降り積もった深い雪の層に足を踏み込んだ者はいなかったらしく、朝日を受けその表面がきらきらと輝いていたのをよく覚えている。とても綺麗だった。
は背中の痛みで目が覚めた。
「ん……?」
目ぼけ眼を擦りながら上半身を起こす。辺りをたっぷり十秒は見回した後、頭をかいて呟いた。
「……どこだ、ここ」
座り込む彼の左右には、年季の入った大きな本棚が高く聳えていた。その本棚には、本の背表紙がきっちりと並んでいる。劣化しタイトルが読めない物もあれば、まだ新しい革の背表紙もある。古い紙のにおいが鼻につく。
はふと思う。自分がいた場所にこんなところはなかったはずだ、と。そもそも自分はこんな図書館らしき場所で寝てはいなかった。
遠くから二つの足音が聞こえてきた。同じような小さな音だ。その音はだんだんと大きくなってきている。つまり近づいている、と言うこと。
あ、これは隠れた方がいいのかな――妙にのんびりとした頭で考える。立とうと後ろに腕をついたところで、本棚の影からひょこりと少女の可愛らしい顔が表れた。同じ顔が二つ、だ。
「知らない人がいるわ」
「知らない人がいるわね」
これも同じような――けれどよく聞けば高さが違うのだが――声で言う。
二人は本棚の影から出てくると、ぽかんとしているに近づいていく。すぐ近くまで来て、不思議そうにこてりと首をかしげた。
「ねえ貴方、何故ここにいるのかしら?」
右側に立つ水色と黒のドレスを着た少女が言う。
「さ、さあ?」
この双子の女の子達は何なんだ? と首をひねる間も無く、今度は左に立つ紫と黒のドレスを着た少女が口を開いた。
「どうやってここに来たのかしら?」
「分からない、ただ、気がついたらここに……」
双子は顔を見合わせ、不思議そうに首をかしげるばかりだった。
再び足音をの耳が拾う。今度は堅い靴音だ。
「ヴィオレット? オルタンシア?」
男の声。その呼びかけに双子が反応する。視線を彷徨わせ、やがてから向かって左手へ視線を向けた。
「ムシュー」
双子と同じように本棚の影から現れた男は双子に優しげな視線を向けた後、へ目を向けた。小さく目を見張ったのは驚いたからだろうか。
にとっては、何故自分の存在一つでそんなに首をかしげ、驚くのかが分からないのだが。
「ムシュー、彼は何故だかここに来てしまったらしいですわ」
「何故か?」
「自分でも分からないそうですわ」
双子が彼へ説明する。ありがとう、と彼女たちの頭に優しく手を乗せ、へ一歩近づいた。
す、と差し出された手をはじいと見つめる。腕をたどり顔へ視線を向けると、両頬の複雑な模様、そして青と赤のオッドアイとぶつかる。
小さく微笑まれ、そこでようやくは差し出された手は立ち上がるための助けのためだ、ということに気づいた。慌てて手を乗せる。
ぐいと力強く引っ張られすんなりと立ち上がることができた。
「僕はイヴェール・ローラン。君は?」
ズボンに付いたほこりを払っている最中に声をかけられる。視界にかかる黒髪を後ろへ流す。
「・……」
イヴェールの後ろで、双子が身を寄せ合い何かこそこそと話し合っているのが見えた。気になるのか、ちらちらとを見ている。
「少しばかり質問をいいかな」
「どうぞ」
「帰る家は?」
返答に間があった。小さく視線を床に落としはいいえ、と答える。声の調子が幾らか下がったが、イヴェールは続けた。
「親は?」
「いません」
「そうか、ありがとう」
イヴェールは指先を口元に持って行き何か思案しているようだった。いつの間にか、双子は彼を見ている。
無言の時間がしばし流れた。やがて、す、とイヴェールが指を離す。
「突然で悪いけれど、君に二つの道を示そう」
「……は?」
何を言い出すんだ、この人は。そう思ってしまうのも無理はないかもしれない。
気がついたら見知らぬ場所。見知らぬ人物達。そして投げかけられる問いかけ、選択肢、道。見たところ冷静でいるようではあったが、頭の限界を超えるぎりぎりでは脳を回転させていた。
これ以上訳の分からないことはやめてくれ、とひそかに願う。
「僕と共に物語を見つめるか、世界へと戻るか」
示された道というのも理解し難いものだった。
「ろ、まん?」
呟いた言葉にイヴェールは頷く。訳が分からない。そんなに彼はロマンチストなのだろうかとさえ考えてしまう。
「――とは言ったものの、ここからは出られないから前者しか無いんだけどね」
「えっ」
嫌に軽い口調で重い内容を言われ、は少しだけ頭から血が引くのを感じた。
「その刻が来れば出口は開かれますわ」
「出口を探すのも一興ですわ」
双子が交互に言う。二人共が優しげな――しかしどこか、何かを秘めているような――微笑みを浮かべている。
(ああ、これはきっとどうしようもない袋小路なんだな。しかも何故か来た道がないっていう最悪の……)
なんでこんな所へ俺は来てしまったんだろう。本当に。
自分が選ぶ選択肢などひとつきりしかない。彼らの言葉からするに、ここは今まで自分が住んでいた場所とは何か根本的に違う場所であると予想が付いた。
戻れないという絶望的な現実に、けれど大して動揺していないのに気づく。もう少し執着出来るものがあったらならば、嘆き悲しんだのだろうか。
大きく息を吸う。吐く。もう一度繰り返す。
頭の中に理解できない情報がまだ山積みだが、すこしだけ軽くなった気がした。
は双子を見る。そして、イヴェールを見る。
やはり不安は残ったが、それでもこうするしか道がないのだから。
「分かった。……その物語とやらの手伝い、俺で良かったらしてやるよ」
イヴェールが笑みを深くした。
「よろしく、」
up 2008/09/21 加筆修正 2009/07/01