ずしりとに全体重を容赦なくかけてくるジェイムズ・ブッカーは、身長相応らしく随分――いや、かなり重たかった。気を失っている訳ではなく、歩いてはいたがそれも千鳥足だ。ふらふらする彼に肩を貸しながら歩いているが、悲しいことに二人の身長差はほぼ頭一つ分だった。
「少佐……重いで……す!」
常日頃仕事で重労働はやり慣れているだが、それとこれとは訳が違う、仕事は専ら持ち上げて運ぶが、これはのし掛かられながら運ぶんだ……。と無意味と知りながら心の中でひとり言い訳を呟く。
重いと抗議するものの、それに対しブッカーは酔っぱらいらしく気の抜けた笑いで答えるだけだった。
「くっそ……」
小さく悪態をつく。こんなときこそ誰かに助けを求めたいものだが簡単にはいかない。まず声をかけても手を貸してくれるかどうかが分からない。そして、あたりを見回したところで知り合いがいる確率は限りなく低いかった。
僅かな希望を胸に小さく辺りを見回すが、それはひとりで彼の住居まで彼を運ばなくてはいけないという現実を確かにするだけだった。
ああ、なんで俺がこんなことに。
顔の近くにアルコール臭い息が吐かれた事に思いっきり眉をひそめながら考える。酒場に置いてきても良かったのだ。だがいくらか良心の残る彼は(特殊戦の面々とは違い、だ)渋々ブッカーを突っついて店を出てしまった。
なってしまったことは仕方ないと諦めのため息をつきながらは歩く。ほどよく回っていたアルコールもいつの間にか消え失せていた。
「は? 今晩、ですか」
はいつも通り、特殊戦をはじめとするいくつかの機体の整備をしていた。その仕事もようやく終わり、適度な疲労感に包まれながら格納庫を後にしようとした矢先だった。出入り口ですれ違ったブッカーに、今晩は空いているかと声をかけられた。
「ああ。もし空いているようなら、ちょっとこれに付き合ってくれないか」
これと言うときに右手で何かを握るような仕草をし、それを傾ける。ああ、とは呟く。
「いいですね。最近飲んでなかったな……いくらか少佐の奢りなら」
「よし。では、1時間後に下のロータリーで」
「了解」
一旦別れた後身支度を調え約束された場所に着くと、そこには既にブッカーの姿があった。の姿を認めると片手を上げる。も上げ返すと、はき慣れたエンジニアブーツの踵を鳴らしながら小走りで近寄る。
「思ったより早かったな」
「そうですか? 俺は少佐の事だから、遅れてくるのかと思いましたがね」
小話を挟んだ後、二人は酒場へと場所を移した。店内に入ると随分混雑しており、一通り席を見た後カウンター席に着いた。まずは二人ともビールで喉を潤す。
「仕事上がりの一杯は効くなあ……」
一気に半分ほどを飲み干したジョッキをテーブルに置く。続いてブッカーがテーブルにジョッキを置き、1日の凝りを解すように大きく伸びをする。
「で、ジェイムズ。今日はどうした訳」
手の甲で口を拭い、肩を回しているブッカーに尋ねる。ブッカーは両肘をカウンターに付き、ふうと息を吐く。
「毎回のことで悪いな」
「いや別に。こっちは酒飲まして貰ってるし」
「ははは……。飲まなきゃやってられん」
「おー、飲め飲め。聞いといてあげるから」
と、飲み出してから1時間とすこし。ブッカの愚痴に聞き手がいることに気をよくしたのか、日頃溜まっていた鬱憤をつらつらと吐き出す。そんな彼にほどよく相づちを打ちながらマイペースにグラスを傾けていたは、ブッカーがもう随分な数のジョッキを空けていることにふと気づく。
「おーいジェイムズ。お前ちょっと飲み過ぎ」
もうやめろよ、とブッカーの肩を掴もうとすると逆に手首を掴まれる。何だと思っている内に俯いていたブッカーが顔を上げた。随分赤くなっている。
「やっぱり飲み過ぎ。もうやめといた方がいい」
「」
「何?」
じいっとブッカーはの顔を見つめてくる。何度か二人きりで飲みに行ったことはあったが、ここまで飲むというのは今までなかった事だった。はなにか酷く辛いことがあっただろうかとうっすら心配になりながら、けれど視線は反らさない。
「……お前はいい奴だなあ……」
と、頭を撫でられた。
頭を撫でられることなどもう随分無かったことで――それはそうだ、最後に頭を撫でられた時など覚えていない――突然の行動に、はブッカーを見たまま静かに固まっていた。
硬直から抜け出したのは、彼が満足げにぽんぽんと軽く頭を叩いたからであった。
「――な、何……ってジェイムズ、だからもう飲むのやめろって!」
中身が半分ほど残っていたジョッキに手を伸ばそうとするブッカーの手をたたき落とす。やはり恨めしそうな目で見られたが、すぐににへ、と緩い笑みを浮かべる。
「ほんとにお前はいい奴だなあ、。零は年がら年中雪風にべったりだし、そろそろおれは胃に穴が空きそうだ」
鬱憤が溜まりに溜まっていたらしい、とは判断する。もうちょっとブッカーに意識を向けていれば飲み過ぎなかっただろうと後悔するが、今更だ。
「生憎と俺は特殊戦メンバーじゃあないからな。いい医師と胃薬を紹介しようか」
「しわしわおばさんはおれに無理難題吹っかけてくるし、訳の分からない書類まで回ってくる……」
鼻をすすり始めた中間管理職者には激しく気まずさを覚える。この酔っぱらいを俺にどうしろって言うんだ!
