ぺたりとの手のひらがカイトの頬に当てられる。思ったよりも熱い手のひらに、カイトは予期せずどきりとした。
カイトが椅子に座り、その正面にが立っているためいつもと視線の高さが逆転している。上から覗き込むように見下ろされ、カイトはその視線を受け取るため僅かに顎を上げた。
「……」
互いの呼吸音が聞こえるほどの至近距離。カイトにはの鼓動まで聞こえている。一体どうしたのだろうと不安になるが、心拍数は至って常時と同じ速さだった。
「お前は」
じいっと見つめられたままぽつりとが零す。無意識にカイトは、はいと短く返事をした。
「俺の事好き?」
「好きです」
いつもなら本当に酔った勢いでも20回に1回ですら口にしない言葉をさらりと紡ぐに、カイトは一体どうしたんですが熱でもあるんですか、と問いただしたくなる気持ちを抑え素直に返した。途中で話の腰を折っては、この先こんな雰囲気が続くかどうか、どうなるのか分からない。
好きです、本当に。
言葉を重ねるカイトに、はうんとひとつ頷く。
空いていた片手が持ち上げられ、するりとカイトの首に回される。ああやっぱりこの人は酔っているんじゃないだろうかとカイトは思い始める。そう思っても仕方無いほど、常ならばあり得ない行動の数々だ。
「多分、きっと、俺もね」
手のひらが頬を滑る。親指の先が顎を掠め、手は肩に落ちた。
先ほどからひっそりと零れる声音は、言葉に反して感情を殺したような音だった。少なくともカイトにはそう取れた。
「お前のことが好きで、どうしようもなくなるぐらいには好きで」
待ち焦がれた告白をされているはずなのに、どうしてこんなにも胸が痛くなるのだろう。
互いが互いを思い合えて、それが漸く通じ合ったという瞬間なのに、どうして目の前の人は苦しそうに泣くのを堪えているのだろう。カイトは己のマスターにかけることばを見つけられず、中途半端に口を開けたままただ視線を受け止める。
「でも、分かってるんだけど、どうして今更こんなこと思うのか俺にも分からなくて」
今にも泣き出しそうな表情のままはカイトの肩に額を付け項垂れた。さきほどから行き場のないカイトの両手が、空を彷徨う。
「俺は、あなたが好きなんです。マスターだからではなくて、あなただから」
「分かってる」
カイトの服を握りこんだままが拳をつくる。震えていた。その手があまりにも不憫に思えて、カイトはそっと己の手を添える。
は自分の手に添えられた温もりを、手のひらに感じていた肌の温もりを、自分に向けられる感情を噛み締めていた。
全て愛おしいと思う。同じようにもしくはそれ以上を返してやりたいと思う。
けれどそう思えば思うほど、天秤は傾いていった。
「好きだよカイト」
でも、とくぐもった声は、本人が思っているよりずっと鮮明にカイトには聞こえている。
「どうして俺はお前のマスターでお前はボーカロイドなんだろう」
人であれば、よかったのに。
ああ、とカイトは理解した。そして先ほどまでのふわりと暖かな気持ちが冷たい風に吹きさらされていくのを感じた。
どれだけ思考を人に近づけても、どれだけ見た目を似せても。この腕を切り裂いて溢れるのは赤い血ではなく擬似血液だ。
身体を構成するのは強化骨格であるし、擬似筋肉は人と同じ筋細胞で出来ているわけもない。頭蓋の下に収まるのは脳ではなく、コンピュータだ。
どれだけ人と同じ姿形をしていても機械と人間という大きな壁は、到底越えることの出来ない一線。
どれだけ願っても、ボーカロイドとして生を受けた以上踏み入れることの出来ない地点。
「でも、マスター」
自分の肩に頭を預ける愛おしい人は、涙を流さずに泣いているとカイトは思った。そうして、そっとの背に手を回した。せめて早く、この人が泣き止むようにと。
「だからこそ、俺たちは出会えたんですよ」
up12/04/26