流星待ち

「よお、ジェイムズ」
 車のエンジンを切りながら、近づいてくる旧友に片手をあげる。
「思ったより早かったな、
 ブッカーは変わらぬの姿に笑みを零し、車から降りてきた彼に歓迎のハグをひとつ。それに答えながら、は笑いを耐えられずに声を上げた。
「なんだその長髪! 髭はともかく、お前、似合わない!」
 あっはははは、と腹の底から笑い転げるにブッカーは苦笑する。
「あのな…」
「もっさい! はっははは!!」
 車体をばんばん叩きながら腹を押さえるは、相当ツボに入ってしまったらしい。ひぃひぃ言いながら、後部座席からボストンバックを一つ引っ張り出す。
「あー、もう、ありがとう、久しぶりにこんな、あはは、笑ってて、ふふ」
「気分転換のネタにしてもらってありがたいことだよ」
「そう言うなって」
 悪かった、と笑いを引っ込めたはブッカーの顔色を見る。あれから随分と経っている。いろいろなものを置き去りに、見殺しにしてきたわけだが、には少佐時代と同じように見えた。とはいえ、あまり人の様子を読み取る能力には自信がないため少なくとも、ということになってしまうが。
「気が済んだなら中にいくか」
「ありがたく」
 先を歩くブッカーの背を追いながら、はやってきた道を振り返り見た。
 脇道もなにもない、眠たくなってしまうような一本道だ。ついでに畑と丘ばかりでめぼしい店も何も無い。ゆるゆると流れる時間の中で彼は何を考えていたのだろうか。

 ひとまずといったように出されたコーヒーをすすりつつ――特殊戦で馳走になったコーヒーよりも格段に旨い――何気ない会話を繰り返した。
 近状から、元同僚達やFAFに関わった人達の話。あらかたしゃべり終わった後、おかわりのコーヒーを飲み干したはゆっくりと絞り出した。
「お前も生きてたか、って言うのは何度もあったけど。零は、みてないなあ」
 ブッカーは窓の外に視線を向ける。瞳は凪いでいた。愚かな呟きだったとはすぐに後悔をした。
 すでにフェアリィへの道は閉ざされFAFが解体され、所により各国に吸収されてからはや数年。短くはない時間だ。その間に反芻しない訳がない。
「……、ごめん」
「おいおい、なぜ謝る?」
 解せないというようにブッカーが片眉を上げて聞き返す。
「もうすでに考え尽くしたんだろう、と思った」
 いくら祈ったところで死んだ人間は生き返らないし、時間は戻らない。ブッカーは自分の手元に視線をとして黙るを見やり、やれやれと笑った。
「俺はな、。まだあいつが死んだとはおもえんよ。なんたってあいつはシルフドライバーで、特殊戦で、ブーメラン戦隊の一人なんだ」
「……"必ず生きて返ってくること"」
「その通り」
 自分の短慮さに暗い顔をするにブッカーは笑いかける。
「それに雪風もいるだろう。依存関係というには、あまりにも零が一方的だが、雪風も零を必要としていることは確かだ。雪風はもちろん、零が失われては、あの"雪風"は成り立たない。そのうちひょっこり顔を出すことを夢視て、俺はこうやって畑を耕してるのさ」
 ブーメランを削りながらね、と楽しそうな声色には眉根を下げながら頷く。共通の友人の行方が分からないままだというのに、気持ちの整理具合の違いに今度は情けなくなる。過去を引き摺っていたのは自分の方だけかもしれなかった。
「戻ってきたら、酔いつぶれるまで飲ませたいね」
「つぶれるまで絶対に飲まなかったからな、零は」
「ジェイムズはつぶれまくって、その度に俺が運んだ覚えがあるけど?」
「疲れてたんだ。お前だって知っていただろう」
 その節はどうもお疲れさまでした、とが嫌味混じりに頭を下げると、ブッカーは苦い顔でよせ、と手で払う仕草をする。

