どこまでも遙か、彼方へ


いのちのうた

 ただ彩城近くで花白と偶然出会い話し込んでいただけなのに、なんでこんな事になったんだろう。ぐらり、は傾ぐ世界を見ながら不思議に思った。

ッ!」
 花白の叫ぶ声、鋭い金属のぶつかり合う音、走り去る足音、そして膝が地面に落ちる。
「あ、れ」
 肩から腹部にかけてが熱い。袈裟懸けに斬られた傷は、に痛みよりも先に熱さに伝えた。外套を切り裂き、ざっくりと皮膚を抉り――さすがに骨までは達していないようだが――軽傷どころの話ではない。
 再び視界が揺れたかと思うと、は前のめりで地面に倒れ込んでいた。

、ちょっと、!」
 花白は逃げ出した男を追うこともなく、手にしていた剣を放り投げての側に駆け寄る。横向きに倒れている彼の腹部近くには、早くも血溜まりが生まれていた。
「なんで逃げかったの!?」
 ありえない、と花白は声を荒げながらを仰向けに転がす。急いていたため荒い動作になり、が痛みに呻く。
「い、痛……っ。や、ほ、ほら、俺は別に、死なないけど……あれだ、痛っ……」
「痛いのはあたりまえでしょ!!」
 傷が鼓動に合わせて痛む。袖を捲った花白は、躊躇うことなく手を傷口に押し当てた。
「――っ」
 直に傷口に触れる感覚には顔を顰めた。生傷と肌が擦れ、新たな刺激を生む。
 しかしは喚くことなく歯を食いしばり痛みに耐えた。花白が救世主の力を使って血を止めようとしているのが分かったが、そんなことをせずとも放っておけばどうにかなると知っている。が、その行為を止めさせるには余りにも痛みが強すぎて、花白が余りにも真剣すぎた。

 傷が持つ熱とは別の暖かさがじわりと沁みてくる。救世主の絶対的な力はこんなにも温かかったのか、とは詰めていた息を吐き出しながら思う。
「悪い、ね」
「喋らないで! 大人しくしといてよ!」
 礼を言っただけなのに逆に怒鳴られてしまった。可愛くないなあ、吐息だけで呟く。
「うるさい! に何かあったら玄冬が悲しむでしょ!」
 ああやっぱりそうですよね。は痛みさえ忘れ思わず苦笑した。

 いつもはこんな風に力を使ったりしないのだろう。あまり時間が経過していないにも関わらず見上げた花白の額には汗が滲んでいるし、未だ止まらない血で彼の手は真っ赤に染まっている。さすがに申し訳なくなって、は重い腕を持ち上げる。
「花白……も、いい、よ」
「っ、何言って……血、止まってないんだから……っ」
「一般人からの傷、じゃ"鳥"は、死なない、よ?」
 頭はがんがんと警鐘のような頭痛がしているが、花白を安心させるように笑みを浮かべ手に触れた。しかし触れた手が予想以上に温かくて、は自分の手の冷たさに驚く事になった。
「っ……」
 花白が辛そうに眉をひそめる。死なないと言うが死んでしまいそうではないか。
 出血のため青白い顔で無理に笑うを見下ろし、上手く力を使えない自分に舌打ちをする。

「に、しても……」
 小さく咳き込みながら、は血色の良くない顔で花白を見上げた。彼はくしゃりと顔を歪めている。
「花白が、心配、して……くれる、なんてね」
 血を流しすぎたからか、身体が勝手に意識を落とそうとする。眠気にも似たその感覚を感じながら、嬉しいかも、と再び力なく笑う。
 身体に逆らえず、の瞼がゆっくりと閉じられる。
「えっ、ちょっと、!?」
 花白が慌てて名前を呼ぶが、既にに意識は無かった。





 ふと目が覚める。視界には見慣れた天井があった。血が足りないため気怠さは残るが、痛みはすっかり消えている。
 はベッドの上で何度か瞬きをする。どうやら服も着替えてあるようで、不快感などこれっぽちも無い。心地の良い温もりだった。ただ、呼吸をする度に傷が僅かに引き連れる感覚がある。
「全く」
 呆れのため息を含んだ言葉が聞こえ、は視線だけを動かす。手を伸ばせば届きそうな場所に黒鷹が立っていた。眉根を下げ、を見ている。
「血みどろで帰ってくるとはどういう事だい?」
 今度は完全にため息をついて、そばの椅子に腰掛ける。
「いやあ、色々……あって」
 痛みは消えていてもダメージが消えたわけではない。一言発する為には、身体のあちこちに力を入れなくてはいけなかった。それでも、深く息を吸うことが出来ないため言葉は途切れ途切れになる。

 黒鷹は再びため息をついた。
「心配させないでおくれよ、。死なないとは分かっていてもひやひやしたよ」
「悪かったよ……いや、だけど、あれは不可抗力……」
 ふいと顔を背けてしまった黒鷹はいつになく厳しい顔をしていた。いつもは緩い笑みを浮かべている口元も、今は真一文字に引き結ばれている。
 ――これは怒ってるな。
 ふらっとどこかへ行ったかと思えば血みどろで帰宅など、あれこれ言われても仕方ない。何故こうなったのか等々洗いざらい説明しなくてはいけない気がするが、長話は体力的に無理だった。
「悪い、黒鷹。迷惑、かけた」
 せめてと思いそれだけを口にする。
「……話は後から聞く。それから、その言葉はそこのちみっこにも言ってあげなさい」
 黒鷹がちみっこと言って示す人間は一人しかいない。そこで初めては、首を左へ回し、映った光景に自然と笑みがこぼれた。

「……通りで、手が温かいと思った」
 の横たわるベッドに花白が寄りかかっていた。腕をベッドに載せ、掛け布団からはみ出たの手を両手で包み込み、顔の近くへ引き込んでいる。
 規則正しい呼吸が聞こえる。先ほどから黒鷹が話しているのに起きなかったと言うことは、随分と深く眠っているようだ。
(無茶、させたもんなぁ)
 慣れない力の使い方は彼に大きな負荷をかけたことだろう。
「結局は私が連れてきたんだが、途中まではちみっこが――まあほとんど引き摺ってはいたがね、彼が背負っていたよ。起きたらお礼でも言っておくことだ」
「そう、する」
 椅子から立ち上がると、黒鷹は部屋を出ていった。ぱたん、と軽い音を立ててドアは閉まった。

 花白が抱えている左手は温かかった。それはあの時に感じた温もりとよく似ていた。ただ温かいだけではなく、触れていると安心することが出来るぬくもりだ。
 指先が花白の首筋近くに当たっているのか、微かに脈が伝わる。自分とは違う律動にしばらくの間意識を傾けた。

 薄紅色のまつげが一度震える。しかし花白は目覚めなかった。身じろぎすらせずに眠る姿はまだまだ子供だ。
「ありがとな、花白」
 聞こえていないだろうが、それでもそっと呟く。身体が自由に動くなら頭を撫でてやりたいところだ。

 伝わる鼓動に引き摺られるように、はゆっくりと眠りに落ちていった。

2009-10-18

花白の持つ救世主の力は玄冬の為にあると思いますが、それなら絶対あったかいんだろうなーと。

神澤 蒼