ああ、それは愛すべき

 背後に風の都が聳え立つ。
 足がもつれる。倒れかける身体を無理矢理持ち直させ、息を切らせ走る。奔る。


 足が木の根に引っかかり、乾いた地面へとは派手に転んだ。もし雨で地面が濡れていたら、勢いよく茶色い水しぶきが上がったに違いない。
!」
 前を走っていたエレフとオリオン、そしてミーシャが足を止めを見る。
 腕を突っ張って上半身を起こす。肘と膝を擦ったらしく、ひりひりと地味な痛みが伝わる。その痛みには顔を顰めた。
「大丈夫、かよ」
 息の上がったエレフがの腕を引っ張り、立ち上がらせる。はげほ、と何度か噎せた後、大丈夫、と掠れた声で呟いた。
「ごめ、」
 いい加減身体が悲鳴を上げていたが、それでも走らなければいけなかった。遠くへ、遠くへと。あの風の都から遠離るためにも。
「いいって。ほら、歩けるか」
 まだいくらか余裕のあるように見えるオリオンが側までやってくる。きっとオリオンは心配そうな表情をしていただろうが、残念ながら彼の顔を見上げるほどの余裕がなかった。荒い息をつきながら、頷く。
「いこ」
 無理矢理顔を上げる。呼吸が辛かったが、視界に入ったミーシャも肩で息をしている。彼女も頑張っているのだ。自分も頑張らなければ、男としての矜恃が許さない。


 もうどれだけ走ったかは分からないが、いつの間にか見晴らしの良い丘の上に来ていた。走り詰めだった四人は、崩れるように青い芝生へと倒れ込んだ。
「も、もう、だめ」
 肌に触れる冷たい芝が火照った身体には心地よかったが、すぐに体温が伝わり暖まってしまう。エレフは仰向けで大の字になっているし、オリオンは芝をごろごろと転がっている。ミーシャは背を丸めて蹲っていた。皆が肩でぜいぜいと息をしている。今までにないほど必死で走った所為もあり、恐ろしく身体のあちこちが軋むように痛かった。
 短い芝を掴み、はだるい身体を持ち上げる。丘の上からは景色がよく見た。――随分と小さくなった風の都も。

 呼吸も幾分か楽になり、エレフが身体を起こした。ぼうっと膝をつき遠くを見ているが目に入り、どうしたのかと声をかけようとしたときだった。
「は、っはは、は」
 途切れ途切れだったがは笑っていた。表情は苦しげで胸を押さえていたが、風の都を見据え声を上げて。
「はは、ははは! は、っ、げほ、ぇほっ」
 再び笑ったかと思うと急に噎せたので、エレフは焦って立ち上がった。すぐ近くまで駆け寄り、背中をさすってやる。
「おい、大丈夫かよ、
「う、ん。はは、やってやった。やってやったよ、エレフ。風の都から、僕ら」
 喉の奥がどうしようもなく乾きうまく呂律が回らなかったが、喜びを露わには言う。
「ああ」
 喜びに満ちたの瞳は、けれどすぐに伏せられがっくりと肩を落とす。急な変化に再びエレフは背中に手を当てる。
「おい!?」
 大丈夫か、と呼びかけるとごめん、と小さく返ってきた。
「嬉しいんだけど、でも、疲れて……」
 それを聞いたエレフはころころ変わる彼の表情に声を上げて笑った。何事かと、オリオンとミーシャが視線を向ける。
「大丈夫かよ。根性ねえなあ」
 笑いながらオリオンが言う。うるさい、と俯いたままが力なく言う。相当疲れているのだろう。
 ミーシャも同じように疲れているはずだったが、彼女はエレフを見、オリオンを見た。
「今はゆっくり休もうよ。追ってくる人も、ここまではすぐに来ないと思うし……」
 ね、と懇願するように言う。2人は顔を見合わせ、頷く。
「……そうだな」
「うん」


 幾分か下がってきた身体に吹き抜ける風が心地よかった。青い空には、幾つか綿雲がぽつりぽつりと浮かんでいる。エレフは再び大の字に寝転がり空を見ていた。
 もうあの変態神官に鞭打たれることはないし、過酷な状況でひたすら石を運ばなくてもいい。そう思うと、開放感で胸が一杯だった。隣に座っているオリオンが、そうだ、と話を切り出す。
「これからどうする? 何処に行くよ?」
「私たちは……父さまと母さまの所に帰りたい」
 膝を抱えたミーシャが呟く。それに賛同しエレフが頷く。オリオンは足下の草を弄り続けているを見た。
は?」
「んー……。僕親いないしなあ」
 ぽつり寂しげに呟かれる。
 オリオンも、気づけば親はおらず一人きりだった。きっと同じように親から捨てられてしまったのだろうと思うと、同じ境遇の者として辛かった。しかし彼にも、帰る場所はない。

「じゃあ私たちと一緒に行こう! きっと父さまと母さまなら、なんとかしてくれる!」
 明るく声を張り上げミーシャが立ち上がる。えっ、とはミーシャを見上げた。思わず、オリオンもと同じように見上げる。
「……いい、の?」
 不思議そうな顔をしてが零す。元気よくミーシャは頷く。それを見たは、次第に表情が明るくなる。
「ありがとう!」
 そして彼も立ち上がると、ミーシャの手を取りぶんぶん上下に振り喜びを表す。
「あ、もちろん、オリオンも!」
「まったく……知らないよ、ミーシャ」
 2人分の歓喜の声に飲まれ、エレフの呟きはかき消されてしまった。

「この4人なら楽しそうだなあ!」
「でしょ!」
「ほんとにありがとうミーシャ!」


up 2010/01/05  wrote 2009/03/26
嵐の前の喜び。
双子の所にこの二人がやってきたら、それは相当賑やかな事になるに違いないです(笑