最果てで嘲笑う孤独へ


 かつりとのはき慣れたブーツが良く磨かれた床を叩く。廊下には人気が無く音を気遣う必要は全く無かったが、なるべく物音を立てないようにと細心の注意を払いドアの開閉を行う。
 足を踏み入れた部屋はとても簡素な配置になっていた。思えば帚星にあるユーリの部屋――もとい、宿部屋――と同じぐらいの大きさだろう。大きくとられた窓のすぐ下にベッドが配置され、その手前にはシンプルな作りのスツールが2脚、頭側にサイドテーブル。細々としたものを収めた、背の高い棚。窓は開け放たれ心地の良い春風が吹き込んでおり窓にかかる白いカーテンを揺らしている。白さゆえに空の青さが透けて見える。良い天気だった。サイドテーブルに飾られた白い花が可憐に揺れている。
 ベッドにはユーリが横たわっている。春の日差しの中目を閉じる彼は青年と呼べる年をとっくに越え、凛々の明星の重鎮としてふさわしい功績を残していた。本人には不本意なふたつ名もいつか存在しているあたり、その功績の誇張表現が大きいのかも知れない。噂は時に尾ひれが付いて大きくなることもまま、ある。
 はスツールをひとつ掴みベッドに寄せ、それに腰を下ろす。もまた同じように年を取り、今ではギルドの教育係として駆け回っていた。さらに昔の経験を元に凛々の明星直営の宿屋を切り盛りするようになり、宿の経営を波に乗せもう随分と月日が経つ。

 横たわったままのユーリをは静かに見下ろしている。その目には子を見守るような暖かさがあったが、表情は渋い。思い切って短くすることも長くすることも億劫になって、ずっと肩に付く程度の長さを保つ黒髪が風に揺れ頬をちくりと刺激する。新しい季節へと移ろい始めている風の中、はそうっと口を開いた。
「今だから言うけど、お前、本当に1人で抱え込みすぎだよ」
 言おうと思えばいつでもぶつけることが出来たが、それが出来なかったのはなんだかんだでうやむやにされてしまうユーリの所為だった。それに今更怒りを覚えるわけではないが、一度口にしてしまえば今まで吐き出せなかった言葉が次から出てくる。
 スツールに腰掛けているが、すっと伸びた背筋。太股の上でさまよっていた両手は緩く拳を作り落ち着く。若々しい肌の張りは無くなり、年相応の手になったとは自らの手にちらりと視線を向けて思う。
「身内だからか、イライラしてるのを出すようになったのはちょっとだけ進歩かなとはおもったけど、そういう兆候は見せつつさらけ出さないんだからジュディスとかもイライラしてきてさ。なだめるの大変なんだよ、彼女。カロルはカロルで、よろしく、って丸投げしてくるし。とんだ頭領だよ」
 ふう、と一息ついて首を回す。ここに来る直前までギルド関連の書類と格闘していたため首から肩にかけてが凝っている。
 言葉に対する反応は求めていなかった。は一度深く瞬きし、視線を窓の向こう、良く晴れ渡った空へと向ける。
「……お前が抱え込みすぎてどうしようもないとき、どうにかさせるのは俺の役割かなーって思ってたんだ、これでも。いつかだったか、後ろから足技仕掛けてすっころばせてーってやったことあるだろ。でも無理矢理気分転換とかさせなくても、お前はひとりで誤魔化し方だけは上手くなるし。そういう生き方って俺は不自由してると思ってたんだけど、実際の所どうだったんだろうな」
 風に吹かれてちくちくする髪を鬱陶しく思い、はズボンのポケットから髪紐を取り出す。慣れた手つきで髪をうなじでひとつにまとめ、再度のため息。
「それからさ。お前とフレンの考え方。親友っていう言い方好きじゃないかもしれないけど、もしも道を違える事になったら例え親友であったとしても切るってやつ。よくやるよな。昔っからお前らは反対を向いてるようであって、実は根っこは同じ方向を向いてる。それはずっと変わらなかったな。ことある事に口喧嘩してさあ、これは昔も変わらなかったな。フレンが団長になってから顔会わせる機会が無くなって、お前寂しかったんじゃないの。
 ……お前にせよフレンにせよいろんなもの背負い込んで、それを自分の血肉が如く離さないからタチが悪いよ。もっと楽な生き方もあっただろうに。もう選んだとかなんだ言って、本当は辛くて仕方無かったくせに。馬鹿じゃねぇの。仲間だって思ってるならもっと頼れよ。胸の内もっと吐いてもよかっただろ。変な所頑固でどうすんだよお前」
 言葉を吐き捨て、俯く。自分の拳が震えていることに気付いた。震えを隠すために一層握りこんでもさらに震えるばかりでどうしようもなかった。
「馬鹿じゃねぇの」
 二度目絞り出された声も震えていた。

 ベッドの上に横たわる男に血の気はない。いくらか皺の見えるようになった顔に落ちる睫の影が震えることもない。年を重ねても生意気な性格は変わらずであったが、口を開けば反骨心の見える口調ももう聞くことは出来ない。血の気はないがともすればこのまま目を覚まして、いつも通りに軽い挨拶をしてくれそうな気もする。しかし、ユーリが横たわるその場所は時間が止まっているのだ。

 まだ吐き出そうと思えば吐き出せるユーリへの小言を飲み込んで、は視線をあげた。整った横顔が憎たらしく見える。腕を伸ばし風で乱れた髪を払ってやると肌の冷たさに事実を突きつけられ、背筋が震えた。
 冷えた肌の感触が残る指先を握りしめては立ち上がる。ベッドの端に立てかけられていたユーリの愛刀を取りあげ、身体のすぐ脇へ置いた。手入れが行き届き使い込まれた剣は光を浴びてその存在感を示す。
「フレンには俺が伝えに行くんだ。……あいつ、泣かせられるかな。無理かな」
 動かぬ身体へおやすみと囁いて部屋を出た。葬儀はこのあとすぐに行われる。その間に、は帝都へ走るのだ。はもちろん、フレンもどう急いだとしても次は墓石しか見ることはできない。ジュディスはこちらに残って諸事のサポートをすることになっている。無理を言ってバウルと同行して貰うのも躊躇われた。

 ため息を隠すこともせず、部屋を出たすぐの廊下で暖かな空気を肺に取り込んでいると廊下の向こうから床を掻く爪音。継いだ血筋が濃いのか、深い海色の毛並みをした犬がへ向かって歩いてくる。しゅっとした尻尾は代々継がれており、その尻尾を悠悠と揺らして足元までくるとワフリと吠えられた。場所を弁えているのかごく絞られた声量だ。
 はしゃがみ込んでその犬の頭を撫でる。耳の裏を掻くようにしてやれば、心地よいのか目が細められた。両手で彼の頬を挟んでやれば真正面から向き合うことになる。静かな瞳は真っ直ぐにを見つめ、生まれつき先の欠けた片耳がひくりと動く。添えるだけだった手からするりと抜け出したかと思うと、べろりと顔を舐められる。
「慰めてくれんの」
 返事はなかったが、行くぞと言わんばかりに廊下を進む姿に小さく笑う。膝に手を突いて立ち上がりしなやかな後ろ姿を追って足を動かした。

「……ひとりきりは寂しいだろうに」
 事実から背を向ける事は出来ない。飲み込んで前を向かなくてはいけない。
 悲しく笑うは、振り返ることなく街を出た。目指すは帝都、ザーフィアス。
 



up14/6/29
Title:怪奇