を着けていたから、もしかすると昇進でもしたのかもしれない。そうであれば夢に一歩近づいたという訳だけれど、その分忙しくなるのかなあと照明魔導器の灯りをぼんやり眺め頬杖を突く。
 暇つぶし用でこっそりカウンターに置いてある本を手にとって、挟み込んでいたしおりを頼りに本を開いた所でからりとごくごく控えめにドアのベルが鳴ったので顔を上げた。申し訳なさそうに眉を下げた私服のフレンが数段の階段を上がってくる。
「随分遅かったなあ、仕事?」
「帝都は久しぶりだったからね」
 疲労の見える顔で小さく笑って、カウンターに近い席に腰掛けた。すぐにグラスに水を注いですぐに出してやる。それを一息に半分ほど飲み干してテーブルに戻すと腕を上げて伸びをひとつ。
「もう食べたの?」
「実はまだ」
「よかったなあ、全部火を落として無くて。ハンバーグとか野菜炒め、あと色々できるけど」
「じゃあ、ハンバーグで」
「はーい」
 肉か魚かと言われれば肉と即答するヤツであったから予想の範疇だ。カウンターにほっぽってあった黒いエプロンを付けて厨房に引っ込む。
 時計をちらと見やればもう11時を回っている。こんな時間まで夕食を食べられてないとは余程忙しいらしい。主に作る側に立っている俺としては食生活が心配になってくる。
 ハンバーグの種を手早く仕込み、油を引いて熱したフライパンへ滑らせた。じゅっ、と肉の焼け始める音。その間に副菜を準備する。ハンバーグを焼いているフライパンを気にしつつ、火を移した隣のコンロで湧かしておいた湯へ根野菜を投入。
 肉の焼けるいい匂いがし始める。結構、客席の方まで匂いが駄駄漏れなのでフレンは一層腹を空かせているに違いない。別に狙って遣ってるわけじゃない、仕方無いんだよ?
 香りという誘惑を垂れ流しながら暫く。帚星特製ハンバーグを片手に、シルバー類とライスの皿を片手に乗せてカウンターを出た。
「お待たせ」
「いい香りが殺人的だったよ」
 たまらないというように目を細めるフレンは、相変わらずの童顔(本人はすごく気にしてるのは十分知ってる)だが疲れが見える。休みもろくにないままあちこち飛ばされるのであれば、一晩泥沼に浸かるように寝ても疲労は取れない。さっさと食わせてさっさと帰らせたい労りの心と、あれこれ聞きたい俺の探求心が顔をもたげる。
 ひとまずは料理を目の前において、どうぞと一言。
「いただきます」
 どれだけ腹が減っていようがフレンは綺麗に食べる。この場合の綺麗、というのは残さず食べるも含めるけれど所作がきちんとしているという意味が大きい。ナイフとフォークを使ってハンバーグを切り分け口に運ぶ。肉汁が良い具合に溢れてくるのを見ると、作った俺もいい出来だと思う。濃厚なソースとしっかりした肉の食感。噛み締めるほどに肉汁と肉の味が広がる特製ハンバーグは看板メニューでもある。
「相変わらず、おいしい」
 もぐりと咀嚼するフレンの表情が疲れも忘れて綻んでいく。自分が作った物を目の前で食べてもらって、その人が幸せと感じてうまいと一言聞ければ料理人冥利に尽きるのだ。本当に。ラッシュの時なんか考えてる暇無かったりするけどそれはそれ。
「それはよかった。毎日あれこれ作り続けてるからね」
 料理の腕が落ちる暇なんてないよ。隣に座って笑ってやれば、つられてかフレンも口元を緩める。
「冷めないうちに食べちゃってよ」
「もちろん」
 そんなわけで、ろくに会話もないまま俺はフレンの食事風景を隣から眺め、時折水のおかわりを注いでやるという作業に徹した。

