完全に不意打ちであった。
の意識と動作の隙間をついて繰り出された斬撃は武醒魔導器であるベルトに当たって威力が落ちれば良かったものを、横凪ぎで繰り出されたため防具のない横っ腹にどすり、と沈みこんだ。旅用の装束とは言え所詮は布だ、呆気なく繊維は鋭い刃によって断ち切られその下の肌を裂いていく。
瞬時に可能な限り威力を落とそうと斬撃を受けた側とは反対に飛ぶ。口からついて出そうになるうめき声は歯を食いしばりなんとか堪えながら、しかし着地の足元が疎かになったせいで崩れるように地面に突っ伏すと、鈍い金属がぶつかる音が耳に鋭く響いた。直後視界の端に突き刺さった凶器は刃先が赤く濡れており、それは確かに自身の腹を破った両刃剣であった。
剣を握りしめたままの腕で上体を起こし首を捻る。剣術や日常における概ねすべてにおける師匠でありギルドの頭領であるルドヴィーク・エルネストが、致命傷にならずしかし動きを止めるには十分の攻撃をの横っ腹に一太刀を浴びせた男に与え地に沈めていた。痛みも忘れて鮮やかな太刀筋に呆然とその姿に見入っていると、ほかの盗賊達を伸した仲間たちが足早に近づいてくる音が背後に聞こえる。
血を払い鞘に愛剣を戻したルドヴィークも、いつもの仏頂面をいくらか歪めて近寄ってくる。そうして戦闘が終わった事を認めると、無意識に詰まっていたの呼吸がゆるゆると再開される。それと同時に脇腹に熱い衝動が走った。気が抜けた途端に痛みを認識するのはいつものことだが、激痛に剣を鞘に戻すことも放棄して空いた手で脇を押さえた。
大丈夫かと声をかけられるが素直に頷き返せない。腹を抱え込むようにうずくまり小さく頭を振るのが精一杯だ。鼓動に合わせて傷が痛みを産んでいるような錯覚すら感じる。
もう何度目かわからない負傷はいつまでたっても慣れず、激痛にぎゅうと眉を寄せる。涙まで滲んできた。ざ、と真ん前に砂を踏む音が聞こえたかと思うと脇の下に手が差し込まれ身体が浮く。驚きに目を開けるとルドヴィークに担ぎ上げられていた。握ったままだった剣は手からぽろりと落下して鈍く音を立てる。
肩口に顔を押し付け、赤ん坊を抱える要領で尻の下に片腕が回され安定した体勢に。幌を上げろ、と遠くの馬車で待機する仲間に叫ぶ声が耳に煩いが、痛みにより身動きがとれない。押さえる手は熱い血潮でどんどんと濡れていく。そのくせ、滴った所は冷えて体温を奪うのだ。
走り出す振動が傷に響く。痛みを堪えるためにルドヴィークの服を握りこむ。短い呼吸を散らしながらやり過ごすしかなかった。
現在、このギルドに治癒術が使える魔導師はいない。更に言うなら少数精鋭の面子ではあるが誰ひとりとして魔術を使える者がいなかった。それでも過去の経験や培ってきた知識、技術により魔導師を含む敵と遭遇したとしても決して引けは取らない。怪我をすればすべて自然治癒か市販されている薬類に任せるしかない訳だが、あまりに大きい傷はつてを頼りにするしかなかった。
は依頼先へ送り届ける荷物が納められた馬車の荷台に運び込まれる。幸いにも今回は荷物が少なく単独での仕事であり、さらに壊れやすい物がないため馬車を荒く走らせても気にかける必要がない。空いたスペースに転がされ、真っ先に服を剥がされ止血が行われる。流石に場数を踏んでいるため慣れた手つきでルドヴィークはてきぱきと手当を進めるが、ざっくりと刻まれた傷跡は大きい。手をの血で濡らしながらそうっと傷に触れた。傷口は綺麗に切れており、まだ年若いことも含めて皮膚がくっつくのは早いだろうと認める。
傷の応急手当が行われる最中、ほかのギルド員によりの口に押し付けられたのは痛み止めの薬だ。薬と言っても様々な薬草を配合したものだが、原因不明の腹痛にも歯痛にも効く万能薬である。
痛みに喘ぐの空いた歯の隙間から薬がねじ込まれ、噛み砕くこともできず苦い丸薬をなんとか飲み込む。効果が出るまでしばらくかかるため、まだ安心はできない。ルドヴィークが止血処置を続けているが、後部の幌が上げられたまま馬車は走り出す。
布が何回か重ねて敷いてあるが振動が直に伝わる。揺れが気持ち悪い、と彼は全身を苛み始めた熱に犯されながら思った。
そこでふと、閉じた瞼に強い光を感じて意識が覚醒する。十分な睡眠がとれたため眠気を引き摺ることはなく、はすんなりと瞼を開いた。眩しさを感じた原因は開け放たれた窓から吹き込む風によってカーテンが旗めいていたからだった。
清潔感のある白いカーテンがひるがえる度に青い空が見えるが、差し込む光が眩しくて片手をかざす。かざす腕が疲れてくるとようやく上半身を起こした。
肩に付く程度まで伸びた髪を適当に後ろへ払い目を擦る。懐かしい夢を見た、と口の中だけで呟く。
帝都の下町でユーリ達と出会う前、商隊ギルドに所属していた頃の夢を見ていた。懐かしいと思う半面、まだ幼かったという客観的な感想も覚える。今ならあの程度の攻撃は難なく避けるか受け流すかをすることができるだろう。それでも当時同年代に比べれば格段に腕の立つ方であっただろうという自負はあった。あくまで同年代、だが。
無意識に当時の傷、今の傷跡がある脇腹に手を当てていた。この腹の傷は過去の中でも五指に入るほどの大けがであったとひとり苦笑する。あれから街に駆け込んだ一行は頭の知り合いであるという魔導師の手を借りることになる。とはいえ完治とまではいかず、暫くは傷が原因の熱に苛まれろくに動けないほどであった。
幼い時分ながらも自分の身は自分で守れという単純明快な教育方針であったお陰で、当たっては砕けの繰り返しで身体には随分と傷跡が残っている。あまり見られたくないというの矜恃により、露出のある服装を避けている原因でもあった。
懐かしい幼少期に思いを馳せるのもほどほどに、両腕を天井に向かって突き上げうんと伸びをする。これだけ天気がよいと洗濯物でも干したい気分であるが、ここは帚星ではない。
「」
こちらも開けっ放しだったドアをご丁寧にノックして声をかけたのは、黒の長髪をうなじで一つにまとめたユーリだった。黒いいつもの服装に白いエプロンが映える。今日の朝食当番はユーリだったらしい。すん、と鼻を鳴らせば甘く香ばしい香りがここまで届いてくる。ホットケーキでも準備しているのかもしれない。
「おはよう」
ひとまず朝の挨拶を返すと、はよ、と短く返答があった。
「朝飯できたぞ、早く来いよ」
「はーい」
あの頃があったからこそ今の自分があるのであって、幼い頃の経験は確かに今に繋がっている、とは確信している。そうでなければ、今こんな風にザーフィアスを遠く離れた街で――仕事の合間で、ではあるが――のんびりとした朝を迎えてはいないだろう。
サイドテーブルに放っていた髪紐で手早く縛り、上着を引っかけて立ち上がった。ユーリお手製の朝食が待っている。
up14/3/2