Germinal

 街の裏路地にあるこの小さな酒場には、大抵常連客しかやってこない。見つかりにくいということもあるが、しかし見つけたからと言って誰でも入れるような場所でもないだろう。立て付けの悪くなったドアは出入り口を塞いでいるだけで、その隙間から見える店内は明らかにガラの悪い奴らばかりだ。
 で、どうしてそんなところで俺が店員をやっているのかというと、まあ、いろいろあってですね。

 カウンター内から店内を見回す。年季の入った丸いテーブルと椅子。まだ昼過ぎだから客の数も少なくまばらだ。特に追加注文もないので、暇つぶしにグラスでも磨いてみる。と、グラスに手に取った。あ、ヒビ入ってら。
「おい! 追加だ!」
 作業を始めようとした矢先に声がかかる。はいはいと適当な返事を返し、酒瓶を一本掴みカウンターから出る。べろべろになった男のところへ行き、テーブルの上に置く。そのついでに空いた瓶を下げておく。なんかいざこざがあって割れたら俺の仕事が増えるからな。
 そろそろ仕入れもしなければ。在庫も若干頼りなくなってきた。今度仕入れのおっちゃんが来たら言っておこう。
 立て付けの悪いドアが軋む音がする。おっと、お客さん。

 俺の目の前――カウンター席にどっかと座った男。
 血が乾いたような赤い髪。左頬の十字傷。右目は眼帯で覆われそして隻腕。比較的新しい客だが、古参のような雰囲気がむんむんする。
 グラスに氷を入れ、いつもの酒を注ぐ。何も言わずテーブルに出せば、とりあえずといったようにあおった。

「そういや最近来てなかったですね」
 瓶の蓋をぎりぎり閉めながら話しかける。この人のいいところは会話が続くと言うことだ。他の人たちじゃこんな高度技術出来やしない。というかまず試みると言うことを俺がしない。
「そうだったか」
 といって、酒を一口。
「ですね。多いときはほとんど毎日でしたから。この2週間、何してたんですか?」
 無茶な質問をしてみたが、案の定返答は無し。まあこんなもんだろ。
 出した瓶を後ろの棚に片付ける。
 ガシャァン!
 ガラスの割れる派手な音が聞こえる(瓶とグラスっぽい音だ)。あーあーやられた。振り返ると、さっきのべろべろに泥酔した男ともう一人が立ち上がりにらみ合っていた。俺はそのふたりの腰に剣があるのを見つけ、嫌な顔をする。備品を壊されてはたまったモンじゃない。
 前掛けを外しそれをカウンター内に置き、俺は馬鹿達の元へ駆け寄る。

「お客さーん、やめてくださいよー、こっちが困るんですってー」
 仲裁しようと間に割ってはいる(しかし悲しいことに成功率はゼロに近い)。途端ぎろりとにらまれ、アルコール臭い息を吹きかけられる。
「餓鬼はぁ下あってろぉ!」
 呂律回ってないっすよおっさん。しかし下がれと言われて下がる俺ではない。店のため、ひいては俺のためでもあるんだからな!

 しかし、俺を無視して腰の剣に手を伸ばすふたり。あーもーほんと嫌になっちゃうなあ。
「店内刃物振り回し禁止ですよ?」
 おっさんの手を掴み抜刀を防ぐ。すると無理矢理手を払われ、あっという間に頭に血が上り真っ赤になった顔で俺に殴りかかってきた。
 それを俺は難なくいなし、勢いを利用しておっさんを床に転がす。が、なんかごちっとかいう痛そうな音がした。失敗失敗。
 どこをぶつけたとかを確かめる暇もなく、もう一人の男が剣を抜き放ち俺に振りかぶっている。背中側のベルトに挟んである短剣を抜く。
 上から振り下ろすだけの攻撃を後ろに下がることで避け、柄で剣を握る男の手を強打する。

 たったそれだけで剣を落とした男は、手を押さえてうずくまる。ふん、俺の忠告を聞かないからだ。
「当店は喧嘩する場所を提供しているわけではないので、やりたかったら外かよそに行ってくださいねー?」
 他のところはむしろ喧嘩万歳のところが多い。他のところと同じようにやってはおもしろくない。まあ俺のモットーですね。
 短剣を戻す。涙目のおっさんが痛い手をなんとか動かして床に落ちた剣を拾う。よろりと立ち上がったかと思うと、出入り口へと走っていった。肩からドアにぶち当たり、転げ出ていった。壊すなよ。

 で、床に伸びたおっさんはというとだ。近くにしゃがみ込み、肩をつついてみる。……反応がない。どうやら気絶しているようだ。打ち所が悪かったか……。
「仕方ないなー」
 ごろりとまずは仰向けに転がし、服の襟をつかんで引き摺っていく。う、お、重い。
 かつりと靴音がしたかと思うと、さっきまで俺が大格闘していた男が勝手にずるずると引き摺られていく。
「――あ」
 目の前を横切る赤いもの。視線をずらせば、片腕で男の服をむんずと掴み引き摺る姿。
 慌てて俺も引き摺っていく。もう最後の方は任せっきりだったが。

「ありがとうございました」
 男を店先の路地に放り出した後、俺は赤髪の男にお礼を言った。ああ、そういえば名前が分からないや。
「いや」
 それだけ言うと席に戻って言ってしまう。あー、いいひとだ。とても。

くーん? もっと力付けなきゃねー」
 店の隅からヤジが聞こえてくる。そちらを向いて、生意気そうに笑ってみせる。
「あいつが重すぎたんですよ。見ました? あのぶよぶよ」
 どっと笑いが起こる。ほんと個人経営なんだからああいうのはやめて欲しい。あ、代金はきっちりいただいてますよ。

 カウンターに戻る。手を洗ってから再び前掛けを装着する。
 赤髪の男に、先ほどのお礼にと同じ物を空になったグラスを交換する。
「さっきはどうもすいません。お礼です」
 彼は無言でグラスを傾けた。思いの外続かない会話に、名前を聞くタイミングを逃してしまう。うーん。
 いや、これは意を決して聞かなければ。お得意様だしな!

「名前を、聞いても?」
 ああ、我ながら直球すぎる。すると彼はグラスを揺らし、ぼそりと呟いた。
「ローラン」
 言ってくれたよ! なんていう奇跡だ。なんだかちょっとうれしい。
「俺は、知ってるかもしれないですけどですよ」
 流れてくるやつらが多い中、こういうやりとりも珍しい。口元がゆるむのが分かる。
「裏路地の小さな酒場の、若いが何をしてるのか分からない、だろ」
 にやり、と彼――ローランが鳶色の瞳で俺を見上げる。挑戦的な、どこか危ない光がやどる。
「何をしてるか……って、こうやって酒場運営してるじゃないですか」
 こちらもにやり。最後にローランは楽しそうに肉食獣のような笑みを浮かべ、グラスに残った琥珀色の液体を一気に飲み干す。ズボンのポケットに手を突っ込んだかと思うと、しわくちゃの紙幣をグラスのそばに置く。
「ありがとうございます。またどうぞ」
 立ち上がるローランを、俺は営業スマイルで見送った。




up 2008/10/31

赤ローラン大して出てないです。すいません。次こそは……!
というか、需要があるのかしら。なくてもいいもん、自己m(ry…