意味深を許せよ

 最近女将さんが体調を崩しているのでここ数日宿と酒場の掛け持ち状態でなかなか忙しい。宿は意外と、外から来た懐の寒そうな旅人達が使っていくので細々とした需要がある。酒場は酒場で下町の飲んべえが飽きずにやってくるお陰で成り立っているようなものだ。利益は少なくとも忙しさだけは負けない。
 そんな俺を知ってか知らずか、ユーリはラピードと共に昼前からどこかに出かけてしまった。まあ手伝わせる気はない、接客をさせるには愛想が足りないし。
 今日も注文を受けたり駆けずり回ったりと慌ただしく店を回し、一息付けたのは昼も過ぎて午後の休憩タイム。昼ご飯はなんとか食べられたのでまだ良し、だ。

 荒れた状態のカウンターを片付けていると、からり、とドアに付けたベルが鳴る。反射条件でいらっしゃいと勝手に口が喋りつつ顔を上げると見たことのない男だった。高い位置で無造作に結んだぼさぼさの髪、丸まり気味の背中に派手で目を引く紫の上着、派手な色のインナー、さらに無精髭。駄目だ見るからにうさんくさい。
「空いてる所にどうぞ」
 初めての人にはそれとなく案内をする。男はちらっと店内を見回した後、窓際の席に座った。水の入ったグラスとメニューを手にカウンターを出る。初めての人にはそれなりの対応をしているのだ、こんなへんぴなところでも。テーブルにグラスを置いてメニューを見せると、大した時間もかからずに男が俺を見上げる。
「んじゃさばみそで」
「はい、さばみそ。おまちくださーい」
 カウンターに戻って、キッチンのおばちゃんにさばみそと伝えて再度カウンターへ。背後から調理の音を聞きながら中断していたカウンター内の片付けをする。と、見せかけつつうさんくさい男を見る。
 この下町で俺は見たことがないので余所出身だろうと思った。思いっきり猫背の状態でテーブルに肘を突いて窓から外を眺めている。かなり姿勢悪い。
 怪しいと思う半面、ただ者ではないとも感じる。俺の本能の様なものだ。あちこちに視線を送る目元は戦歴のものであるし、だらしない歩き姿だったがその中には隙を見せない洗練された面も伺える。それでも怪しさ満点な男だが、あんまり見過ぎても迷惑だろう。あれこれ追求してみたいと思う気持ちを抑えて、荒れた金庫の中を整理する。

君、さばみそできたよ」
 背後からの声ではっと顔を上げる。整理に夢中になっていた。
「はい」
 定食一式を受け取ってカウンターを出る。ちびちびと強い酒を飲むようにグラスから水を飲んでいたうさんくさい男のテーブルに。
「お待たせしました、さばみそいっちょ」
「おー、まってましたわー」
 ぱっと顔を上げた男はグラスをテーブルに置く。食器の載る盆を受け取ろうと上げた手が俺の左手と少しだけ当たった。グラスに触れたのではないかと思うほどひやりとした温度。それに驚き、けれど今は仕事中で接客中ということを忘れなかった俺は少しだけ動きが鈍くなるに留まる。男の手が盆を持ったところで手を離す。ほわりと立ち上る味噌と生姜の深い香りに男は嬉しそうに口元を上げて目を細める。
 ごゆっくり、と平常心を装ってカウンターに引き返す。僅かに接触した左手を思わずさすっていた。冷え性だろうか、おっさんのくせに。胸の内でぼやく。冷え性にしては冷えすぎのように思えるが。
 ――あまりいい思い出がないが、昔の経験からするとこういう訳の分からない出会いは何かしら引き摺るのだ。
 これだけうさんくさい男なら今後忘れる事はないだろう。次来て、同じようにさばみそを頼むのであれば生姜倍増してやろうと心に誓った。


