目覚めた先の遠い夢

 おいしいパンケーキを出してくれる穴場の喫茶店があるんです、と上がるテンションを押さえきれずきらきら光る目に引っ張られてユーリが連れられたのは大通りから一本入った裏道だった。大通りはそこそこの人通りがあり、夕方ともなれば買い出しの主夫と帰宅途中の学生で賑わいを見せる。しかし裏道はそれに当てはまらず、どこか寂れた雰囲気を醸し出していた。
 昔ながらと言える住宅に紛れて、ぽつりと白い看板が上がっている。手を引き前を意気揚々と歩くエステリーゼは迷うことなくそこへ進んでいく。店構えは隣同士の住宅と同じく、昔ながらの喫茶店といった体で赤い古びた煉瓦で壁が覆われ四角い格子戸が二つついている。レースのカーテンが内側に掛けられているため外から店内を窺うことは出来なかった。幾つかのプランターが品良く鎮座しており、古びてはいるが古くさいイメージはない。窓の下、木製のイーゼルに乗せられたボードには"Open"の札と本日のオススメメニューがチョークでしたためられていた。そのメニューに目を向けつつ、エステルは上部の丸いドアの、丸いノブに手をかけ店内へ。入店を拒否する気も無く、エステリーゼに続きユーリも喫茶店へ足を踏み入れた。

「いらっしゃ、いませ」
 おかしな区切り方だ、痰でも絡んだのだろうかと入店時の挨拶に心の中でいちゃもんをつけ、ユーリは店内を見回す。外観からもしやと思っていたが、案外狭い店内だった。窓側にふたりがけのテーブルが2つ。カウンターが4席。カウンターと窓際席のあいだに4人がけのテーブルが2つ。見る人が見れば懐かしさを誘うであろうスタルジックな調度品達。使い込まれたそれらは長く経営されているのだろうと言う事が分かる。
 こつりとよく磨かれたフローリングを革靴の踵が控えめに叩く音。エステリーゼが、ぱあとさらに眩しい笑顔を浮かべてそちらに身体を向けた。
「こんにちは、さん!」
「こんにちは、エステリーゼさん。いらっしゃいませ」
 にこりと人の良さそうな笑みを浮かべた男は、小さくエステリーゼに会釈をしたあとユーリへ視線を移した。
 背は幾らかユーリよりも低いようであった。多分5センチぐらい、とユーリは予想する。男は伸びた黒髪をうなじでひとつにまとめていた。白のワイシャツ、スラックスとカマーベスト、脛まである長いカフェエプロンは黒でまとめられておりすらりとした体格と相まってスマートな印象を受ける。しかしシャツの第一ボタンは空いており、タイなどは付けていないためあまり堅苦しさはない。エステリーゼへ向けた表情とはいくらか違っていたが――少なくともユーリにはそう見えた――柔らかな笑みのまま会釈をされる。
 片手に乗せた木製の盆に水の注がれたグラスとおしぼりがふたつずつ。空いてますので、と示された窓際の席へふたりは着くことにした。テーブルへグラスとおしぼり、メニューが置かれ店員はカウンターへ引き返していった。えんじ色の温かいおしぼりで手を拭きつつ、ユーリはエステリーゼに少しだけ顔を寄せて囁く。
「確かに穴場だな」
 狭い店内を見回しても、午後のティータイムとも言えるこの時間帯でカウンターにひとりしか姿が見えない。経営的に大丈夫なのかと心配にすらなってくる。
「大通りからはずれてますからね。でも、私が以前来たときは、もうちょっと人がいましたよ」
 そうかと相槌を返し、ユーリはカウンターに目を向けた。先ほどのウェイターと小柄な男、奥のキッチンからどっしりした体格の男が見える。この規模の飲食店なら3人でも十分回せるのだろう。
 エステリーゼから手渡されたメニュー表に目を通す。コーヒーの種類が多いが紅茶も幾つかあるようだった。ストレート・レモン・ミルクなどではなく、茶葉別となっているあたりにこだわりが感じられる。コーヒーは1杯ずつ店長さんがドリップしているんです、とエステリーゼが思い出したように付け加えた。
 目当てのパンケーキとアールグレイの紅茶を選び、丁度いいタイミングでやってきた先ほどと同じ店員に注文を伝えた。腰を落として注文内容を手書きでメモしているため、意図せず男の顔が視界に入る。
 整っている方だ、と男にさして興味のないユーリは無感情に思ったがちらりと脳裏に何かが引っかかる。この違和感は何かと脳内詮索をしていると、注文を受け終わった男は立ち上がり小さく頭を下げてカウンターへ戻っていった。カウンターで注文内容を他の店員に伝えている横顔を見て、ああそうだと思い出す。これは既視感だ。
「どっかで……会ったことあったっけなぁ」
「どうかしたんですか?」
 ぽつりとこぼすと、首を傾げたエステリーゼに尋ねられる。なんでもないと手を振れば、彼女はすぐに大学の話題を持ち出した。

