ふらりと訪れた酒場は賑やかなざわめきに満ちていた。ユーリはと共に空いているテーブル席につき、即座にやってきたウェイターに適当に数品注文をする。小さい酒場ながらに繁盛しているらしく店員達は慌ただしく走り回っており、そんな姿を横目にはふうとため息をひとつつき頬杖をついた。テーブルの傍にはラピードが行儀良く腰を落ち着けている。
「流石に3日かかる所を2日はきっついね」
「もう年なんじゃねぇの」
「お前より2つばっかり上なだけだよばーか」
椅子の背もたれに背を預けるユーリをじろりと見上げると、冗談だと言わんばかりに口元をつり上げる。こんなやりとりは既に慣れっこだ。
ふたりはカプワ・トリムの裏通りにある小さな酒場で夕食を賄おうとしているが、ここに辿り着くにはいくつかの障害が待ち構えていた。
世界から魔導器が失われてから既に3年ほどが経過している。星喰みが消えてすぐなどは、帝国もユニオンも混乱を隠すことが出来なかった。凛々の明星としても、頭領であるカロルが傾ぐユニオンの手助けをと名乗りを上げかかりっきりになってしまったためまるきり1年はギルドとして機能していなかった。2年目にしてなんとかカロルも落ち着き、ジュディス、ユーリ、ラピード、そしてを含む4人と1匹で本格的にようやくギルド活動が始まったのだ。
フィエルティア号を抱えるバウルと意思疎通の出来るジュディスは物資運搬が(隠れた戦闘狂である本人は少しばかり不満そうではあった)、カロルは旅をしていたころから続けていた倉庫整理や地図作成の特技を生かし、腕っ節だけは良いユーリは討伐や護衛の依頼をこなす事が多かった。は長く宿屋の切り盛りをしていたことから飲食店などのヘルプに入ったり他のメンバーの補助を行っている。各々の活躍により、是非凛々の明星に、という仕事の依頼も多くなりギルドとして軌道に乗っている。
その中で、街道にたむろする魔物の退治依頼が凛々の明星に寄せられた。ジュディスはバウルを伴って遠出しており、カロルは翌日倉庫整理の依頼を控えていたため手の空いていたふたりが抜擢されたのだ。しかし馬車隊の通り道であるという事で至急も至急、出来るだけ早く退治して欲しいという特急依頼であった。
普通に向かって3日かかる所を何とか2日で現場に到着したのは良いが、通りすがりだという騎士団の一行と鉢合わせ流れで共同討伐になってしまった。想定していたよりも魔物の数が多かったため、ふたりきりでは対処に手を焼いていたかも知れない。即席の合同戦線となったが討伐は順調に終わった。
幸か不幸か騎士団の一行はあのフレン隊であり班長の男は理解のある男であった。ギルド名を聞いた男は一つ頷き、被害を押さえられたことに対しての感謝を述べ深々と頭を下げた。人同士でいざこざが起こることもなく穏便に事は終わり、特急行進と長時間の戦闘で疲れきったふたりは一番近いカプワ・トリムへ転がり込んだのだった。
グラスに注がれた水を口に含みながら、よく訓練されていたなとは先の戦闘を思い出している。隊の中におそらく新人と思われる若い騎士がひとりいたが、先輩達に引っ張られながらも上手く立ち回っていたように思える。は騎士団に所属していた経験はない。しかし目の前でだるそうに背もたれへ身体を預ける男は違うのだ。そしてふと、昔も思ってた願望が蘇る。
「……俺、騎士団にいるころのユーリ見てみたかったなあ」
その呟きにユーリは大げさに眉を跳ね上げた。
「突然何言ってんだ」
「ほら、さっきの戦闘の時見るからに新人君がいただろ」
だからだと言ってやれば、ユーリは複雑そうな顔をして口をへの字に曲げる。
は未だに、ユーリが何故帝都の下町に出戻ってきた本当の理由を知らない。しかし今は起こった問題が知りたいのではなく、どんな生活をしていたのか、どんなことをしていたのかという事が知りたかった。
ユーリは長く騎士団にいた訳ではなかったが、その間に一度も下町へ帰ってきていないのだ。帝都で騎士登用試験を受け合格すれば基礎訓練を叩き込まれる。その期間が終われば各地に赴任されることになる、とは聞いたことがあった。どっかで抜け出して来てもよかっただろう、それぐらいのやんちゃは出来ただろうとは思いはすれどさすがに口には出さない。
ちっとも騎士団時代の話題を上げさせないユーリは、やはり今回も話したくないという嫌そうな表情を露わにしている。
「……少なくともあんなへっぴりじゃなかったぜ」
拗ねたような声色には小さく笑ってしまう。
「拗ねるなって」
からかってやれば、うるせぇとそっぽを向かれた。こういう反応は昔から変わっていない。気にせずに話を進める。
「騎士になる、って言って飛び出したかと思えばふらーっと戻ってきてさ、ガキンチョの頃から見てるこっちとしては気になって仕方無いだろ。――フレンはどうだった?」