 ***


 今日は朝から雨が降っていた。そのせいか客足は遠のき、いつもなら飯ラッシュやらでてんてこ舞いになっている時間でも悠々と金勘定が出来るほどだ。買い出しは少し無理をしたが昨日やっておいてよかったと思う。朝はかなりの勢いで降っていたが、昼を過ぎると雨脚はいくらか弱くなっている。ざあざあとした雨音を聞きながら金勘定を済ませスツールに腰掛ける。トラブルが起きるわけでもなく平和な一日だ。ユーリは自室と化した部屋でのんびりしていることだろう。
 と、雨が降っているにも関わらず窓の外を駆け抜ける影。元気だなあとぼんやり人ごとのように思っていると、すぐにからんとドアベルが鳴った。その音に俺は弾かれたように立ち上がり、急いでタオルを手に立ち上がり入り口に向かう。まさかあの人影がそのまま店にくるとは思っていなかった! ドアが開いた事により雨音が強く聞こえる。入ってきたのは、いつぞやの冷え性をこじらせたうさんくさい男だった。
「っひゃー、随分降ってるわねー」
 ぶるりと犬か猫のように頭を振って水気を払おうとする。どこから走ってきたのか分からないが、随分濡れていて次から次に水が滴って足元に水溜まりを作っていく。
「朝に比べたら弱くなりましたよ。タオルどうぞ」
「あら、ありがと」
 差し出したタオルを男は人の良さそうな笑顔を浮かべて受け取ると、まず顔をぬぐってから髪をがしがしと拭く。粗方拭き終わると首にひっかけ、いい? と首を傾げた。その意味をはかりかねて、俺もちょっと首を傾げてしまう。
「店やってるわよね?」
 はい、と返答をした所で俺が階段を塞いでしまっていることに気付いた。すみませんと慌てて道を空けると、男はいいのよとへらりと表情を崩した。
「さばみそがおいしかったからまた来ちゃったわ。今日もいい?」
「はい、大丈夫です」
 頷いてみせると、男はひょこひょこと歩いて前回と同じ席についたのはたまたまか、確信犯か。
 キッチンにいるおばちゃんにメニューを伝えに行くが、俺は生姜大盛りで、と言うのを忘れなかった。滅多に無い注文におばちゃんは首を傾げる。
「生姜?」
「なんか冷え性みたいで」
 苦笑混じりに伝えると、それは大変だねぇといいながら手早く生姜の皮を剥いてスライスしている。さすがの手つきだ。
 水のグラスを男のテーブルに運ぶ。首にかけたままのタオルで垂れてくる水を拭きながら男はいやあ、と困ったように片手をひらひらさせた。
「いけるかなー? っと思ってたら駄目だったわあ。悪いわね、びしょびしょで入っちゃって」
「まあ、他にお客も居ませんし構いませんよ」
「この雨じゃ人来ないんじゃないの?」
「そうですねえ」
 よほどのことがないと雨の日はいつもこんな感じです、と説明するとやっぱりねぇとしたり顔で頷く。以前見たぼさぼさのポニーテールは濡れ、ボリュームが落ちてしんなりしている。そんなに剛直というわけでも無さそうだ。
 と、特に常連でもない素性も知れぬ(ただ、どこかのギルドに所属しているだろうということはなんとなく分かる)男に振れる話も特になく、かといって暇をしていた手前カウンターに戻るのも惜しまれた。
 キッチンから調理の音が聞こえるのを背後にぼんやり聞きながら、何気なく窓の外に視線を向けた。また雨脚が強くなっている。

