切ない夢

 は、と吐き出す息は白くけぶる。
 いつの間にか夏のうっとうしい暑さも過ぎ去り、木々が赤く色づいていた。毎日をそれなりに忙しく過ごしていれば時間の経過は酷く早く感じる。季節が変わっていくのもいつの間にか気付かぬ内に、ひとつふたつと過ぎ去っていた。
 空が薄く高くなる。さえずる鳥の種類が変わっていく。木々も段々と葉を落とし、寒々とした風景になっていく。そうして少しずつ冬が来る。
 紅に染まる乾いた落ち葉を靴底に感じながらは並木を歩いていた。これからもっと寒さが本格化していくのだろうなあという事をぼんやりと考えながら、ゆっくりと歩む。

 あるときから冬についての考え方ががらっと変わってしまった。今まではただ単に寒くて寒くて仕方がない、何もかもが静まる。そんな事しか考えていなかった。
 けれど今は違った。人生を変えるような出来事があった。絵空事のような本に書かれる仮想物語のような出来事が彼の身に降りかかった。瞼を閉じればその時の光景は今でも鮮やかに蘇る。死ぬまで忘れることはないだろうという自信があった。
 幾度季節が巡り巡っても、どうしてもこの季節だけは感慨深いものがあった。冬が過ぎれば春がくる。生命溢れるその季節のために、冬はある。それを教えてくれた人達はとうの昔に行き別れ、今は行方も分からない。寧ろこの世界に存在するのかどうかも分からない。
 並木を抜けると一面の丘が広がる。季節の事も相まって閑散とした印象を受けるが、遠くに見える風車が上空の風を受けてゆっくりと回っているのが見える。足取りは衰えず、相変わらずゆっくりとした歩調で尚もは進んでいく。
 誰に話してもまともに取り合ってくれないような出来事は実際に自分が体験したことで、けれどその思い出は優しく温かく胸の奥に存在する。
 ああ、今はどうしているんだろうか。無事に生まれることが出来たのだろうか。
「……イヴェール」
 冬の子の名前をぽつりと口に乗せる。ふわりと微笑む表情が脳裏に浮かんだ。

 ひたすらひっそりと静まりかえる景色の中を歩いていたが、行き先にあてがあるわけではなかった。気の向くまま足の向くまま、冷えた空気を感じながら地面を踏みしめている。
 一つの風車の傍まで来ると、流石に歩き疲れてその近くに腰を下ろす。今日は暦の上で冬になった日だ。まだ霜が降りるには早く、雪が降るには早すぎる。けれどいてもたっていられず外に飛び出してしまったのだ。
 ふう、と疲れのため息を吐く。
 彼が無事に生まれることが出来ているならばそれでよかった。悲しい輪廻から解き放たれているのであれば、それは奇しくもその一端に触れたにとっても切実に願った事である。そう願いながら毎年の冬を迎える。そっと胸に祈りを捧げた。
 忙しい日々の中では思い出すことのない事を、こういう時ばかりは目一杯思い返す。もし生まれることが出来たなら、どんな容姿になっているんだろう。やはり、雪の輝きのような銀髪であるだろうか。瞳の色は冬の館――が勝手にそう呼んでいるだけだ――の彼は赤と青のオッドアイであったが、それは酷く色々な物に影響された結果らしい。そうであるなら瞳は青だろうか、等ととりとめない想像を繰り広げる。
 また出逢うことが出来れば良いと思っていても、この広い世界ではその確立はぐっと低くなってしまうだろう。されどそれも"運命"、と彼ならば謳うだろうか。どうせならもう一度顔を合わせて頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜてやりたい。

 どうか幸あれと心に呟き立ち上がる。気ままに散歩をしていたが、随分遠くまできてしまった。今まで歩いてきた道を引き返す。
「Je t'attendais.」
 ゆっくりとした足取りと同じように背にした丘には静かに息を潜め、冬の光を受けつつも日暮れの空気を孕んでいた。
 繰り返される朝と夜を幾度も過ごし、はいつか来るかも知れない日を待ち続ける。


up 2013/11/10
立冬記念ということで。 Title:Valse