「お電話です少佐」
「――私だ。……ああ、その予定だが。何? そんなはずはないだろう、先週の打ち合わせで決めたはずだ、もう一度確認しろ。……ああ、ああ。分かった」
書類の山に囲まれたブッカーが電話対応に追われている最中も、タイプ音は止まない。軽快に続く音をBGMに、ブッカーは尚も電話口に機嫌の悪い声を吐き続け、半ば無理矢理に会話を終わらせ通話を強制終了させた。
ブッカーの机の傍には同じような形の机が設置され、しかしそちらにはパーソナルコンピュータが堂々と鎮座する。ディスプレイと向き合いキーボードを叩き続けているに向けて、ブッカーは疲れと怒りを隠さず独り言のような言葉を投げた。
「システム軍団の頭の固さは相も変わらず訳が分からないな」
「来週の新エンジンテストについてでしたか」
「ああ」
「まあ、開発には向こうも関係してますからね。出しゃばってくるのは仕方無いと思います」
「こちらは手のかかる子供達がわんさかいて、他の相手をしてる場合じゃないっていうのに」
は保育士のようですねといいかけ、やめる。返答を期待していたようではなかったため作業に意識を戻した。
手元の資料に目を落とし必要事項を拾い上げる。このご時世、まだアナログなことをしているものだと内心で失笑しながらキーボードを叩く。それにしてもこのミミズがのたうち回った文字は一体誰が書いたのだろう。全くもって読みづらく、逆に胸の奥に笑いがこみ上げてくる。
「おい」
いつもは電話だの、資料の不備だのでこちらから話しかけることが多かったため、指令を出すときのような鋭い声で名前を呼ばれ思わず手を止めた。
「はい」
なんでしょうか。姿勢は崩さずにちらと視線をブッカーに向ける。ふせんが乱雑に貼り付けられた紙束を掴むブッカーがこちらを見ていた。
「お前、その癖はどうにかした方がいいぞ」
「何のことでしょうか」
仕事とは関係ない話だったため、視線を戻し手を動かす。
「何も言わずにうっそり笑うのは見ていてぞっとする」
顔が整っているだけにな。
かつ、とブッカーがペンの尻で机を小突いた音がした。その音がスイッチだったかのように再びの手が止まる。やや時間があってから、ようやく言葉を飲み込んだのだ。
「……私がですか」
「なんだ無意識か。今し方だ。何を考えていた?」
「何を考えていただの、まさか私がそんな質問を投げかけられるとは思ってもいませんでした」
「フォス大尉に個室で問い詰められるよりはいいだろう」
「それは同意します。――何、あんまりアナログな作業だなと思いまして。世の中ペーパーレスだと言うのに」
会話が長引きそうだと判断し、作業を中断して椅子を引く。机の上に置き去りにされていたマグを取り一口嚥下する。コーヒーはすっかり冷めていたが、それがいつ頃まで温かい湯気を上げていたのかさえ覚えていなかった。
「なんだそんなことか。なかなか、些細なことで笑うもんだな」
「内心で、のつもりでしたが」
「いや。口もとが上がっていたぞ」
ふふん、と自慢げにブッカーが鼻を鳴らす。はカップを持っていない手で口元に触れ、自分は顔に出やすい質だっただろうかとすこし不安に思った。
あまり感情を露わにするのも疲れてしまうため最低限の表情で日々を過ごしているは、自分がポーカーフェイスだのなんだのと周りから言われているのを知っている。ただこうするのが疲れないというだけというだけのことであり、他人から言われることにどうこうしようというつもりはない。
指摘されてどこか不安に思うのは今までのイメージを壊したくない訳ではなく、これが広まり変に突っかかってくる人物が現れやしないかということだった。そんな人物の対応は疲れる、とは吐き捨てる。酷く自己中心な考えだ。
「……以後留意します」
「留意なぞせんでもいい。お前はもうちょっとこう、笑ったりだのしてもいいと思うんだが。零でさえ、まあ、雪風のことに関してになるが、笑うだろう」
比較的親しい特殊戦員を引き合いに出してブッカーが言う。
「はあ」
「そう、やる気と興味のない返事をしてくれるなよ」
「なぜ少佐が私にそんなことをおっしゃるか分からないのですが」
いくらか眉を顰めつつ、冷えたコーヒーをすする。インスタントではあったが、自分で粉を持ち込んでいるため冷えてもまだ好ましい味だ。
「何故。何故、か。簡単なことさ、お前は折角綺麗な顔をしてるんだから笑ってた方がいい」
「……こういうのをパワーハラスメントというのでしょうか」
眉を潜めて呟くと、ブッカーはオーバーリアクションで肩をすくめた。
「個人的な願望という奴だ」
up12/07/1
Blind Window:ジョハリの窓。自分は分かっておらず、他人は分かっている部分。