 嬉しい、楽しい思い出ばかりではないが、昔を懐かしみながら時間を過ごすのは心地よかった。一騒動があり"通路"が消えた後であっても世間はフェアリィについて理解しようとせず、にとっても気を遣うことなく話が出来ることは少なかった。
 ブッカーは今までの鬱憤や胸の中にこごっていた物を吐き出すように喋り続けるに昔の自分を重ね、相槌を返す。あのころも、酒の勢いであっても吐き出せばいくらかは楽になった。それを知っているから、ブッカーは途中で茶々をいれながらもの話に耳を傾けた。
 ひとしきり話し終わり、はあ、と満足のため息を吐いたは、もう何杯目になるか分からないコーヒーで喉を潤す。宵の明星が顔を出していた。腕を枕に、テーブルに突っ伏したが嘆いた。
「……はやくあいたいねえ」
 誰に、とは言わなかったが、そんなのは言わずともブッカーには分かっていた。
「そうだな」
 早く戻ってこないと、ブッカーがしわしわじいさんになって酒の相手すらしてもらえなくなる。その呟きにブッカーはこの野郎、と悪態をついただった。
「また三人で晩飯を食べたい」
 上体を起こしたはにこりと笑い、腹が減ったと告げる。仕方無いと立ち上がったブッカーを追い、もキッチンに向かっていった。

 冷蔵庫にあった物であり合わせの夕飯を食べ一息ついていると、そういえば、とが鞄を引っ張り出してきた。
「よぼよぼじいさんに渡したい物が」
「その呼び方はよせ、俺はまだいけるぞ」
 ブッカーの返答を余所に、はボストンバッグから30センチほどの箱を取り出した。それをそのまま、ブッカーの手に押しつける。
「なんだ?」
「開けてみろって」
 小さく笑むの顔を、ブッカーは見覚えがあった。昔、彼がフェアリィの戦闘機達と触れ合っていたときとよく似ている。だからなんとなく、箱の中身はもう無い向こう側に関係するものなのだろうという確信が持てた。
 白い化粧箱は、ただ白いだけでなんの装飾もない。フタが取れないよう、一カ所のみセロハンテープで留めてあるだけだ。それを剥がし、フタを開けて中に収められている物を認めブッカーは自然と口元が緩むのを止められなかった。
「これは……、お前が作ったのか?」
「いい出来だろ」
 するりとした流線型に、三角形を含んだ特徴的なシルエット。機体の先端に、小さく雪風、と懐かしい書体で記されている。
 緩衝材に埋もれたそれをブッカーはそっと取りあげ、目線の高さにまで持ち上げる。
「プラモデル…か?」
「フェアリィの戦闘機が一般受けするわけ無いだろ。俺が作りました。細部までバッチリ」
 さすがに稼働はしないけど。と付け加えるが、ブッカーは両手のひらに載ってしまう元・特殊戦機を真剣な目つきでぐるぐる回している。
「手先が器用とは思っていたが、まさかこれ程だとは思わなかったな……細部はさすが元整備士っていったところだな。よく見ている」
「お褒めにあずかり光栄です」
 ミニチュアで再現されたメイヴをテーブルの上に置き、ふふと笑う。
「これで零の奴が釣れんかな」
「是非とも大物を釣って欲しいね」
「じゃあこれは窓辺に飾るとしよう」
 ご丁寧に飾る台座まで準備していたの手により、丁度離陸姿勢の状態で固定されたメイヴは出窓のカウンターに飾られた。満足げにが頷く。ブッカーも笑みで口元を緩めている。
「いいね、此処は田舎だから星空が綺麗に見える。フェアリィほどじゃないけど」
「あれは桁外れだ」
「だな」
 ブッカーが出窓のカギを外しガラス戸を開け放つ。外に向かって観音開きになっていたため、丁度ソファーに座った位置からだとミニチュアのプラモデルがまるで夜空を滑空しているようだった。

