Lutter ne finit pas encore


 雨が降っていた。しとしとと静かに降りしきる雨の中、俺は傘も差さずに立ち尽くしていた。
 ……あれから数日。少々時間は経ってしまったが、ようやくローランを埋葬することができた。葬式の最中も寂しいもので、今にも雨が降りそうな曇天の中、必要最低人数での葬式が行われていた。
 長い葬列があるわけでもなく、棺を運び穴を埋める男達の後ろに黒っぽい服を着た俺だけが歩いていた(残念ながら喪服なんて物は持ってない)。献花も俺が持ってきた白い花だけ。真新しい墓だというのに、それだけを見てしまうと年月を経て忘れ去られた墓に、気まぐれで手向けられたもののように見えた。それが嫌に寂しかった。
 そして男達も去り、雨が降り出す。

 まあ、それも仕方がない。ように思う。
 ――けれどわき上がる空しさと無力感に俺は歯を食いしばった。じっとり濡れて張り付く前髪から、大きな雫が落ちる。

 いい加減、寒い。そろそろ戻ろうか。……そうだなあ、戻ったら一杯やって、さっさとベッドに入ってしまおう。そうしよう。
 そう俺は決めると、顔を上げる。よし、帰ろう。
(あれこれ、考えたくない)


 ふと後ろから俺を呼ぶ声。ああ、この声は知っている。
 ぱしゃ、と水音。水たまりに足突っ込んだかな。重たい腕を持ち上げて前髪をかき上げ、音のした方に顔を向ける。鈍い金髪、、目を引く隻腕。

「何、レイヨン」
 この金髪男は余程の物好きらしく、あれから度々店に顔を出しては酒を(いつもロレーヌだ)飲んでいく。向こうからやたら話しかけて来るために、なんかもう口調も砕けた。ちなみに、こいつもローランと言うらしかった。Rayonne Laurantだ。ややこしいので名前で呼んでいる。
 それにしても、ここまで、来るとは思わなかった。

「店が閉まってたから。風邪ひく気か? おまえ」
「いや……別に」
 そういうレイヨンもずぶ濡れだ。払っても払っても落ちてくる前髪をうざったそうにかき上げている。というか何で店が閉まってたら墓場に来るんだろう、こいつは。別に言ったワケでもないのに……。
 うん、でもそろそろ戻らないと本気で風邪をひきそうな予感がしないでもない。店が開けられなくなるのは嫌なので引き上げることにする。ぐるり身体を方向転換して歩き出す。おい、とレイヨンが俺を引き留める。俺は至極訝しげに眉をひそめて彼に視線を投げる。
「もういいのか」
 色素の薄い瞳が俺をじいと見る。暫く見返した後、本当、なんて物好きだと俺はため息をついた。敵の墓にまでやってきて、その敵の知人の様子まで窺うとは。
「な、何だよ」
 レイヨンがふて腐れたように声を上げる。別に、と返して足を進める。数歩の間を開けて着いてくる音がする。


 数十分歩きつめて、ようやく店に戻る。上着を脱いで近くの椅子に引っかけ、髪を絞る。レイヨンも俺に習って同じようにしている。
 カウンターの中に入って、タオルを引っ張り出し、一枚を上着に手間取っているレイヨンに投げつける。袖からうまく腕を抜けないらしい、もたついていた。……大変なんだな。
 むすっと口をとがらせるが(お前は一体幾つだ)すぐに真面目な顔になる。その変化に、俺はさっと視線を落とす。
 いつものよりも幾らか度の高い物を取り出す。ふたつのグラスに注ぎ、なにかつまみはあったかと再びカウンターの下をあさる。

 俺を呼ぶ声がする。あ、チーズがあった。
「おい、
 ついでにハムも切れば十分だなあ。よしよし。

「っ、!」
 カウンターに入ってきたレイヨンが俺の胸ぐらを引っつかみ、力任せに引っ張り上げられる。息が詰まる。痛いし!
「離せ、レイ、ヨン」
 結果的に俺の首を絞めている腕を叩くと、呆気なく腕は離れる。何故か辛そうに顔を歪めるレイヨン。ったく、なんでお前等は揃いも揃って馬鹿力なんだよ!
「何するんだよいきなり」
 一発殴ってやろうかと思ったが思うだけに止めておく。胸元を直し、カウンター上にあったナイフを取りチーズを切る。ハムはもう薄切りになってるやつだった。
「お前なあ……!」
 まだ、レイヨンは突っかかってくる。