 専攻も何もかも違うが、同じ大学に通うふたりはたまたま食堂のラスト1つのプリンへ同時に手を伸ばした事がきっかけで知り合った。甘い物好きという共通点においては、今日のように連れ立っておいしいと評判の喫茶店やケーキ屋を回るほどの意気投合ぶりだ。とはいえ性格が似ているという訳では無く、似ていると無理矢理こじつけるならば一度決めたことはてこでも変えないという意固地っぷりだろうか。それでも全く違う考え方をするのが、互い同士いつまでたっても新鮮でもあった。
 新しく発刊された本の内容や教授の他愛もない話題でそこそこに盛り上がっていると、ふわりとバターの良い香りがふたりの鼻腔をくすぐる。暫く手元に落としていた視線をカウンターへ向けると、丸いボブカットが印象的な小柄の――まだ少年、とも言えるような外見だ――男がトレーにドリンクを乗せてふたりのテーブルに近づいていた。
 僅かに白い湯気と香りの立ち上るブレンドはエステリーゼの前に、白い陶磁のポットと揃いのティーカップはユーリの前に揃えて置かれる。茶葉はもう蒸されているということで、男が下がると早速ユーリは1杯目を注ぐと柔らかなベルガモットの香りが広がった。すかさずシュガーポットを引き寄せ砂糖を数杯投下するが、エステリーゼはブラックのまま一口含み満足そうに表情を緩めていた。
 ユーリはブラックでコーヒーを飲むことはまずない。甘いカフェオレであれば飲むが、エステリーゼの持つカップから漂う香りは好ましいものだった。


 ***


「ありがとうございました」
 満面の笑みで頭を下げ店を出たエステリーゼと、本人にとってはいつもの仏頂面のユーリを店外へ見送りは深く息を吐いた。ベルの余韻を聞いていると、どっと疲れが押し寄せてくる。無意識の内に身構えて力が入っていたらしい。はあ、とため息さえ出た。
 ウィチルがてきぱきとバッシングを行っているのを見て慌てて駆け寄った。平皿は彼に任せ、紅茶とコーヒーのカップを下げる。厨房の方へ持っていくと、店長のドン・ホワイトホースがにやりと意味ありげな笑みを見せる。
「どうした。随分緊張してたみたいじゃねぇか」
 お前らしくねぇなと笑われながら洗い物のシンクへカップを置き、水を流す。
「そりゃあ、可愛い子が来れば緊張ぐらいしますよ」
 は苦笑しながら冗談を言うが、そんなタチでもねぇだろうと一蹴されてしまう。実際、緊張していたのは別の理由からだ。
 豪快な笑い声を聞きながらいたたまれない思いで厨房を出た。丁度厨房へ入るウィチルと鉢合わせしたため、皿を受け取り再度シンクへ。その後、洗い場に入るウィチルと入れ替わるようにしてホールへ出た。

 ここ一月でみっちりシフトを入れているため、すっかり見慣れた仕事場だ。人のいなくなった店内はがらんとしており、面積以上の広さを感じる。
 少なくなった紙ナプキンや砂糖を補充して回りながら、単純作業で空いた頭では今日の晩ご飯は何にしようかと考える。昨日は魚が安かったので、作り置きしておいたほうれん草のおひたしと味噌汁、鯖の塩焼きという和食メニューだったのだ。もう少しおひたしがあるからと本格的にメニューを考え出した頃、来客を知らせるドアのベルが鳴ったため頭を切り換える。
「いらっしゃいませ」
 すっと背筋を伸ばし、客を迎える。案外、こういう接客業も向いているのかも知れない、とは思っていた。