「……いい秘書を探そうか」
「お前がなってくれるのが一番なんだなあ……」
「ばっ、馬鹿言え! そんなんなったら、絶対カンヅメだろうが! そんなの絶対嫌だからな」
冗談を本気で返され思わず頭をはたき、中身の残っているジョッキを彼から遠ざけた。
俯いて再びぶつぶつ日頃のあれこれを呟き始めたブッカーを見て、これはもう駄目だとは思う。ブッカーの飲みかけを一気に飲み干し、立ち上がる。
「ほら、ジェイムズも立てって。それと今日はお前の奢りだったろ」
腕を掴んで立たせるとブッカーはズボンの後ろポケットから財布を取り出し、紙幣をいくらかカウンターに置く。足りない分をが出し、せっつきながら店の外へと出る。
幾らか涼しい空気が頬を撫でた。ふわふわとほろ酔い気分だったが、突然肩に加重が掛かる。確認するまでもなくブッカーだった。
「……重い」
左肩に手を置きさらにその上に頭を乗せられているため、ブッカーの金髪が頬をくすぐる。重いともう一度言うが、反応はない。まさかこの体勢で寝てるのではないかと思ったが、立ったまま寝られるような器用な人物ではないだろうと、髪を一房思い切り引っ張った。
「い、いたたた」
「重いっていってんの。ほら、帰るぞ」
一度はきちんと立たせたもののアルコールが随分回っているらしく、イマイチきちんと焦点が合っていない。さらに千鳥足でふらふらしているものだから通行人に自らぶつかっていきそうになる。その度に慌ててが引っ張り戻すのだが、それがもう面倒だからとブッカーの腕を自分の肩に回し支えてやる。
「はは、悪いな」
「そう思うならひとりでちゃんとまっすぐ歩いてください」
なんで俺が、と小さく愚痴を呟きながらはブッカーの住居へと歩いていくのだった。
そう大して遠くはないはずなのに、全体重をかけようとしてくるブッカーと格闘しながらでは随分と時間がかかってしまった。涼しいはずの気温なのに、うっすら汗をかいたはふと上を見上げる。ようやく、目的地が見えてきた。
悪戦苦闘しながら階段を昇る。幾つか角を曲がり、ドアの前に立つと遠慮無くブッカーの上着ポケットから鍵を取り出し鍵穴に差し込んだ。ブッカーはと言えば、既に船をこいでいる。はそのすがすがしい寝顔に、苛立ちを通り越して殺意を覚えてしまいそうになった。
「まったく! 零に応援呼べば、良かった」
ベッドまで運ぶのが億劫で、身近のソファーにブッカーを乱暴に下ろす。凝り固まった肩をぐるぐると回し、帰ろうと彼に背を向ける。
「悪かったな」
「と思うなら思い切り飲むな」
背後からの声にぴしゃりと言い放つ。ははは、と疲れ気味の笑いが返ってきた。
「いや何。あんまりにもいろいろ溜まっていたのと、零が素っ気ないんでな」
「そりゃあ、零は素っ気なくて雪風以外には無関心がデフォだから」
「確かにな」
今度は笑いを堪えたような低い笑い声が聞こえる。玄関のドアの前に立ち、ああ、と振り返る。
「でも」
と口から零れた言葉にはふと、何を言おうとしたのか分からなくなった。無関心とはいえ、彼は少し前自分に向かって笑いかけてくれたじゃないか。それを言おうとしたのだ。そう、特殊戦でありシルフドライバーである彼が!
「零は、いいやつですよ」
思っていたこと全てを言うことは出来ず、いろいろな想いを込めそれだけをブッカーへ優しく放り投げた。ブッカーはアルコールの作用で赤くなった顔でじいとを見つめた。
が思っていたことが受け取れたのだろうか。分からなかったが、ブッカーは目元口元を緩め微笑んだ。
「そうだな」
ふう、と何気なく息を大きく吐き出す。強く瞼を閉じ、開ける。
「と、いう訳で俺は帰ります。明日二日酔いでも知らないからな」
「ああ」
ノブをひねりドアを開ける。ようやく帰れると思うと清々する気持ちだった。けれど、ブッカーとの会話はいつもどこか楽しい。仕事以外となると、専ら彼のブーメランの出来がどうとか、零がどうとかという内容になってしまうが。
「――そうだ、」
額へやっていた手を離し、を指さす。習慣の返答を返す。
「本気で秘書やらないか」
「やりません!」
目一杯力を込めてドアを閉められた。
up09/05/28