下町の水道魔導器が暴走し、そして沈黙してから数日。ハンクスさんの指揮の元厳しい節水が呼びかけられた。まだ水に困るような事は起きていないが、いつ魔核が戻ってくるか、つまりユーリが取り返してくるか分からないため心してかからないといけない。
今日はいい天気だ。店の窓から見える外は昼寝日和なぽかぽかお天気だし、ガキンチョは元気よく走り回ってる。宿の方もシーツを洗って先ほど干すのを手伝ってきたばかりだから、今頃風にはためいている頃。
今頃ユーリは何処をほっつき歩いていることやらとぼんやりしながら黒のエプロンを外す。常連が何人か店内で話し込んでいる。いつもの風景だ。
もう10年ほど前になるが、小さな商隊ギルドについて各地を転々としていた頃を思い出す。今思えば10歳そこらのガキがついていくには過酷すぎる環境だったけれど、過去になって思い出になってしまえばまあなかなか充実していたと思えてしまうから怖い。
手持ち無沙汰にグラスを磨く。今店番は俺しか居ないから、いい天気に誘われてどっかでぶらぶらする訳にもいかないのだ。
コンコン、と律儀にドアがノックされる。その音に思わず俺は身構えてしまった。だって下町の人間でノックをして入ってくるなんて誰もいない。あのフレンでさえあのドアはノック無しで開けるんだから。
ノックをしてから入ってきたのは見慣れぬ旅装束の男。肩掛けの大きな、中になにか物が詰められて膨らんだ鞄が目につく。そしてよく見なくても武装しており、腰には使い込まれた剣が下がっていた。
「・さんはいらっしゃいますか」
「俺ですけど」
そっと手を挙げて主張すると、男は鞄からなにやら物を取り出して俺に近づいてくる。
「ギルド地平線の運び屋(ホライゾン・キャリー)です。手紙を預かっています。どうぞ」
差し出されたのは何の変哲もない白い封筒で、宛名はザーフィアス下町の宿屋帚星、・となっている。それにしても走り書きだ。
「ありがとうございます」
ひとまず受け取って頭を下げると、男は緑のベレー帽をちょっと持ち上げて頭を下げてから店を出て行った。それを見届けてから中身が封筒をひっくり返すと、差出人はユーリ・ローウェルとなっていた。やはりその名前も走り書き。余程急いでいたのかなんだか分からないけど、人の目に触れる所なんだからもうちょっとマシな字を書けと怒鳴りたい。
「なんだなんだ、運送ギルドか」
「珍しいねえ」
出て言った男を常連も見送っていたらしい。ちょっと気になったようだが、すぐに興味を無くしてまた会話に戻っていた。
一日の仕事を終えて、奥の方にある自分の部屋に戻る。元々物置だった場所を使わせて貰っているので備え付けの照明魔導器はない。油ランプを付けてから、昼間に届いたユーリからの封筒を取り出す。
本当に白くて何の変哲もない封筒は、中身が入ってないような手触りがする。字も字だし、慌てすぎて中身を入れ忘れたとか? そもそも手紙だなんてまさか送ってくるとは思ってもいなかったので、受け取ったときにはすごく動揺してしまった。
ペーパーナイフなんて上等なものは持っていないので、ベルトにくくりつけてある腰の短剣を抜く。念のために封筒の蓋の部分を上にしてテーブルでトントンと叩き余計な物まで切らないようにする。蓋の隙間に刃先を滑り込ませて紙を切っていく。
中身を確かめる前に短剣を鞘へ戻し、深呼吸。よしいくぞ。
ぱっ、と開いた封筒の中には――手紙すらなかった。
「……やっぱり入れ忘れたか?」
思わず独り言。念には念をとひっくり返すと、ピンクの欠片がひらりと落ちた。床に落ちたそれを拾い上げてランプの明かりにかざすと、一般的な物に比べると大きいけれど花びらだ。封筒を覗くとまだ数枚紙に張り付いていた。それをちぎらないように取り出してテーブルに並べる。
存在感のあるこの大きさ、色。もしやと思う。
「ハルル、か」
結界魔導器と植物が融合し、象徴とも言える大きな木が結界魔導器となった街。幼い頃に立ち寄ったことがある。その花びらを仕込んできたと言うことは、ユーリはハルルにいた・通過したということだろうか。満開の時期にはまだいくらか早いはずだがとても綺麗に色づいている。花びらを一枚つまみ上げ明かりに空かすとランプの色と混ざり合って黄昏の色になった。
幼い時分、訪れたときに見上げた空が見慣れた青色ではなく上等な絵の具をばらまいたような一面の桃色に、どうしようもなく感動したのをまだ覚えている。この帝都でも春になれば桃色の花をつける植物はあるが、やはり規模が違う。降っても降ってもキリがないような舞い落ちる花弁の雨だ。また自分の目であの光景を見たい。
それにしても宛先と差出人しか文字は見あたらず、何を思って花びらだけを詰めて送ってきたのかよく分からない。綺麗なものは綺麗だとひん曲がりながらも口にできるヤツだから、ユーリなりの表現かもしれない。理由を想像しても、かもしれない、のオンパレード。もうやめておこう。
この花びらをこのまま腐らせるのも勿体ない。押し花にしてしおりにすればすこしは長持ちするだろうか。
下町に引きこもっていたユーリにとって、この帝都以外の街はどう映ったんだろう。
俺はそんなことを思いながら、棚の奥からくそ重たい辞書を引っ張り出した。
up14/1/24
Title:alkalism