 6時を回るとドンがもう上がっていいぞとに声をかけた。10時のオープンから何度か休憩を挟みながらの8時間勤務の終わりだ。
 客が途切れるのを見計らいカフェエプロンとベストを脱いで、その上からスウェットのパーカーを羽織り店を出る。その足で近場のスーパーへ向かった。ニラと冷凍うどんだけをカゴにいれて会計へ。持参したエコバックに食材を詰めて帰路につく。
 マンションのオートロックを鍵で開けエレベーターで最上階へ。1番端の部屋が今現在、が住んでいる部屋だった。とはいえ、居候という形であるが。

「ただいま」
 後ろ手に鍵をかけながらそう言うが返事は帰ってこない。ここの家主の帰宅時間にはまだ早いと分かっているが、なんとなく口から出てしまう。靴を脱いで上がり冷蔵庫に食材を入れ、まずはシンクに残った使用済みの食器を片付けた。 水切り場に食器を並べ終えると、今度はベランダに出て洗濯物を取り込む。男物のワイシャツばかりが目立つが、家主の仕事上スーツが制服であることと、自身の制服もシャツが必要であるため仕方がない。
 居間に広げた洗濯物を畳みながら、耳が寂しいのでテレビを付け適当にニュース番組に切り替えた。明日の天気には耳をそばたてる。明日は晴れのようだ。ワイシャツにはアイロンをかけハンガーにかけておく。
 一通りの家事を済ませて一段落すると時計は7時半を回っていた。そろそろ腹も減ってきた、とエプロン片手に台所へ立とうとすると玄関から鍵を開ける音がする。玄関から伸びる廊下へ顔を出すとくたびれたおっさんが革靴を脱いでいる所だった。
「おかえり、レイヴン」
 の声で男は顔を上げ、疲労の見える顔でへらりと笑った。
「たーだいま」
 ネクタイを緩めながら、玄関からすぐの自室へ入る。いつも帰宅後は本人曰く、堅苦しいからと真っ先に着替えるのだ。
 着替え終わって部屋から出てくるまでに夕飯の支度を進める。大鍋と小鍋に水を入れてコンロへ。小鍋には出汁類を少々、味を見ながら醤油を垂らす。水が湯になるまでの間でニラを適当に刻んで小鍋の中へ放り込み、副菜の準備をする。茹でて小分けにしていたほうれん草は食べやすい大きさに切り、マヨネーズで和える。アクセントにからしを少々。
 小鉢にほうれん草和えを盛っているとレイヴンがリビングにやってきた。テレビのリモコン片手にソファーへ沈み込む。
「もうちょっとかかる」
 台所からだとリビングに向けては音が通りにくいため、普段より声を張って伝える。レイヴンはその声に振り返り首を傾げた。
「今日の晩ご飯は何かしら」
「卵とニラのあんかけうどんとマヨ和えのほうれん草。うどん食べたかったから」
「お、いいねぇうどん。まだもうちっと寒いからねぇ」
 はうん、と手を動かしながら返事をする。どうやら湯が沸いたようなので、冷凍うどんを2袋分投入して湯がいていく。麺が暖まればいいため乾麺ほど時間がかからないのがいい。溶き片栗粉をつくって、こちらも良い具合にふつふつとしている小鍋の中へ流し込んですぐに混ぜる。良い具合のとろみが出た所で準備しておいた溶き卵を回し入れ、暫くまつ。固まってふわふわとしてきたのを見計らい混ぜて火を止めた。これでうどんの出汁は準備が出来た。
 十分暖まった麺をどんぶりに、その上からあんかけの出汁をかけて完成だ。熱々のどんぶりを慎重にリビングへ運んでいると、それを見たレイヴンはソファーから降りると台所へ向かい食事を運ぶのを手伝う。
 ふたり分の食事がテーブルに並べられると向かい合って席に着く。先にレイヴンがぺちりと手を合わせいただきますと唱える。それを真似するように、も手を合わせ同じ言葉を唱える。頂きます。