「青年、どっかのギルドにでも入ってるの?」
 その声に顔を向けると男がグラスの縁を手持ち無沙汰に触っていた。突然の話題に意味無く男をみつめる。薄い若葉色の瞳は幾らかの好奇心を持って俺を見上げている。
「武醒魔導器なんて、一般人はまず持ってないし」
「ああ……」
 それ、と指さされたのは腰のベルト。幅広の革ベルトに武醒魔導器の魔核が取り付けられている。装飾も特にないシンプルな物だが昔からずっと身につけている物で、絶対手放したくない物の一つだ。
「昔、ここに来るまでは小さな商隊ギルドに居たんですよ。お前も男なら自分の身ぐらい自分で守れーってことで、これを」
「へえ、そうだったの。――昔はってことは今は違うのね」
「戦争の影響でいろいろありまして」
 他人の立て込んだ話なんて聞いていて面白いものでもないだろうから、ちょっと苦笑いをしてごまかす。男もそっかーと相槌を打ってグラスを持ち上げたが、ふと動きを止めてグラスをテーブルに戻す。やけに神妙な面持ちで立ったままの俺をじっと見つめる。
「……10年前にギルドに居たの? 青年って若そうに見えるけど、今幾つ?」
「今年で23ですけど」
「13で既に結界の外で戦ってたなんて、人生波瀾万丈ね……」
 あちゃあ、と苦い物をかみつぶしたような顔で苦しそうに男は言うが、正直な所今思えば全部がいい思い出になっているから人間の記憶美化能力というのは本当に恐ろしい。
「ま、いろいろあったんで」
 話に蹴りをつけるつもりという思いを込めて肩を竦める。それを上手くくみ取ってくれたのか、男はしょうがないとでも言うように再度グラスを取りあげた。
 幼いながらも戦争は恐ろしい物であることは分かっていたし、商隊という組織上あちこちに行った。誰しもあの戦争については何かしらの感情を抱いているだろう。
「本当ねえ」
 ぽつり、と独りごちるように呟かれた言葉は今までの男が口にしてきた言葉よりも、ずっと重みを感じる。ああ、この人も大変だったのか。

 俺は無理矢理思考を切り上げて男の傍を離れカウンターから新しいタオルを取り出した。濡れて冷たくなったタオルをずっと持たせておくのは、男が冷え性かもしれない、ということも考えてあまり良くないだろう。
 男のタオルを交換してもらい使用済みのタオルを置きに行くついでにキッチンの様子をみる。味噌の煮詰まるいい匂いがする。覗いてきた俺に気付いたおばさんは、そろそろだよと漬け物の入った小鉢を俺に渡してくる。その小鉢と汁物(今日は卵と豆腐のすまし汁だ)、ほかほかの白いご飯を準備して待機。
「はいよ」
 できあがったさばみそが平皿に盛りつけられるのを見届け、その皿と先ほど準備していた分も合わせて盆に載せ男の元へ。
「おまたせしました、さばみそ定食です」
 目の前に置かれた定食を前に、男がぱっと笑顔になり勢いよく両手を合わせた。ぱん、といい音が鳴る。
「どーも! いただきまっす!」
 箸を取ってまず汁を一口。汁の中でふわふわに固まった卵と小さめに切られた豆腐、そして醤油の香り。うちのはきちんと出汁を取っているので、塩気は控えめにして味がきつくならないギリギリの味付けになっている。昼のまかないで俺も食べたが旨かった。
 お椀を置いた後箸はさばに向かった。濃厚な味噌に煮込まれた切り身をざっくと大きな欠片に。短時間といえども、調理時間を感じさせないおばちゃんのテクニックは本当にすごいと思う、盗みたい。大口を開けた中に放り込まれた一口は、もぐもぐと咀嚼される。
 一口食べた男はぎゅうと目を瞑り震えながら(多分感動しているんだと思う)手探りでご飯茶碗を探り当てかっこむ。ああそれサイコーなやつですおっさん。さらにもぐもぐと咀嚼。飲み込んだと思った途端、ぱちんと音も高く箸が置かれ俺の手が捕らえられた。
「またうまいさばみそを……ありがとおおお……!」
 うわあ涙目だこのおっさん。そんなに今までおいしくないさばみそを食べてきたんだろうか。謎である。
「冷めないおいしい内にどうぞ」
 やんわり手を解いてカウンターに戻る。

 目の前でうまいと言って笑顔で食べてくれれば提供側はそれだけで十分な満足を得られる、というのはお約束である。とはいえ、掴まれた手の冷たさをまた感じてしまった。また気になってしまう。
 生姜増量は確かにされていたから、生姜の作用で身体の隅まで暖かくなってしまえとがっつく男の背中に胸の内で叫んだ。
 