 フレンは最後のライスを平らげ、ハンバーグが盛られていた皿にシルバーを並べて揃え手を合わせる。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
 すぐに皿は重ねて一先ずカウンターの上に。水を飲んで一息吐くフレンは、僅かに腰を浮かせて身体の向きを変える。俺と真正面で向かい合うように座り直し、水のグラスを置いた。
「色々と、聞きたい事があると思う」
 そう切り出すと急に小難しい顔になった。ある、と俺は頷く。
「魔核はてっきり、ユーリが持って帰ってくると思ってた。何かあった?」
「色々あった」
 時折小さく身振りを交えながらフレンは事のあらましを掻い摘んで、わかりやすく、多分俺に話したくない・話してはいけない事を綺麗に削除して、それでもわかりやすく説明してくれた。お陰で情報がちょっと物足りない。物足りないが、どうしてフレンが下町の水道魔導器の魔核を持ち帰ったのかは分かった。
 昼間微妙な顔をしていたのはどうやらそのせいらしかった。本人が持って帰ってくればいいのに他人に押しつけ、何やらフレン関係のやっかい事も抱えているらしい。
「ユーリがギルド、ね。らしいじゃん。外に出て、ギルドと関わったらもしかしたらーっていうのは昔から思ってたよ」
 今日昼間以降の客人の話を聞いていると魔核を取り戻したという功績がなにやらフレンのものになっているが、ユーリはそういうことに執着するヤツじゃない。特に訂正に奔走するとかいう事はしないだろう。
 騎士団に所属していた頃のユーリを俺は知らない。大きな事件がきっかけとなって騎士団をやめたというのは知っているがその事件も知らず、かといって当事者にたやすく聞けるほど軽い物ではないのは知っていた(いつか知るときが来るだろうかという淡い期待だけは抱いている)。
 元々の性格からして、騎士団という大きな枠の中に押し込んでその枠の中のルールに大人しく従う人間ではないと思っていた。だからギルドをつくった、というフレンの言葉はすんなりと納得が出来た。
 しかし。
「……となると、暫くは戻ってこない、か……」
 それが幾らか寂しい。ぼやいた言葉は思ったよりも沈んでいてフレンは苦笑いする。
 帝国とユニオンの仲が良くないのは周知の事だ。だからユーリが作ったというギルドがそうでないとは限らないが、なにやらいろんな事に巻き込まれているのは確かなようだ。
「僕も多分、すぐに帝都を出ることになると思う」
「仕事だろ? 仕方ないね。そういえば鎧が変わってたけど、どうしたの?」
 テーブルに肘を突きながら気になっていた点を尋ねると今度はちょっと嬉しそうな顔をする。
「隊長になったんだ」
 はにかみながら言う言葉は彼の大願のためひとまずの目標としていたもの。ぽかんとした俺は隊長、と口の中で繰り返す。急にじわじわと実感(俺が実感するわけじゃないけど)が湧いてきて、口元がにやける。
「隊長!? やったじゃん! じゃあフレン隊が出来たんだな」
 おめでとう、とその肩を叩けば笑顔でありがとうと返された。
「まだ若いのにすごいな」
「年寄りの台詞みたいに聞こえるよ
「お前よりは年寄りだよ」
 ふふふと笑ってやる。隊長。隊長か。フレンも人の上に立つようになったということ。騎士団事情はよく知らないけど最年少ぐらいじゃないかと思う。
 帝都を守り国を守り、人々を守る。それは彼が何よりも望んだことで、そして誰しも平等であれと願い正しく生きようとして実践しようとするフレンは強かだ。
「じゃあ、もっと忙しくなるね」
 自分で言ったくせに、自分の言葉が沁みる。
 さっきまではお祝いの気分だったのに、急に気分は落ち込んで突いた肘はそのままに前屈みになって両手で口元を覆う。フレンは宝石のような目でそっと俺を見ていた。
「そうだね。体調管理には気をつけるよ」
「……そうそう、身体が資本なんだから」
 ちゃんと食べて寝てよ。
 寂しがり屋と言えば聞こえはいいが、ガキンチョの悪さしたい盛りを共にしたせいかどうにも帚星にやってくる足が途絶えると心配が募ってしまう。とはいえいい大人が寂しがり屋なんぞ気持ち悪いだろう。俺自身としてもあんまり表には出したくない。きっとフレンは俺の心情なんて分かっているだろうから、何も言わずに微笑むだけ。自分には出来ることがないと分かってやがる。その通りだよ。
「……たまには、食べに来いよ」
 もちろんと頷く頭を乱暴に撫でてから立ち上がる。まるで鳥の巣のような惨状になった頭を手櫛で整えようとするフレンをちょっとだけ笑って、使用済みの食器を下げにいく。帰り支度を始めた姿をカウンターの中から見守る。早々に頭を整えたフレンはかちりとお代丁度のガルドを置いて俺を見た。
「まあ、気をつけて」
「その言葉はそっくりそのままお返しします」
 最後にお互い笑い合ってから金髪の騎士隊長殿を見送った。

 再びひとりきりになった店内で食器を洗う。
 フレンは隊長へ。そしてユーリはギルドを作った。その話を聞いて、それぞれが自分のやりたいことに向けて確実にそして着実に進んでいるのを実感する。
 さて、じゃあ俺は。料理を作るのも宿屋と酒場の店番も嫌いじゃない。下町のみんなと些細なことで楽しんだり困ったり。不満はない日々を送っている。
 でも本当に? と、腰に巻くベルト式の武闘魔導器が、そのベルトにくくりつけられた短剣が静かに重みを増したような気がした。


up14/1/24
Title:alkalism