 まだ夜は肌寒く感じる春の終わり。男ふたりは顔を付き合わせて、熱々のうどんをすする。
 あらかた食べ終わり、は口の中を冷やすように冷たい水を飲んでいると、目の前のレイヴンがカレンダーを見てそう言えばと呟いた。
「今日で2ヶ月よ」
 主語がない言葉だったがそれが何を意味するのかには分かっていた。分かっている、という意味を込めてひとつ頷く。

 2ヶ月。この月日はがレイヴンの家に居候を始めた月日でもあり、そしてテルカ・リュミレースと似ているようで違う世界へ飛ばされてからの時間を示す。
 小雨の降る中、リタの依頼で沈静しているエアルクレーネを調査していたはずだった。寄りつく魔物を倒していたはずなのに、いつの間にかざあざあと大雨に降られ見知らぬ路地裏に立ち尽くしていた虚無感は思い出したくなかった。同じようで違う。文化さえいくらか似通っているものの、この世界には魔物など現れない。
 呆然としていた所を、偶然通りすがったレイヴン――もちろん"こちらの"だ――の世話になっている。
 世話になっているこちらのレイヴンを初め、テルカ・リュミレースで共に旅をしていた仲間達を初め、見覚えのある面々がこちらでも同じ顔で生活をしているようだった。今日はついにこちらのユーリとの出会いも果たしてしまった。皆、向こうでの記憶は持っているはずもなく慣れ親しんだ顔で始めまして、と挨拶をされるのは非常に心臓に悪い。

 食事の後片付けを済ませ、ソファーでくつろぐレイヴンの隣に腰を落ち着ける。レイヴンはテレビの情報番組を眺めているようだ。
 もう2ヶ月。駆け足で過ぎ去ったような時間だった。改めて時間を告げられるとどうしていいか分からなくなる。
 こういう現象についてはきっとリタが中心になってなんとかしようとしてくれているのだろう、こんなに長く前触れ無く居なくなるなんてことはなかった、果たしてテルカ・リュミレースへ戻れるのだろうか。何度も繰り返し繰り返し考え続けた不安が蘇る。
 ほとんど身ひとつでこちらに来たため、所持品は少ない。戦闘中であったから愛剣達とそれを吊る剣帯、グミなどの消耗品が入った剣帯に取り付ける小さいバックのみ。着ていた装備と共に武器は部屋に保管しているが、グミについては痛んで腐らせるのも憚られ早々に食べてしまった。
 魔導器ではなく電気で動く機械に支えられた生活にもなんとか慣れたが、ふとした瞬間に自分は違う世界に居ると言う事を改めて思い知りひとり唇を噛むこともある。
 例えば結界が無くとも魔物に怯えずに、人々が豊かに生活出来ること。例えば遠くの人達とも簡単に連絡を取ることができたり、知りたい情報をすぐに取り寄せることが出来ること。しかし何でも出来るように思えて、が一番やりたいことは出来ないのだ。


