三人と一方的に分かれたは、一人長い廊下を歩いていた。両側の壁に幾つも扉……幾つもの部屋がある。
たった三人だけなのにこんな広い場所に住んでいるとは、なんという贅沢だ。それとも大勢客人がいるのだろうか? そんな考えも、先ほど彼らが口にしていた言葉でかき消された。
『何故ここにいるのか』『何故かここに来てしまった』『出口がない……』
ならば入り口もないのだろう。自身、何故こんなところに来たのか頭を捻っても出てこない。
しかも寒かった。息が白くなる一歩手前ではないだろうか。あの部屋はちょうど良い具合に暖められていたのを感じると、ぬくもりが恋しくなる。
けれど歩みは止まらず、ぬくもりより探求心が勝つのだった。
よくやくぶつかった曲がり角を曲がると、吹き抜けのホールが右手側に広がっていた。何気なく手を置いていた手すりに繊細な模様が彫り込んであるのに気づき、再びここはどんな豪邸だ、と思う。
ゆるい螺旋階段を降りていくとホールに出た。高い天井にはなにかが描かれているが、遠すぎてあまりよく見えない。天井は丸いらしく、その丸さを生かした絵画のようだ。円の中央部は青い空が広がっているが外へ近づくにつれ濃い紫に――夜になっている。
目を凝らしながら上を向くのは首に負担がかかるようですぐに首が痛くなった。また今度、と思い首を戻す。
あたりを見回すとホールの真正面に大きな扉があった。の足は自然とそこへ向かう。
黒い扉は来るものを拒むような雰囲気を放っていた。扉にも美しい彫刻が施されているというのに、むしろ其れが拒絶の空気を作り出しているのかもしれない。
近づきがたい存在だったが、は僅かに躊躇いながら扉に指先で触れた。ひやりと、気温よりも冷たい。
もしかしたら開いてしまうかもしれない。べったりと手のひらを付け、扉を押してみたがびくともせず。両手で目一杯押したが、やはり動く気配すらなかった。
しかしどうにかして開けようとあれこれ奮闘していると、こつ、と背後で足音が聞こえる。
「そこが開かないんだよ」
振り返ると、コートを着たイヴェールが歩いてくる。端をファーで装飾された濃紺のコートの裾が、歩くたびに緩くはためく。
は冷えた手を引っ込め、温めるため首へ手をやる。
「なんで?」
「さあ。でも」
すぐ隣までやってきたイヴェールは扉にそっと触れた。
「その刻が来れば開くのは、間違いないね」
呟くように、囁くように紡がれた言葉はどこか寂しそうな色を含んでいた。何故そんな感情が織り込まれているのかには分からなかったが、ともかく簡単に出られないことは理解できた。
「ふうん……」
立派な彫りだ。それなのに、扉としての機能を――多くを迎え入れるために開閉し、多くを送り出すために開閉するという――機能を果たせないでいるのは残念だとは思う。ただここにあるだけの存在だ。
本当に謎が多い。謎解きはそう得意ではないのだけれど……。そういえば、とはイヴェールを見た。
「何か、用だった?」
「ああ、そう。ここを案内しようと思ってね」
イヴェールは扉から手を離し微笑む。
「それは助かるな。あんまり広すぎて、どうしていいか分からなかったんだ」
「さっきは僕たちの言うことを聞かずに出て行っちゃったからね」
わざとではない皮肉の言葉にがむっとする。はっきりとした表情の変化にイヴェールは苦笑する。
「ごめんね。さ、行こうか」
の数歩前を、イヴェールがコートの裾を綺麗にはためかせながら歩いている。
彼曰く、使ってない部屋は自由に出入りしていいらしい。食堂や広間、彼らがよくいる場所を教えられた後迷子にはならないように気をつけて、と釘を刺された。
不思議なことに、今まで立ち寄った部屋達は中に一歩踏み入ると暖かな空気がふたりを包み込む。人がいないのによく暖房しているな、とは妙なところに関心している。
場所を覚えようとあたりをちらちら見ながら歩いていたが、いかんせん似たような作りが続く廊下だ。途中から訳が分からなくなり、そのうち覚えればいいかと諦めた矢先だった。
ひとつのドアの前でイヴェールが止まった。振り向いてを見、ドアを指さす。
「ここを君の部屋にしようと思うんだけれど」
の返事を待たずドアを開ける。部屋の中をのぞき込んで、は呆然とした。
「広っ……」
ドアから正面の壁まで行くのに、優に20歩はありそうだった。右に視線を動かすとさらに奥がある。雰囲気からして、部屋に置かれている調度品も高級感漂うアンティーク。くどすぎない装飾達が部屋を彩っていた。
眉根にしわを寄せるを見て、イヴェールが小さく笑う。
「大丈夫、そのうち慣れるよ。部屋の中も自由に使って貰って構わないからね。 さて、かなり歩いたし、上でお茶でもしないかい?」
が静かにドアを閉め、頷く。
広いとは思っていたが予想外の広さだった。歩いても歩いても廊下。迷い込んでしまったら彼らのところに戻れず餓死してしまいそうな予感さえしてぞっとする。
ほどよく沈み込むソファーに腰掛け、紅茶で満たされたティーカップを目の前にすると、早く道を覚えなければとは思った。切実に。ゆっくりとしたお茶の時間も楽しめなくなってしまう。
紅茶を飲む合間にクッキーを頬張るイヴェールを見ていると双子がいないことに気づいた。そういえば案内の時もいなかったが、こういうときこそあの双子なのではないか?
名前を呼ぶのをやや躊躇った後――どう呼ぶべきか分からなかったからだ――ティーカップが置かれるのを見計らい声をかけた。
「えと、イヴェール?」
伏せられた目がすいとを見る。
「何だい?」
僅かに首をかしげながら尋ね返してくる様は子供のようだ。名前の方は、特に何も言われなかったため一安心する。
「あの双子はどこに? そういえばさっきから見えないんだけど」
「ああ……彼女らは気まぐれだからね。きっとまた、僕に何も言わず〈物語〉を探しに行ったんじゃないかな」
再び彼から〈物語〉という単語が発せられ、は口の中で呟く。
「〈物語〉、て、何?」
チョコレート色のクッキーに手を伸ばそうとしていたイヴェールが動きを止めた。ゆっくり腕を戻すと、彼はよく見かける微笑み浮かべた。
「幸福であり悲しみであり、人生であるもの。そして人が紡ぐもの。……かな」
「かな、って……」
「人それぞれなんだよ」
「じゃあ俺にも物語が? んー、あるとは思えないけど……」
「そんなこと無いよ。ここに来たじゃないか」
またもや訳が分からなくなりかける。唸りながらは呟いた。
「歴史……みたいなものか? 〈物語〉て」
その言葉に、イヴェールの両頬の模様が優しくゆがんだ。
up 2008/09/21 加筆修正 2009/07/01