 ***


 俺は食事時に邪魔されたくない、という理由で客が食べている最中にあれこれ、というのはしない。おっさんががつがつとさばみそを平らげるのを見守りつつ、暇なときに少しずつ読み進めている本を開く。長く使っているしおりがいい加減ぼろぼろになってきているので、新調しないと。
 何ページかをゆっくり読み進めていると、箸を置く音が聞こえる。その音に顔を上げて本を閉じ水差し片手に立ち上がる。傍まで来た俺に、おっさんはちらと目をやって満足そうに顔を緩めている。
「ごちそうさん。うまかったよ」
「それはなにより。おばちゃんも喜びますよ」
 空になったグラスへ水を注ぐ。そのついでに窓を見ると、まだ雨粒がガラスを叩いている。俺の視線を辿ったのかおっさんも窓を見て、ああ、とぼやく。
「雨止まないわねえ」
「傘とか……持ってないですよね。予備とかないんですけど」
「もうちょっと弱まるまで居てもいい?」
「どうぞ」
 頷いて返すと男は小さく笑って頬杖をつき窓へ視線を向ける。最初見たときのような胡散臭い表情は見えず、静かな横顔だけ。邪魔をしないように盆を下げた。

 それから、男は俺に喋りかけて来る事もなくずっと窓の外を眺めていた。時折グラスに指をかけるけれどその表面を指先でなぞるだけで腕を引っ込める。もしくはグラスの縁をぐるりとなぞるだけ。外から伝わる僅かな雨音を背負ってのその様子は、まるで物語に出てくる女を待つ幸の薄い男のようだ。俺もすることがないので本を開いている。とても読書がはかどる。
 じわりと意識の端っこに眠気がやってくるのを感じて危機感を感じた。頭を振ってみるが、こんな動作で眠気が消えるなら世の中こんなに苦労しない。とりあえず水を飲んでみる。……結果は御察しの通りだ。
 椅子を引く音がして顔を上げると男がグラスを手に立ち上がっていた。紫色をした派手な羽織の裾を直しながらカウンターに近づいてくる。
「長々と悪いわね。雨も小降りになってきたしそろそろ行くわ」
 そういわれ窓を見ると確かに雨脚は弱くなっている。走って目的地に急ぐのであれば十分かも知れない。まあ男が何処に行こうとしているのか俺は知らないが。
 カウンターにとんとグラスが置かれ、差し出された手から代金を受け取る。が、明らかに硬貨の数が多い。手のひらの上で広げて数を数える。
「おつり出しますんで、ちょっと待って下さいね」
 暇すぎて蓋をしてしまったのですぐには出せないのだ。薄い金属の箱に手を伸ばすと足音。
「あー、おつりはいいわよ」
 その言葉に再度顔を上げる。ドアノブに手をかけた男が緩い笑みを浮かべていた。垂れ目がいっそう強調されるような、目尻の下がるなんともゆるい顔。
「タオル代とでも思ってちょーだい。じゃあね、ごちそうさま」
「あ、えっ」
 ばちりと飛ばされたウインクに思わず動揺する(おっさんのウインクなんて残念ながら欲しくない!)。そしてひらりと振られた手に慌ててカウンターを出るが間に合うはずもなく、男は未だ小雨の降りしきる野外へと身を躍らせていた。水溜まりも構わず走っているのか、慌ただしいバシャバシャとした水音。閉まりきる前のドアになんとか手をかけ、開けて外へ顔を出すが男の姿はない。案外足が速いのか、それともどこか細い路地に入り込んだか。やっぱりほら、ただ者じゃないじゃん!
 呆然とする俺の頬を雨が打つ冷たさで我に返り、室内へ戻った。なんなんだあのおっさんは。思わずため息が突いて出る。
 カウンターを飛び出すときに乱暴に置き捨てたガルドを睨み、余剰分を弾いて箱へしまう。弾いた分は一旦俺が持っておくけれど、くそ、あのおっさん次来たら覚えておけよ! 


up14/4/2
Title:Shirley Heights