 心ゆくまで煌めく星空を翔るメイヴを眺めた二人は、やがて欠伸をもらし始める。うっすらと胸の辺りに不快感を伴うような眠気がやってきた。隣で自分と同じように欠伸をするを見やり、ブッカーは苦笑する。
「空いてる部屋を使えばいいさ」
「綺麗な寝床がいいな」
「とはいえ空いてる部屋は一つしかない、安心しろ。ちゃんと干しておいた」
「それはありがたい」
 就寝前の挨拶はおざなりに、ブッカーは自室へ、は持ち込んだボストンバッグを抱えて空き部屋へ入っていった。

 ベッドに入る身支度を済ませ太陽の匂いのするシーツに寝転がって瞼を閉じるが、先ほど感じた眠気はどこへやら、なかなか眠りに入ることが出来ない。枕や寝具が変わると眠れない質ではないはずで、むしろ何処でも寝ることが出来るというのが自慢だったはずなのだが。とは部屋の天井を見上げため息を吐く。
 まだ寝てはいけないのだろうか? ごろりと寝返りをうって窓の外を見た。星は未だ瞬いている。
 はあ、ともう一度肺に溜まった空気を吐き出し、ベッドから起き上がった。眠れないのなら動いたって良いだろう。スリッパに足を突っ込み、別室で眠っているだろうブッカーを気遣いなるべく音を立てないようにドアを開けリビングへ向かった。
 電気の落とされたリビングはしんと静まりかえっている。ただ、外から聞こえる虫の声が微かなBGMとして聞こえた。はつい数時間前に設置したばかりのミニチュアが見えるソファーに腰掛けようとしてふと思いとどまり、そっと出窓のカーテンとドアを開けてからゆっくりと腰掛ける。
 手間をかけただけあって満足のいく出来のそれは、できあがった暁にはブッカーへ贈ろうと決意していた。今日、ようやく渡すことが出来た。

「ああ、本物が見たい」
 ぽつりと零れたのは声量を絞った独り言だ。忙しかった、けれどやりたいことをとことんやれる職場、だった。初めて特殊戦機に直接触れた日など、興奮で眠れなかった程だ。
 彼がフェアリィに行ったのは罪を犯したからではなく、戦闘機の整備に志願しての事だった。思えば、自棄になっていた頃に決心したことであったが、今となってはそれでよかったと思えるから不思議だった。
 出会いもあった。別れもあった。それでも"悪くない"と言い切れる日々であったことは確かである。
「零」
 戦闘機乗りの友人の名前を呼ぶ。酷く優しい声色だった。
「零。もしお前が、メイヴに乗って彷徨っているなら、そのままでいいから俺の所に来てくれよ」
 送る相手の居ない言葉はそっと消えていく。離陸姿勢のままのメイヴは動かない。気むずかしい友人に向けての言葉は続く。
「早くしないと俺たちおじいちゃんになっちゃうぞ」
 また一緒に酒を飲みたいんだ。どうでもいい愚痴を吐き合おうじゃないか。それでもって、ブッカーの奴に全部奢らせてやろう。
「また沢山話をしよう。話したいことが、沢山あるんだ。山ほど」
 今はもう見ることの叶わないフェアリィの夜空を夢想しながら目を閉じる。ブラッディ・ロードの赤、夜空の濃い紺色と名も知れぬ星々。自分は空を飛んだことはなかったが、圧倒される星空の中飛ぶことはどれほど気持ちのよいことだろう。

 ああ、今なら眠れる気がする。
 窓が開けられたままという気がかりがあったが、心地よい眠気には抗えない。身じろぎをして寝る姿勢を取る。優しく腕を引かれるように睡魔がやってきた。
 の意識が眠りに落ちる直前、閉じた瞼の裏に鱗粉のような光を残しながら華奢な妖精がひらりと舞う姿を見た。気がした。


up12/07/10
Title:OL