そう尋ねた所でウェイターが料理を運んできた。マーボーカレーが2つとシーザーサラダ。ユーリには果実を搾ったジュースと、はあまり甘くないアルコール。最後にラピードへのいぬごはんを床に置いて、ウェイターは伝票を残し下がった。
暖かな湯気と香辛料の刺激的な香りに胃が刺激され無意識に唾が湧く。颯爽と登場した料理には逆らえないようで、ユーリは椅子の背にもたれていた身体を起こしフォークを取る。
「フレンか。今よりずーっと融通が利かなくて……いや今もだけど。昔の方がカリカリキリキリしてて、早々にハゲるんじゃないかと思ったぜ」
ユーリは昔を思い出しているのか楽しげに口元を上げ、フォークを持ちサラダの皿へ突き立てる。刺さった葉野菜を口に放り込みながらジュースのグラスを引き寄せた。なんだフレンの事は喋るのかとは意外に思いながら相槌を返す。
「へえ。フレンも若かったんだな」
「そりゃあな」
正式に帝国騎士団団長という肩書きを持ったフレンは、今ではきっとろくに身体を動かす暇もなく仕事に忙殺されているのだろう。
以前の旅の最中、共に行動した時などはユーリとの抜群のコンビネーションに驚愕する者が多かった(は流石、と楽しそうに笑うだけだが)。そしてお決まりのように、何故足が出る手が出る頭が固いだのと言い合いになるのだった。それが昔はもっと酷かったのだろうと想像して、は思わず頬が緩んだ。それは確かに若い。
「写真とかないの?」
出来たてでほかほかと湯気を立てるマーボーカレーをすくったスプーンを口に入れ、ユーリへ再度問いかける。サラダのしゃきしゃきとした新鮮な食感を味わいつつ、ユーリは首を横に振った。
「確か入団の時に撮った気がするけど。俺は持ってないな」
「ああ……。写真は高いもんなあ」
先ほどまでらんらんと輝いていた目がすっと大人しくなる。そうかと答える声色も覇気がない。表情に変化が無いため傍からすればちょっと落胆した程度と見られるかもしれないが、付き合いの長いユーリはのテンションが下がったのが分かった。
折角できたての美味い料理を食べているはずなのに、見ている側からすればちっとも美味そうに見えない。もし犬耳がに付いているとすればしゅんとしょげて伏せられた耳になっているだろう。
話題を切り出した時とのあからさまな差に口の中のものを飲み込んだユーリは苦笑をひとつ。
「今度帝都に戻って会えるようなら、聞いてみてやるよ」
ふっと顔を上げたは僅かに見張った目でじっとユーリを見つめ、困ったように眉を下げた。
「ありがと」
「いいから、まずそうに飯食うなって。勿体ねーだろ」
頷きマーボーカレーを食べる事に集中しはじめるを見守りつつ、ユーリも手を進める。あつあつのマーボーカレーは豪快な盛りつけながらもスパイスが利いており美味い。あっという間に空っぽだった胃に収まっていった。
困ったことに、自分よりはいくつか年上であるこの男がころころと表情を変えるのは気心知れた者の前だけであった。それが可愛い所ではあるとユーリは思っているが。
接客の経験があるため人当たりもよいは、計らずして凛々の明星の顔となっている。他の面子が――とくに年長組――あまり接客に向いていないという事も大きかった。
仕事中やあまり親しくない者にはあくまでもスマートだ。無茶振りに無理難題を重ねられても、少しだけ困ったような顔をしてまずは確認してみますと返す。例えその内心が罵詈雑言で埋め尽くされていようと、表面だけは取り繕う。ただこれが内輪となると、文句も言えば思い切り眉をひそめ不満な声を上げるようになる。一度ユーリがそれとなく反応が違う事を聞いてみたが、本人は自覚が無いようであった。タチが悪いと思ったがこういう奴が世渡り上手でうまく生き延びるんだろうと思う。
今日の仕事内容についてぽつりぽつりと会話をしながら、はグラスを空けていく。特別酒に強い弱いと言うわけではないが、アルコールの作用でほんのりと顔が赤くなっていた。サラダもカレーも食べ尽くてしまい、はもう氷ばかりになったグラスをからりと回しユーリは2杯目のジュースを飲んでいる。
自然と会話が途切れ、ふたりは酒場のざわめきに耳を傾けていた。そうして聞こえるのは何でもない客達の話し声や食器のぶつかる高い音、足音等々が混ざり合って心地よいノイズ。
「……まあ」
グラスを弄びながらはざわめきに紛れ込ませるようにぽつりと呟く。ラピードの頭を掻いていたユーリはその呟きに顔を上げると、手元に落としたままだった視線をユーリに向けたと視線が交わる。
「お前が話してくれる気になるまで、待つよ」
いつもとは違うアルコールで赤い目元と緩い笑みに直視が恥ずかしくなる。思わず視線を反らしてから低く唸った。
「……まだその話引き摺ってたのかよ」
ワフリとテーブルの下でラピードが鳴いた。
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