 ナイフをまな板に置く。俺はレイヨンを見る。
 そいつは小難しい顔をしていた。怒っているのか悲しいのか分からない、そんな表情。なんでそんな顔をするんだよ。
 じいと視線を投げかける。口を真っ直ぐに引き結んだレイヨンは俺を見つめ返す。
「……言いたいことがあるんなら、言えって」
 辛そうにレイヨンは目を細めた。別にお前は辛くも苦しくも無いだろうに。

 彼は腕を伸ばすと、俺の頭の上に手を乗せた。
「……?」
 ぽん、ぽんと丁度子供をあやし落ち着かせる時のように軽く、優しく。
「何、」
「――と、思った」
 聞き取れない。何て言った? 俺は聞き返す。
「泣いてるかと思った」
「俺が?」
「他に誰がいるってんだよ!」
 ……逆ギレされた。まあ、確かに俺とお前しかここにはいないんだから……そうなるよなあ。腕を下ろしたレイヨンは、苦虫を噛み潰したような顔で突っ立っていた。

 重たい腕を上げ、俺は自分の顔に触ってみる。まだ濡れてはいるが、泣いてはいない。はずなんだけど。
「……泣いてる、か?」
 尋ねてみるが、曖昧な返答でよく分からない。
「どっちだよ……」
 これじゃあ突っかかられ損じゃないか。

「墓の前に立ってたとき、泣いてるかと思った」
 皿を出そうと屈んだときにレイヨンが呟いた。俺は皿を一枚取り、姿勢を戻す。小さく苦笑して、レイヨンに返した。
「俺は泣いてないよ」
 多分。
「思っただけだ」
 チーズとハムを皿にのせ、それを手にカウンターから出た。
 まだ雨音がする。さっきよりも音が強くなっているから、酷くなってるんだろう。帰って良かった。

「お前は優しいな」
 レイヨンの前にグラスを置いてやりながら俺は笑う。何が、という風にレイヨンが俺を見たが、何故かすぐに反らされた。
 多分、今一人だったなら俺はきっとどうしようもなくなってたんだろう。


「というかよく雨の中あそこまで来たなあお前」
 酒も回ってきてほろ酔い加減。身体も温まっていい感じー。緩くグラスを回しながら俺は頬杖を突く。
「お前の所じゃないとロレーヌが無いしな」
「あは、やっぱり?」
 やっぱり目玉商品は在るべきだよな。でもあんまり数が入らないから言い触らして欲しくないのが本音。頬杖を突いたまま俺はグラスに口を付ける。
「いいよ、レイヨンになら、ロレーヌ優先的にお届けしちゃう」
 グラス半分ほど残ってたものを一気に飲み干す。ふう、と一息。
「いいのか?」
 レイヨンは驚いているようだった。ふふん、俺頑張る。
「もちろん。お得意様だもんね……」

 ああ、ふわふわする。飲み過ぎたかな。今日はさっさとベッドで寝ようと思ったのに。
 俺の肩に手が乗る。レイヨンを見ると、レイヨンが若干顔を赤くしながらこっちを見ていた。ははーん、お前も飲み過ぎか?
「……忘れるなよ」
「ん、気をつける」

 最後に俺は、にへりと力の抜けた笑いをした、ような気がした。ふわふわと心地いい酔いに、俺は呆気ないほど簡単に意識を手放した。


 起きたら身体が痛かった。というか、主に背骨が。
 一瞬思考が停止した後、すぐに動き出す。出したまんまのグラスが二つ(使用済み!)、干からびたハムとチーズが皿に乗っている。
 ――寝ちまったか!!
 俺は深く息を吐くと、すぐ側のテーブルに硬貨が置いてあったのに気づく。レイヨンのヤツ、律儀にも代金を払っていくとは……。別に良かったのに。そこまで俺はケチじゃない。

 昨日の雨はどこへやら、心地よい風が吹き抜けるとてもいい朝だった。昨晩の大雨は何処へ行ったのやら。
 今日からは、もう店も通常運行しなければいけない。別にこれを面倒だと思ったことはないし、多分ずっと店は構えてるんだろうな、俺は。
 ああ、折角花を供えてやったのに、この大雨で流されてしまったかもしれないな。そう思うとなんかすごい残念な気分。
 でも俺はもうお前に振り回されないように過ごしていくんだ。ふん、さんをなめんなよ!


 昼過ぎにお手伝い君が出勤してきた。彼には店内の掃除を頼んで、俺は酒の在庫を確認する。
 棚の一番端の奥にロレーヌの入った箱がある。その中も確認。飲むのは専ら俺とレイヨンだけなのだからまだ大丈夫だろう。

 開店時間を小一時間ほど過ぎた頃、新しくしたドアベルを鳴らして入ってきたのはレイヨンだった。
 お前もほんっとに暇な人間だな!
「いらっしゃい。いつもので?」
 俺は営業スマイルで彼を迎えた。


up 2009/07/01