彼は言った。
自分は生まれてくる前に死んでしまい、此処に姿形はあるが、本当は存在しないはずの存在であること。
此処は生と死の狭間であり、普通ならば生きている人間がやってくることはまず無いこと。
双子はその手向けに手向けられた生と死を司る人形であること。
双子が集めてくる物語から、彼が"生まれてくるに至る物語"を探しているということ。
誰かにこういうことを話すときが来るなんてね、と最後にイヴェールは小さく肩をすくめて見せた。
話が終わってしまうと、は知らぬ間に止めていた息を吐きだした。まさか、こんな話を聞かされるとは思ってもいなかった。
「……お前、は、死んでる、ってこと?」
信じられない。そんな表情では隣を見た。口元に僅かばかりの笑みを浮かべていたイヴェールは、困ったように眉を下げる。
「"僕"としては、気が付くとここにいたからよくわからない。ふたりに聞いただけだから。でも、それは確か」
母と共に生きていた命。祝福されるはずだった命。悲しみに暮れる母の姿がありありと想像できる。
イヴェールの組まれた両手にが触れる。
「こんなに」
の声は震えていた。イヴェールの手にじわりと温もりが伝わる。
「こんなに暖かい。ちゃんと、ここにいるじゃんか……」
重ねられたの手に僅かに力がこもる。イヴェールは、自らために悲しむ彼の背をそっと撫でた。
「――ありがとう、」
訳わかんねえよ、とが俯いたまま呟いたのが聞こえた。落ち着いたはずなのに、また目頭が熱くなるのを感じた。
「やあ諸君。話が終わったところで、私も参加させていただけないかな?」
Bonjour.といつの間にかサヴァンがドアの開閉音もさせず部屋にいた。室内のためハットは被らず手に持っているが、幾らか前に出会った時と何ら変わりない姿だ。
「まあ賢者様! いつの間にいらっしゃったんですか!」
「お声をかけて頂かないとこちらも困りますわ!」
ぱっと立ち上がった双子は慌ただしく部屋を出ていった。が顔を上げサヴァンを見る。
「……タイミングが良すぎだよサヴァン。立ち聞きしていたとは頂けないね」
苦笑と共にイヴェールがやれやれと緩く頭を振った。サヴァンは双子が座っていたところに腰を下ろすと、口髭を一撫でした後微笑む。
「立ち聞きとはとんでもない。いやしかし、解決したようで本当に安心した」
「貴方は何もしていないでしょう?」
「何を言うかね。ささやかながら君に助言を差し上げた」
イヴェールは訝しげな目を向けるが、ため息と共にすぐ反らす。はまだ湿っている布を鼻あたりにあてながら、イヴェールに気づかれぬようサヴァンに目で礼を伝えた。上手く受け取ったのか、サヴァンはにこりと微笑みを返す。ばちりと片眼を瞑った動作は、しっかりイヴェールに気づかれてしまったが。
そこでふとは、先ほどの話にあったこの場所の特異性についてを思い出した。自分は"何故か"ここに来てしまったが、この目の前で微笑む胡散臭い彼は一体どうしたのだろう、と。
「あー、サヴァン?」
「なにかね、君」
一旦布をテーブルへ置く。
「さっきイヴェールからいろいろ聞いたんだけど。もしかしてあんたも、俺と同じように……訳も分からずここへ?」
慎重な口調だったのに対し、サヴァンは口髭を揺らしながら笑う。真面目に聞いているのにとは眉をひそめる。
「残念ながら私は違う。これでも伊達に"賢者"は名乗っていないのでね」
「はあ……?」
「おや、その様子だとまだ疑問をお持ちのようだね? よろしい、ならば」
「、サヴァンはいつの間にか居たんだよ」
サヴァンの言葉を遮ってイヴェールが言う。無理矢理中断させられた事にサヴァンはじいとイヴェールを見るが、仕方ないと肩を落とす。
「いつの間にか? なんだそりゃ」
「そうとしか言いようがなくて。気づくと姿が見えたりするし、なにより神出鬼没でね。あの噴水の場所がお気に入りらしいんだけど」
テーブル一つを挟むだけなのだから聞こえているだろうが、イヴェールは声を落としてこそこそとの耳元で囁く。なるほど、と小さく頷いた所で部屋のドアが開いた。
「いついらっしゃるか分からないのは大変なんですから、どうにかしてくださいまし!」
「そうですわ、ドアをノックするぐらいの配慮は必要だと思いますわ!」
サヴァンに対しての繰り言を口にしながら、銀のカートを押してくる。手早く紅茶を用意すると、きっちり一式を揃えてサヴァンの前に出す。
「いやはや、相変わらず小さなマドモワゼルは手厳しい」
大げさに肩をすくめティーカップに手を伸ばす。
支度が終わりの正面に立ったオルタンシアが、にこりと微笑む。
「赤みが随分引いて良かったですわ、様」
そう言われてみると、目元の火照りが収まっていた。はにかみ、テーブルに置いていた布を取って彼女に渡した。
「ありがとう」
「もったいないお言葉ですわ」
布を両手で受け取ると、押してきたカートに置く。
満足げにサヴァンが一息吐いたかと思うと、一気にカップをあおり飲み干してしまう。それを見た一同はそろってぎょっとした。
「さて、私は用事があるので、これでお暇するとしようか。お茶、ありがとう。おいしかった」
立ち上がると身なりを整え小さく頭を下げる。ハットを被ってステッキを持ち、そそくさと部屋から出て行った。
「〜っ、味わいもしないなんて、デリカシーの無い人ですわ!」
お茶の支度をしたヴィオレットの悲痛な叫びは、残念ながら重厚なドアに阻まれサヴァンの耳に届く事はなかった。
「……あれ、まだ湯気立ってたのに」
「ヴィオレットのいれる紅茶はほんとおいしいのに勿体ない」
呆れを通り越して感心するの隣、イヴェールが紅茶を飲む。まだ怒りが収まらないようで、拳を振るわせているヴィオレットに二人は苦笑するしかない。オルタンシアが慌てて傍に駆け寄っていった。
サヴァンに対しての愚痴を背後からそれとなく聞きながら、はクッキーに手を伸ばす。真ん中に赤いジャムの載ったものをひとつつまみ上げ口に運び、隣のイヴェールに気づかれないよう静かに安堵した。
また、以前のように話せることが嬉しかった。臆病から自ら遠ざかったとはいえ、馬鹿な事をしたなと後悔をする。辛いのはもう十分だった。
「ね、。まだやっぱり、帰りたいと思う気持ちは強いかい?」
タイミングの良い言葉に心を読まれたのではないかと一瞬固まるが、横を見るとイヴェールは手元のカップに視線を落としていた。あまり表情は見えず、左頬の模様がはっきり見て取れる。伏せがちな紅い瞳は揺らぐことなく見つめている。クッキーを飲み込み、自分を落ち着かせるために一呼吸置いて口を開く。
「……思う。けど、あの時よりは、落ち着いてる。不思議と」
「そう」
イヴェールはカップをソーサーに戻すと、を見て力強く頷いた。
「のためにも、僕たちもがんばらないとね。改めて、よろしく頼むよ」
イヴェールが目的を果たすときが、自分にとっても念願の叶う日だろう。良き協力者でありたいとは思う。
「こちらこそ、イヴェール」
up 2010/02/27