買い物ついでにギターの弦も買っておこう。そう思い立って、出先の大きな楽器店に足を向けたのがきっかけだった。
様々な物に目移りしながら目当ての物を手に取り、レジに向かう途中。楽器を飾っておくにしてはやけに大きなガラスケースが目に入った。さぞかし高級なものが鎮座しているんだろうと正面に回り込み、中を見てヘンな声が出そうになった。中にいた、いやあったのは巷で噂のVOCALOIDだった。
アンドロイドがそんなに珍しくなくなった今、その一種で登場したVOCALOIDはぶっちゃけ普通のアンドロイドと比べると普及率は低い。歌う事を目的にして造られているのだから購入者が絞られてくるのはあたりまえだが、その所為で販売範囲も限られているのでまさか生でお目にかかれるとは思ってもいなかった。
中には"初音ミク""鏡音リン・レン""KAITO"という名札の前にそれぞれが椅子に腰掛けている。と、思いきや鏡音兄弟の姿がなかった。もらい手がついたのかなと思っていると、ふと背後から歌声。そちらを振り向くと、人の輪の隙間から黄色の双子が見えた。デモで歌っているらしい。よくネットで聞く声そのままで妙に感心した。
空いた二つの席を挟んで、ミクとKAITOが並ぶ。あのツインテ、重そう。とかなんとか思っていた。普通に可愛い子。眠ってるように閉じている瞼の、まつげの長さに何故かどきどきした。
青い男を見る。目は閉じられているが、その奥の瞳まで青い事は知っている。何度か――数えるぐらいしか、KAITOの歌声を聞いた事がない。けれど好きな声だった(……今思えばそういう風に調声されていたのかもしれないが)。
俺が優柔不断なのは周りからもよく言われている事で、自分自身もそうだと思っている。
あ、なんかどうしよう。
と。思って、しまった。
弦の入った袋を片手に、双子の明るいポップスを背後に聴きながら俺は結局、ガラスケースの前で30分立ち尽くした。
理性を総動員してレジまで歩き、手にしていた物を購入しながら次来たときにまだ居たら。と必死に言い聞かせていた。
それから一月ほどして、またあの楽器店に足を運ぶ機会があった。すっかり忘れていたというのに、店に入った途端思い出して頭の一部がさっと冷たくなる。否、緊張している。早く早くと急く気持ちと、まあ待てゆっくりしていけという気持ちがごちゃごちゃになって当初の目的を忘れてしまいそうで。
目当ての物をさっさと見つけて籠に投げ込み、ばくばくする心臓を持てあましながら(ていうかどこの乙女だ俺、気持ち悪い)例のガラスケースへ。
中に見つけたのはピンクとエメラルドグリーンと、青。ごくりと知らずに喉が鳴る。
うわ、うわ。
霞む記憶そのままに、青い男は座っていた。
ちょっとふらつきながらレジにカゴを置く。
「いらっしゃいませ」
「あの」
はい、と営業スマイルの店員が答える。俺はガラスケースを真っ直ぐ指さして、
「KAITO、ください」
言ってしまったわけだ。
目の前で俺の作った曲を高らかに歌い上げる男は、あの日の色のまま。自分の中でイメージする音と、紡がれる音に差異が無いかを聞き取りつつ、視線はぼんやりとカイトを見る。
(気持ちよさそうに歌いやがって)
一先ず今一段落する部分まで歌いきって、カイトはふうと息を吐く。俺の視線に気付いたらしく、小さく首をかしげながらこちらを見る。
「マスター?」
その呼び方も、今ではすっかりなじんでしまった。というか、呼ばれるのに抵抗がなくなった。流石に外で呼ばれるのは恥ずかしいけれど、慣れとは恐ろしいもんだ。
「どこかおかしかったですか」
僅かに心配するような色を込めてカイトが尋ねる。いいや、と俺はキーボードを見ずに幾つかキーを叩き、カイトと向き合う。
「大変よろしい」
ぱっとカイトの顔が明るくなる。単純な奴め。知らずに頬が緩んでしまい、慌てて(いや、あくまでひっそりと)表情を引き締める。
今取りかかっている歌が歌だからだろうか。こいつとの出会いなんてを思い出したのは。ネタの神様が降臨されて、自分でも驚くぐらいのペースで書き上がったものは出会いの、始まりの曲だった。
「……カイト」
「はい」
マイクの位置を調節しながら、カイトが嬉しそうに返事を返す。訳の分からない衝動でお前を買ってしまったけどさ。ああそういえば、こういう事は一度も聞いた事がなかった。
俺の言葉を待つカイトがそわそわしている。まるでいつかのように緊張しながら、座った視線からカイトの青い目を見上げる。
「お前、ここにいて幸せ?」
――そもそも、ボーカロイドであるこいつにこんな質問を投げかけるのはおかしいかもしれない。自分たちと同じ人間という形をとっていながら、所詮は機械。プログラムが支配する脳内。
言葉に出してから、やっぱりやめればよかったと思い切り後悔をした。
質問を投げかけられた当人は一瞬きょとんと、そして目をぱちくりさせる。その後すぐにふわりと微笑んだ。
「はい。幸せです」
本当に幸せそうに笑いやがって。俺はあまりの素直さにくらりと目眩に見舞われた。
「マスターの作る曲は全部好きです。それに俺、マスターも好きですから」
はにかむ事もせず、微笑んだままの表情で、さらりと。オブラートに包むとか、変化球にしてみるとか、そういう頭がないのは重々分かっているつもり。だけど、毎回真っ直ぐに気持ちを表現されるのはいつまで経っても慣れない。
じわっと耳が熱くなる(顔じゃなくて耳に出るのは俺の特徴)。言葉に反応を返さない俺に、カイトは僅かに表情を曇らせて首をかしげる。
「マスター?」
「……俺は」
そんなに、尊敬に値するような人間じゃないよ。
それを口にするにはあんまりにもばかばかしすぎて、でも慕ってくれているカイトが正直嬉しくて、俺は頭を振ってごまかした。
「大丈夫です」
何が、と文句を言おうと開いた口は、何も発せずに閉じられた。
「そんな貴方も大好きです」
と、満面の笑みで。聞いているこっちが恥ずかしくなるような台詞と共に。……いやもう恥ずかしすぎて恥ずかしい。
up11/02/06
出会いの話。あれ、それ、一目惚れじゃないの?