 隣に座ったきり会話も無くテレビを眺め続けるをレイヴンは盗み見る。テレビから流れる多くの情報はきっと耳から耳へ通り過ぎているだけなのだろう、妙に暗く固い表情は見覚えがあった。を拾って――拾った、と言うには語弊があるかもしれないが――すぐの頃は何もかもに絶望したような顔をしていた。似ているようで違う世界へ飛ばされたという衝撃は計り知れないが、来てしまったからにはここで生きるしかないと諭したのはレイヴンだ。その言葉ではいくらか冷静さを取り戻したようであった。
 居候する代わりに家政夫として家事全般を頼むことになってからは、1日の時間が足りないほど忙しくしていたというのに、この落差はどういことだろう。その理由はひとつしか思い当たる節はない。ふとしたときに思い出す郷愁ほどきつい物はないとレイヴン自身が知っている。であるから、毎日の美味い食事と人間らしい生活を再度送れるようになった礼も込めて、レイヴンは持ち前の楽天思考を浮上させ優しく笑みながらの肩をつつく。
「晩酌したいんだけど一緒に飲まない?」
 はゆるりと顔を向ける。どうしようかという迷いが一瞬顔によぎったが、頷き返そうとして眉に皺が寄る。なにか気に障っただろうかと言葉を待っていると、唸るようにして一言。
「……肴の類が、ないなあ」
 その呟きがあんまりにも深刻な声色であったのが可笑しくて、ぶはっとレイヴンは思わず吹き出してしまい、笑われた理由が分からずは目を丸くして首を傾げる。
「は? な、何?」
「肴なら、今日はとっておきのがあるのよ」
 まだ収まらない笑いを堪えつつ立ち上がり酒瓶を取りに行く。すぐに付いてきたはグラスをふたつ取り、瓶のラベルを見て氷を幾つか入れた。ふたりとも焼酎はロック派だ。ベランダへ歩いていくレイヴンの背中を追って行くと、中途半端に開いたカーテンから見える空に浮かぶのは満月であった。明るい月の光に呑まれ、他の星はほとんど見えない。
「月見酒、か。なるほど」
「んー、まだ外ちっと寒いかしらね。部屋の電気消そうか」
 酒瓶を持ったまま電気のスイッチを消しに行くレイヴンを見送り、はグラスを傍のテーブルに一旦置いてカーテンを全て開ける。ぱちりと部屋の明かりが消え、室内の反射が少なくなったことにより一層夜景が見やすくなった。戻ってきたレイヴンと共にソファーを窓際へ移動させ、グラスへ酒を注ぐ。
 ソファーの上で胡座を掻くレイヴンはグラスをに向けて掲げて見せる。その意図をくみ取って、も同じようにレイヴンへグラスを掲げた。
「乾杯」
 控えめにぶつかったグラスから、からりと氷の揺れる音が心地よい。は月を見上げながらちびりと酒を舐める。月は向こうでもこちらでも、等しく存在していた。同じように、皆も月を見上げているのだろうかと思いを馳せながら、再度グラスの縁を舐める。
「酒飲んで嫌なことぜーんぶ忘れて、ってのは流石に無理だけどさ。愚痴でも吐いて笑い飛ばせば、少しは楽っしょ?」
 酒で満ちるグラスを揺らしながらレイヴンはに笑いかける。
「つーわけで、おっさんの愚痴を聞いておくれっ!」
「それがメインかおっさん」
 鋭いツッコミにレイヴンが肩を揺らしながら豪快に笑う。互いにちびちびと飲みながら他愛のない話に花を咲かせる。ちゃんのツッコミ厳しいわあ、とレイヴンが赤くなり始めた顔でぼやく頃にはふたりとも良い具合にアルコールが回って心地よいほろ酔い加減であった。
 昼間のバイトの疲労があったのか、焼酎ロックを2杯空けた所では眠気を覚え始める。3杯目を迷っているとレイヴンにグラスを取りあげられてしまう。
「眠いなら寝ちゃいなさい。あとはやっとくから」
「……んー」
 重くなってくる瞼を擦ると、子供をあやすような優しさで髪を混ぜ返された。ああやっぱり大きい手だな、と眠たい頭では思う。
 今なら何も考えずに落ちるように寝ることが出来るだろう。動きたくないという気持ちもあったが、ここで寝てしまうのは駄目だという自制心が働く。言葉に甘えて後片付けは任せ、ふらりとは立ち上がった。深酒しているわけではないから、部屋までは無事に歩いていけるだろう。
「おやすみ」
 言葉に見送られて部屋へ戻り、寝間着に着替えることもせずベッドに倒れ込む。もそもそと布団を被り、眠気に抗うのをやめればあっという間に睡魔に取り込まれていった。眠りに落ちる僅かの間に今日の出来事が脳裏によぎる。ユーリは相変わらず甘い物が好きなようで、自分が焼いた物をおいしそうに食べているのはやはり嬉しかった。
 アルコールの力を借りてすとんと落ちた夢の中、今となっては懐かしい旅の仲間の顔を見た。


2014/05/26